第2話 端的に申し上げると恋の病です

 ユースティア東京本部。その併設の訓練場へ向かう道にて、黒い軍服が夏の暑い風に煽られてはためく。


「せ・ん・ぱーい!」


 私・玉頼ぎょくらい千璃せんりが賢明に手を振る先で、守貴もりたか茂之しげの先輩が、鬱陶し気な表情と共に振り向いて立ち止り、ストップとでも言うように手が差し出された。


「何か用か」

「用です! 先輩の演練えんれんがあるって聞いて見に来ました!」

「馬鹿なの?」

「ばっ……かじゃないですよ! 私、これでも今年のユースティア上位合格者ですよ!」

「へえ。まあ、俺は首席合格だったけど」

「……それはさすがにちょっと、ほら、えっと」

「まあすごいんじゃない、上位なら」


 先輩の一重の目が皮肉気に、私をもてあそぶように細くなる。むっと口を尖らせるけれど、先輩はどこ吹く風だ。


「つか、入寮の手続は? こんなとこにいていいの?」

「先輩の演練を見たいので、いいんです」

「答えになってねーだろ、この炎天下で頭湧いたのか」


 玉頼千璃、現在十七歳。五年前に茂之先輩に命を救われ、以来、ユースティア入隊を目指して邁進した結果、この八月、ユースティア入隊試験に合格し、八月三十一日ほんじつ付けでユースティア研修生となった。


 ユースティア入隊試験に合格しても、すぐにユースティア隊員と呼ばれるわけではない。合格後は、九月一日からユースティア研修生という身分が与えられ、約半年間、翌年の三月末まで研鑽を積む。研修生のスケジュールとしては、八月三十一日に東京本部の寮に入り、翌日から二週間はユースティア東京本部で導入研修を受け、導入研修終了後に全国各地のユースティア本部に派遣され実地研修に励み、翌年三月の最終週には再び東京本部に戻ってくる、といった感じだ。


 そして、本日は入寮日なので、研修自体はなく、今日は寮生活の準備さえ整えれば自由時間だ。そして、ユースティア東京本部にいるユースティア隊員にとっては、夏の演練日でもある。つまり、入寮の準備を済ませれば、研修生はユースティア本隊員の模擬戦闘を見学できるというわけだ。


「つかお前、今日って教官面談あるだろ? まさかさぼった?」

「失敬な、事情により遅い時間に設定していただきたいと上申し、最後に回していただきました」

「その事情の内容は?」

「端的に申し上げると恋の病です」

「精神病か。演練場なんて来てないで早く病院に行け」

「酷いじゃないですか先輩!」


 私の告白を今日も今日とて一蹴した茂之先輩は溜息をつく。演練開始まであと二十分、どうやってこの面倒なガキをあしらおうか──そんな心の声が聞えるような溜息だった。もちろん、私は頬を膨らませて答える。


「先輩、偶にはデレてくれてもいいじゃないですか」

「彼女だけにデレるタイプだから、俺」

「彼女いらっしゃるんですか!?」

「いねーよ! お前、去年俺がクリスマスにフラれたっつったら嬉々として慰めただろうが!」

「先輩がご傷心なのは重々存じ上げていたのですが自分の心に嘘は吐けませんで……」

「お前マジで俺のこと尊敬してんのかナメてんのかどっちなの?」

「全力で尊敬してます!」


 背筋を伸ばして敬礼の姿勢をとる。


「私は中学二年生の時に先輩に命を助けて頂いて以来、恋慕れんぼ尊慕そんぼ仰慕ぎょうぼの三拍子を一途に誓っております!」

「重いわ」

「そんな冷たいこと言わないでください」


 諦めたように演練場への道を歩き出した先輩の後ろをテテテッと追いかける。先輩は嫌がらせでもするように大股の早歩きなので、私は小走りだ。


「つか、演練って見て楽しい?」

「楽しいというか、先輩を見ることができるだけで私は興奮します」

「お前本当に変態だな」

「あ、でも普通に精霊の力を見れるのがいいですね。私はまだ十八歳になってないので」


 ちらと、茂之先輩の腰にある日本刀に視線を向けた。その柄には炎の紋章が刻まれていた。


 個々人に宿る精霊の力は、満十八歳で目覚める。目覚めるまで精霊の力を使うことはできず、自分の属性が何かを知ることもできない。そして、ユースティア入隊試験の受験資格が与えられるのは十七歳からなので、研修生の中には精霊の力を使えないどころか、属性すら知らない人もいる。私もその一人だ。


 だから、間近で精霊の力を見ることができる演練は、十七歳の研修生にとっては必見なのだ。現に、私以外にも、演練に向かう研修生はいる。ちなみに、研修生の軍服と本隊員の軍服との違いは肩章の有無だ。茂之先輩の軍服は、左肩に金色の枠で縁取られた肩章と「壱」の字が書かれている。一番隊所属の本隊員という意味だ。


「お前、誕生日いつだっけ」

「お祝いしてくれるんですか?」

「どう考えても精霊の力が目覚めるのいつか聞いてんだろ。お前マジで合格してから一層頭おかしくなったな」

「十二月二十四日です。お祝いもしてくださいね」

「なんでだよ。話の流れで聞いただけだし、どうせ忘れる」

「そうですよね……毎年連絡してるのに覚えてくださいませんもんね……」

「誕生日に自分から連絡してくるのおかしいけどな。派遣先は?」

「札幌本部です。会いに来てくださいね」

「遠い。行かない。寒いの嫌い」

「嫌いって……かわいたい!」


 遂にバンッと頭を叩かれた。すると、背後からぬっと現れた腕が茂之先輩の肩に乗っかり「おい茂之、研修生いじめてんなよ」と笑う。ブラウンの髪はツーブロックで、茂之先輩と仲が良いとは到底思えなさそうな、明るくて、良くいえば人懐こそうな、悪くいえばチャラい雰囲気の人だった。上着を着ていないので所属部隊は分からないけれど、その口振りと茂之先輩に対する態度でユースティア本隊員であることは分かる。慌てて敬礼の姿勢をとった。


「お疲れ様です」

「おー、おー。毎年この時期はいいね、若い研修生入ってくるから。実質女子高生じゃん?」

「そんな可愛らしいもんじゃないよ、コイツ」

「可愛らしい後輩ですよ!」


 憤慨する私に、その先輩は人懐こそうな目を細めた。


「そかそか、茂之の後輩か。綾崎です。茂之の同期だよん」

「研修生一組三班、玉頼千璃です。よろしくお願いします」

「玉頼ちゃんか。可愛い後輩じゃん」

「コイツうるさいだけだからね、本当に」

「玉頼ちゃん、なんでこんなのに懐いてんの?」

「中学二年生のときに命を救っていただきまして」

「……え、この子ってあの時の子?」


 綾崎先輩の目が急に驚いたものに変わる。私が首を傾げると、茂之先輩はやはり歩き出しながら「あの時、綾崎もいたよ」と。追いかけながら記憶を探り……当時、茂之先輩が「綾崎」と名前を呼んでいたことを思い出す。


「そういえば……」

「え、マジ? あの時にこんな小っちゃかった子がもうユースティア入んの!?」


 綾崎先輩の手が、綾崎先輩の腰のあたりで水平に動いている。中学二年生とはいえ、そんなに小さくはなかったはずだけれど、綾崎先輩の記憶の中ではそれらしい。


「あれでユースティアに入るかあ……。茂之、そんなにかっこよかった?」

「かっこよかったです」

「食い気味に言うねえ。てか、メンタル強いねえ」


 何のことを言われているのかはすぐ分かった。前方の茂之先輩が少しだけ振り返ったけれど、気付かないふりをする。


「あんまりいないんですか? 私みたいに、目の前で友達が死んだっていう人」


 綾崎先輩はいたずらっぽく口角を吊り上げた。「はっきり言うねえ。いなくはないだろうけど、そんなどこにでもいるわけじゃないよ。まあ、本隊員になれば隊員が死ぬのは見るけどさ、中学生でそんなの見せられたらトラウマもんだって。あの日、間宮がぶちぶちいってたからな」


 記憶を探れば、間宮という音にも聞き覚えがあった。あの日、茂之先輩と綾崎先輩と一緒にいたもう一人の女性だ。


 綾崎先輩は、当時の光景を思い出すように顔をしかめる。


「ほら、茂之のヤツ、鬼人の首をかっ飛ばしただろ。あの鬼人は変化前だったから、見た目はほぼ人間だった。その首が目の前で飛んでみ? 中学生女子にとっちゃトラウマだろ」

「だから、一応の配慮として切り口をすぐに焼いたわけ。血が出なきゃ大丈夫でしょ」

「もうその発想がグロい。俺が玉頼ちゃんだったら尊敬どころか呪うわ、お前のこと」

「でも鬼人はできる限り迅速に始末するのが決まりですよね? 首を刎ねるのは手っ取り早くていいと思いますけど」

「……やっぱ茂之に懐くだけあって変な後輩だわ」

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