吸魔と想いの行く末


 消費した魔力の回復、異世界においてそれは主に二つの方法がある。


 一つ目は時間経過……つまり自然回復だ。

 分かりやすくいうとRPGゲームの宿屋に泊まるようなもので、特に睡眠時だと回復量が増加する傾向がある。

 それでも魔力量が多いエルフだと、完全に回復するには三日以上も費やすらしい。

 ちなみに吸血鬼やサキュバスの場合、吸血または吸精した際に生命力と共に魔力も回復するのだとか。

 人間でも摂取したカロリーが魔力の回復度合いに影響するようで、この辺は専門家によって今もなお研究が進められている。


 一方で二つ目の方法は、魔力回復薬を飲むこと。

 薬草や一部モンスターの内臓などを専門の調合師が精製した薬で、これもゲームでよく見掛けるアイテムだ。

 ただ生産数は多いとはいえないため、店で売り出されることはあっても聖銀貨五枚──日本円換算で一つ五万円──と高価で中々手に入りにくいので安易に使えない。

 A級冒険者の稼ぎでやっと常備できるが、いざという時のために温存する人がほとんどだ。


 そんな事情がある中で、タトリが行おうとしている吸魔がどれだけ希少なのかが窺えると思う。

 他人の思考が読めることを教えた俺にも隠す辺り、警戒心の強い彼女らしいとも言える。


「それじゃ先輩の魔力、ごちそうになるっす♪」

「!」


 そうして吸魔の開始を告げられ、反射的に肩が強張る。


 何せ今まで受けてきた吸血も吸精も、俺の身体に掛かる負担はもちろん、理性をフル稼働して耐える必要があったのだ。

 恋人となった現在でもそうしなければ、流されるまま彼女達と行為に及ぶこともある。

 とはいえその流れを知ったお嬢に説教されて以来、前と比較して頻度は著しく減ってはいるが。


 とどのつまり吸魔を受けるにあったって、俺の理性が削られやしないか身構えるのは無理もないのである。


 そんな警戒をしていた次の瞬間、タトリと繋いだ手から確かに魔力が吸われていく感覚が走った。

 そこから先は……特になんの変化も無い。

 強いて言えば魔力が減って少し疲労が募っているくらいだ。


 痛みを覚悟していただけに肩透かしを受けて困惑を覚えてしまう。

 だがよく考えれば、タトリは今まで俺に気付かせることなく魔力を吸ってきたのだ。

 今のサクラのようにどういった加減で吸えば良いのか、既に要領を掴んでいるのだろう。

 まぁ痛みが無いなら安心、で良いよな?


 そう胸を撫で下ろすが、ふとタトリが無言になっていることに気付く。

 どうしたのか彼女に目を向けてみると……。 


「ふぅ……んんっ」


 何かを堪えるようにか細い吐息を漏らしながら、眉間にシワを寄せて集中している様子だった。

 顔色はよく見るまでもなく赤くなっていて、繋いでいる手を通して身体が微かに震えてすら居る。

 だが苦痛に対してというより、内から込み上げる何かに堪えて悶えているようだ。


「タトリ、大丈夫か?」

「……へ? ぇ、あ、いっえ! 平気っす……」


 俺の呼び掛けに一瞬反応が遅れたものの、タトリは額に汗を滲ませながら問題ないと言う。

 しかし付き合いの長い俺からすれば嘘だと容易に悟れる。

 もしかしたら足の痛みが出ているのだろうか。

 そんな胸に過った心配に突き動かされるまま、俺は空いている手を動かす。


「悪い、足を触るぞ」

「えっ!? ちょ、ま──ひ、ぁっっ!!?」


 服越しにタトリの足に触れた瞬間、俺の耳に入ってきたのは苦悶とは異なるどこか色っぽい声音だった。

 予想外の反応に驚愕と茫然に襲われる中、ゆっくりとタトリへと顔を向ける。


「うぅ……」


 そうして目が合った後輩は今にも爆発しそうなほどに顔を真っ赤にして、弱々しい涙目で俺を睨んでいた。

 さっきの声と目の前の表情、それらから辿り着いたある答えを察した瞬間、全身から滝のような汗がブワリと溢れ出る。

 どうか勘違いであって欲しいと願うが、モジモジと身体を揺する仕草から疑う余地が無くなってしまう。


「その、先輩……」

「はい」

「吸魔中は敏感なので、できればそっとして欲しいっす」

「……分かった」


 これでもかと羞恥心を込めて懇願されては、天を仰いで聞き入れるほか無い。


 吸血や吸精と違って吸魔は吸われる側の俺じゃなく、吸う側のタトリの心身に影響が出るタイプだったのだ。

 なるほど……こうなると分かってたら、好意を向けてる俺以外の魔力は吸いたがらないわな。


 類を見ない能力だからって点だけで隠してた訳ではないと悟る。

 なら俺は言われたとおりに大人しくするのは正しいんだろう。

 そう決めたはずなのだが……。


「はぁ……はぁ……せんぱいの手、おっきぃ……」


 小声で呟きながら頻りに手を握ってくるのはツッコミ待ちか何かか?

 心なしか目も蕩けるように潤んでおり、さっきより息も荒くなっている。


 本当に大丈夫なのか問い質したいが、指摘した瞬間に後輩の中で黒歴史が生まれてしまう予感しかしない。

 なのでひたすら沈黙を決めるしかなかった。


 意識して黙り込む俺を余所にタトリは自らの頬に俺の手の甲を当て、吸った魔力と一緒に堪能するように頬ずりを始める。


「剣ダコがあってゴツゴツしてて……こんなエッチな手で頭を撫でられたら、女の子なんてイチコロに決まってるじゃないっすかぁ」


 言いたい放題な上にとんでもない決めつけを重ねないでくれる?

 女子の頭を撫でるなんて、タトリ以外じゃサクラやリリスにお嬢の三人しかやったことないわ。


 あれ、俺に好意向けてる子しかいなくない?

 え、まさかマジでそんなことあるの?


 思わぬ可能性に内心で恐怖を覚えている間にも、タトリは人の手の甲に口付けをする。

 オイこら、人にはそっとして欲しいって言っておいて自分はやりたい放題かよ。

 気付かないワケないだろ、ただでさえ繋いでる手に意識向いてるんだから。


「魔力だってこんなに濃くってまろやかで……これ以上、タトリをどうするつもりなんすか?」

「答えに困るわ!」


 さすがに黙っていられるはずもなく、声に出してツッコミを放つ。

 あと誤解を招くような言い方はやめて下さい。


 それともなに?

 俺が知らないだけで俺の魔力ってそんな中毒性でもあるのか?

 サクラもリリスもよく吸った血や精気を美味しいって言うけど、エサ側の俺にはまるでピンと来ていない。

 だって自分の血とか味わう機会ないし……いや、あったらあったでそれは大問題だけども。

 いくら飢えてた奴隷前でも、そこまでやったことはない。

 精々が雑草を煮てみようか思案したくらいだ。

 結局やらなかったけど。


 話が逸れた。

 俺のツッコミを聞いたタトリだが、吸魔でトリップ中なのか頭に疑問符を浮かべるようにキョトンとする。


「でもせんぱいの魔力、とぉ~ても美味しいっすよ? 暖かくてじんわりとタトリの中に溶け込んでいくの、すっごく気持ちよくてクセになるっす」

「具体的に説明しなくていいよ!」


 何も疚しいことしてないのにそういうことしてるみたいに聞こえるから!

 というかなんかぼんやりしてないか?

 まるで吸血直後のサクラみたいだ……。


 つい昨日も吸血したあとは胸元に顔を擦り寄せたりしてたっけ。

 可愛らしい恋人の姿──正確には目隠しをしていたので見えなかったが──を思い返す。

 それがいけなかったのだろう。


「うぇ、っと……!?」


 不意に得も言われぬ脱力感に襲われた。

 内にあった塊がごっそり削られたような感覚に堪らず目眩を起こしてしまう。

 何事かと顔を上げた瞬間、答えに行き着く。


「むぅ~……」


 視線の先には赤らめた頬をぷっくりと膨らませ、これでもかと不満を露わにした後輩がいた。

 ……そういうことか。

 吸魔中だろうとタトリの持つ他人に思考が読める目は健在のようで、自分以外の異性のことを考えたことに嫉妬した結果、折檻として魔力を吸う勢いを早めたのだろう。


 俺に気付かせない微量を吸えるのだから、逆に一度に大量の魔力を吸うことだって出来ても不思議じゃない。

 だからこそマズいと脳が警鐘を鳴らしている。


「なんで、タトリと居るのに、他の女の子のこと考えるんすか……」


 より上気して真っ赤になった顔色のまま据わった目でタトリが不満を零す。


 少しずつ吸っていたさっきでさえ、軽いトリップ状態になっていたのだ。

 にも関わらず大量の魔力を一気に吸い出したとなれば、理性のタガが緩まってもおかしくないワケで……。


「うえぇぇぇぇん! せんぱいのばかぁ~!!」


 感情を剥き出しにしたタトリがわーわーと泣き喚き始める。

 その様子は完全に構って貰えなくて拗ねた子供のようだった。

 握った手は緩まるどころか、むしろ離してなるモノかと痛いくらいに握り絞められる。


「タトリの方が先にせんぱいを好きになったのに、他の女の子と付き合うなんてヒドいっすよ~! タトリとは遊びだったんすね!」

「言い方」

「せんぱいの鈍感! 女たらし! 女の敵! おっぱい好き!」

「ぐ、めちゃくちゃに刺してくるな……」


 今度は泣き上戸かよ。

 しかも随分と尾ひれを付けて罵倒してきたな……いやまぁ好意を察していながら応えなかった俺が悪いけど。

 でも告白されてないのに断る方が残酷じゃないだろうか。


 とはいえそれはあくまでも俺の所感でしかない。

 俺がサクラ達との交際を明かした時、もっと遡れば九月に再会した時からタトリの中で、ずっと燻り続けていたモノは確かにあったのだ。


 この癇癪はその一部分に過ぎない。

 彼女の想いに対して俺が向き合わない限り、決して解消されることは無いだろう。

 だとしたらいっそのこと、既に恋人がいるのだからとタトリの恋心を絶つことが精一杯の誠意じゃないか。


 そう悟って答えを出そうとするより早くタトリが動いた。

 思考に耽っていたせいで俺が遅れて反応した時には、眼前に後輩の顔が迫っていて……。


「んっ!」

「んんっ!?」


 不意打ちでキスをされた。

 頬に逸らす間もなく互いの唇が重なり、柔らかな感触に一切の思考が漂白していく。


 茫然としている間にタトリが顔を放したが、ほんの数秒だったのにやけに長く感じた。


「っ、な、なにやってんだ?!」

「なにって、せんぱいとキスしたかったからしただけっす」

「だけって……」


 ハッと思考を取り戻して真意を問い質すも、タトリは上気した顔色のままなんてことない調子で答える。

 まるで後悔した素振りを見せない表情に戸惑いを隠せないままタトリが口を開く。 


「せんぱい。さっき、タトリのこと振るつもりだったっすよね?」

「っ、だって俺は──」

「恋人がいるから。せんぱいらしい理由っすね。今のタトリじゃサクラちゃん達には及ばないのも分かってるっす。けどね、せんぱい」


 図星を衝かれて狼狽える俺にタトリは言う。



「──、タトリが引き下がる理由にはならないっすよね?」

「は?」


 さながら俺の方が間違ってるというような口振りで告げられ、ポカンと呆気に取られてしまう。

 茫然としている間にも、タトリはニヤリと妖しく笑ってみせる。


「だって恋人がいるからって断るのはせんぱいの都合じゃないっすか。それでタトリが諦めるかどうかは別っすよ」

「そ……っ、それはいくらなんでも屁理屈じゃないか?」

「感情論に理屈を持ち込んでも無意味っす。それにサクラちゃん達と別れろーなんて言ってないから問題ないっすよ」

「い、いやいやいやいや! 今、自分がどれだけとんでもないこと言ってるか分かってるのか!?」

「分かってなかったら言ってないっすよ、こんなこと。これはタトリが決めたことなんすから」


 恋人がいる異性に好意を伝えるなど、倫理的にどうなのかと制止を試みるが、タトリは承知の上だと揺るがない強固な意志を見せる。


 そもそも、と彼女は一呼吸おいてから続ける。


「今はまだ受け入れられなくても、これからのことは分からないじゃないっすか」

「これからって……」

「はいっす。先輩がタトリを恋人にしたいかどうか、受け入れられるように頑張れば良いだけの話なんで!」

「……なんか開き直ってないか?」

「先輩が素直になってくれたら話は早いんすけどね~。それに前に言ったはずっすよ。また次に会った時、タトリはもう躊躇わないって」

「あ……」


 毅然とした表情でそう言われた瞬間、九月の再会した後での別れ際における記憶が過る。


 確かにタトリはそんなことを言っていた。

 当時はそこまで深く捉えていなかったけど、思い返すとリリスと何か話してから決意した様子だった。

 もしかしてあの時にリリスはタトリの気持ちを察し、俺に迫っても咎めないと伝えていたのかもしれない。


 だとすれば後輩がここまで遠慮無しなのも頷ける。

 そりゃ恋人の方から許可が出ていたなら、彼女達を理由に断る意味が無い。


 してやられたというか、責任を取れと背中を蹴られた気分だ。

 お嬢から告白された時のようにいつの間にか外堀が埋まっている。

 どう反応すれば良いのか頭を抱えそうになる俺に、タトリはにひっといつもの生意気な笑みを浮かべた。


「覚悟しといて下さいっす、先輩! 絶対、ぜぇ~~ったいに! タトリのことも好きにさせてみせるっす!!」


 いつの間にか酔いも醒めたようで、必ず俺の気持ちを振り向かせてみせると宣言する。

 そんな後輩が今までで一番、眩しく見えてしまった。


 もしかしたら人生で一番の難敵になるかもしれない。

 そう思わせられるだけの強い決意を前に、俺はとうとう返す言葉も無く苦笑いする他なかったのだった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る