番外編⑦ いさやくんななさい 後編
「ほら、早く来なさい」
「お、おぅ……」
俺は今現在、自室のクイーンサイズのベッドに座ったお嬢に招かれている。
風呂上がりの彼女は長い金髪を二つ結びにして、レースとフリルが特徴の白のネグリジェを着ていた。
恋人との逢瀬という場面において、まさに打って付けとも言える雰囲気だろう。
──肝心の俺が幼児化してなけりゃなぁっ!!
結局、奴隷の俺がお嬢の決定に逆らえるはずもなく、こうしてご主人様との
一緒に風呂に入るのはなんとか説得して避けられたけど、添い寝だけは回避出来なかったのである。
なので俺も今は寝間着だ。
明日の朝に元に戻るので自分の服に着替えている。
既に女装姿からは解放されているのだが、お嬢には少し不満げな顔をされた。
なんでだ。
まぁそんなことはさておき、俺は命令通りにお嬢の隣へと座って──ってベッド柔らか!?
え、なにこれ手が沈むんだけど?
めちゃくちゃフワッフワしてる。
愕然とする俺の反応が面白いのか、お嬢はクスクスと笑みを零す。
「公爵令嬢が使うベッドよ? 最高級品に決まってるじゃない」
「絶対寝心地いいヤツじゃん……羨ましい」
「だったら明日からあたしのヘッドで一緒に寝る? イサヤなら大歓迎よ」
「っ……前言撤回。緊張して寝れなさそう」
「あら残念」
手の平を返されたにも関わらず、お嬢は大して残念がった素振りを見せずに微笑んでいた。
今でさえドキドキしてるのに、毎晩とか寝不足になりそうだ。
え、サクラとリリスとも一緒に寝てるだろって?
二人とは大抵、行為後の疲れから睡眠欲が勝ってるだけで、断じて慣れた試しが無い。
情けないこと言ってる自覚はあるけど、言い訳したところで恋人達にはお見通しなのではぐらかすだけ無駄だ。
そんな弁明をしている間に、お嬢はグッと腕を前に出して伸びをする。
「それにしても勿体ないわねぇ、明日で小さいイサヤともお別れだなんて。結局、一度も『お姉ちゃん♡』って呼んでくれなかったし」
「惜しむ理由そこかよ。中身は元のままだし、普通に恥ずかしいから言えるワケないだろ」
「呼び方で照れるなんて、イサヤもまだまだね」
「この……っ」
煽るような言い草に堪らず眉を顰める。
小さくなったせいか、普段だったらなんとも思わないようなことに引っ掛かってしまう。
そこまで言うならやってやろうじゃねぇか。
反発心に突き動かされるまま、俺はお嬢を見据えながら口を開いた。
「どうせ言うなら俺は、え、エリナって呼びたいんだよ」
ああああああああ!!
どもったせいでめちゃくちゃ恥ずかしい!!
顔から火が出そうになるのを懸命に堪えながら、呼び捨てにされたお嬢の様子を見やる。
彼女は紅の瞳を丸くしていた。
そこから…………特に何も変わらず真顔のままだった。
あるぅれぇ~~?
なんかスベった~?
ダラダラと背中に冷や汗が流れる中、クスっと小さな声が耳に入る。
それはお嬢が堪えきれずに噴き出した声だった。
「アッハハハ! 元の姿ならともかく、今の小さい姿だと背伸びしたい子供にしか見えないわよ」
「~~~~っ、そ、そんなに笑うことないだろ!」
「あ~それダメ! ムキになって反論するとこが余計に子供っぽくて笑っちゃう!」
「ぐ、ぐぐ……!」
反論しても笑われてしまい、羞恥心も合わさってぐうの音しか出なくなる。
せめてもの抵抗としてそっぽを向くが、お嬢の笑い声は止みそうにない。
そうしてしばらく聞こえていた彼女の声が止まった。
「イサヤ」
「え? うわっ!?」
それと同時にお嬢から呼び掛けられた途端、後ろに引かれた俺はベッドに横たわる姿勢になった。
ボフッと柔らかな感触に意識が向いたのも束の間、目と鼻の先にお嬢の可愛らしく整った顔が迫る。
急な接近に驚いて目を丸くする俺に、彼女はイタズラが成功した子供みたいな笑みを浮かべた。
「なぁに? 見惚れてたの?」
「っ……分かってるなら言うなよ」
「ふふっ。アンタって本当にからかい甲斐があるわよね」
「やられてる側からすれば納得いかないんだけど」
「愛嬌があって良いじゃない。あたしは好きよ」
「あぁもう……」
ふて腐れる俺の言い分に、お嬢はそこが良いと吐露する。
もうお手上げな形勢に目を逸らして頭を掻くのがやっとだった。
ほんと、良い性格してる。
内心でそんな悪態をつくが、どうせ声に出したところで『そうだけど?』とか言って来そうだ。
だから敢えて黙ってるんだけど……なんかこれもバレてる気がして来た。
詰みを感じて観念していると、背中に手が伸ばされたと同時に体を抱き寄せられる。
気付けば俺はお嬢に抱き締められていた。
風呂上がりだからか、いつもの甘い香りがさらに甘さを増しているように感じる。
加えて顔を胸元に抱えられる姿勢なので、確かな柔らかさが顔面を覆う。
唐突な抱擁に心臓がバカみたいに騒ぐ始末だ。
「お、お嬢?」
「小さくなってるから抱きやすいわね」
戸惑う俺の声を聞いていないのか、お嬢は場違いな感想を口にする。
なんだそれ、と思った矢先だった。
「──でもやっぱり、いつものイサヤが一番ね」
「……へ?」
不意に告げられた言葉がすぐさま理解出来ず、素っ頓狂な声を漏らしてしまう。
どういうことだろうか?
そんな問いを察したのか、お嬢は腕に力を込めながら続ける。
「さっき名前で呼んでくれたけど、あまりしっくりこなかったのよ。だってアンタから呼ばれるなら、お嬢の方が何倍も嬉しいもの」
「そんなに?」
呼び捨てにしても真顔だったのはそういう理由だったらしい。
予想外の答えに困惑する俺に、お嬢は優しげな笑みを湛える。
「知らなかったでしょ? 呼び方だけじゃない、あたしより身長も手足も大きい元の姿の方が好き。今の姿じゃ物足りなくて不満なのよ?」
「好きで小さくなったワケじゃないんだけど……その、ありがとう。で、良いのか?」
「聞き返さなかったら百点だったわね。っま、ごめんなさいって言わなかっただけ大目に見てあげるわ」
「……それは良かった」
お嬢達と付き合いだしたことで、少しは自分を卑下する悪癖も治ってきてるようだ。
そんな感傷に浸っていると、さっきまで気にならなかった眠気が襲ってきた。
それはお嬢も同じだったようで、彼女は小さくあくびをしてから俺と目を合わせる。
「そろそろ寝ましょうか」
「そうだな。ジャジムさんの言うとおり、明日の朝に体が戻ってると良いんだけど……」
「アイツの見立ては確かなんだから問題ないわ」
「まぁ、いずれにせよ寝るしかないか」
「それが良いわ」
雑談も程々に、俺とお嬢は互いに向かい合って毛布を被る。
ベッドに入る前はあんなに緊張していたのが嘘のように落ち着いていた。
「おやすみ、イサヤ」
「おやすみ。お嬢」
そんな挨拶を交わしてから目を閉じる。
寝入るか不安だったけど、杞憂だと分かる前に意識は眠りに沈んでいった。
========
「んん……」
水面に浮かぶような感覚と共に、あたしは小さな呻き声を漏らす。
なんだか体が凄く温かい……いつものベッドじゃないみたい。
どうしてなんだろうかと目を開けてみたら……。
「!」
目の前の光景を視認した途端、思考に掛かっていたモヤが一気に晴れていった。
何せあたしはイサヤの──それも元の姿の──腕の中に抱かれていたからだ。
流石にこんな不意打ちは動揺しない方が難しい。
深呼吸をしても落ち着くどころか、イサヤの匂いも吸い込むせいで余計にドキドキしてしまう。
これはダメだ、あまり匂いを嗅いでいると吸血したくて歯が疼きそうになる。
吸血したらサクラ達に厳命した立場が台無しだ。
でも……。
「今なら、誰も邪魔出来ないわよね……」
そう、これは同じベッドで寝たことで起きた事故みたいなモノ。
だから多少は何かあっても不思議じゃない。
そんな言い訳を脳裏に浮かべつつ、あたしはイサヤの鎖骨に顔を埋める。
屋敷に来てからすっかり良くなった肉付きと血色、背中に回されているたくましくて大きな手、寝間着の隙間から微かに見えるあたしが付けた吸血痕……。
全部、愛おしくて堪らないあたしの好きなところ。
「──やっぱり、一週間に一回くらいは一緒に寝て貰おうかしら」
なんて言ったら、アンタは一体どんな顔をするでしょうね?
好きな人の色んな表情を浮かべつつ、あたしは至福の時間を目一杯に堪能するのだった……。
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