俺は奴隷でありエサであり、三人の彼女の彼氏でもある


 ──奴隷の朝は早い。


 午前五時、起床して朝支度を済ませる。

 朝食の下拵え、玄関の掃除、窓を開けて換気といった早朝の業務を片付けていく。

 そうして七時になったらご主人様の目覚めを促すのだ。

 部屋の前に立ってドアを三回ノックしてから、中に居る彼女へ声を掛ける。


「おはよう、お嬢。朝だぞ」


 主人に向ける言葉としては不敬だが、当人から許可は貰ってる。

 程なくして中から声が聞こえて来た。


『……入って良いから起こしてちょうだい』

「もう起きてんじゃん……」


 呆れを隠せないものの、主のお願いとあっては断れない。

 種族柄、朝に弱いとか聞いたことは無いから単に気持ちの問題だろう。


 ともあれ入室の許可も貰った俺はドアを開けて中に入る。

 燦々とした朝陽が窓から射し込んでいて、これなら俺が来るより早く起きていても不思議じゃない。

 一人暮らしの部屋よりも広い間取りは未だに慣れそうにないが、窓際にあるクイーンサイズのベッドに目を向ければ、一人分が包まってる膨らみが映った。


 分かりやすい寝てますアピールに苦笑しながら、一応は寝てる相手への体裁としてゆっくりと近付いていく。


「おはよう、おじょ──うっっ!?」

「はい捕まえた♪」


 ベッドの膨らみへ手を伸ばした瞬間、飛び出したお嬢に抱き着かれた。

 そのままベッドへと引っ張られ、茫然とする俺を微笑ましそうに見つめる彼女と目が合う。


 寝癖一つもない煌びやかな金髪、ルビーみたいに円らで透き通った深紅の瞳、年相応に可愛らしく整った顔立ちは寝起きだろうと一ミリも損なっていない。


「改めておはよ、イサヤ」

「……おはよう、お嬢」


 イタズラ成功という風に笑うお嬢の挨拶におずおずと返す。

 彼女こそ奴隷になった俺の飼い主──エリナレーゼ・ルナ・スカーレットである。


 三十年前から地球と交流している異世界において、絶大な権威を持つ公爵家の令嬢かつ、貴族社会では十四歳でありながら才女として有名な少女だ。

 今住んでいるこの屋敷も、公爵家が地球で保有している別荘の一つと聞いている。


 お嬢の最たる特徴を挙げるなら、他人の血を吸い自らの生命力とする吸血鬼であることだろう。

 そしてこうしてお嬢が密着してきたということは……。


「朝食の前にイサヤの血を吸ってもいいかしら?」

「聞く前に捕まってるし、聞きながらシャツのボタン外してるのに答える意味ある?」

「分かってるなら遠慮は要らないわね。じゃ、頂くわ」

「いっ……少しくらい遠慮してくれませんかねぇ!?」


 躊躇無しに左の首筋に歯を突き立てられ、皮膚を容易く破っていく。

 文字通り刺す痛みに一瞬だけ顔を歪ませてしまう。

 もう百回以上は経験してるけど、注射みたいにこの瞬間はどうしたって慣れない。


 だが痛いのは束の間で、身体の熱を吸い上げられる感覚が起きる。

 噛まれている箇所が火傷しそうなくらい熱くなり、代わりに手足の指先が少しだけ寒くなってきた。

 もはや親しみすら覚える吸血される感覚だ。

 吸血する体勢上、密着する必要があるのでコクコクと喉を鳴らす音が聞こえる。 


 俺は空いている手をお嬢の後頭部に回す。

 少しだけ彼女が身を寄せて来て、さっきまで毛布で温まっていた高めの体温が服越しでも伝わってくる。


 なので当然ながら、お嬢にも熱くなってる俺の体温が伝わってるワケで。

 吸血中は痛みを和らげるために、血を吸うのと同時に麻酔のような体液を注入される。

 しかもそれは吸血対象にとって甘美な快感を齎す作用もあるのだ。


 当初こそ滾る熱に苛まれたり浮かされたままやらかしてしまったが、経験を積んだことで多少なら理性で抑えられるようになっている。

 何はともあれ思い返している間に、気付けばお嬢は吸血を終えていた。


 朝から小腹を満たせて嬉しいのかお嬢の表情は満足げだ。


「ふぅ~これでスッキリ目覚めたわ。ありがとね」

「吸血を目覚まし代わりにしてたらサクラに怒られるぞ」

「毎日じゃないしあの子もしてるんだから良いでしょ? それに……」


 言いながらお嬢は俺の首筋に作った吸血痕に指を這わせる。

 程なくして離した指先には少しだけ漏れ出たらしい俺の血が付いていて、彼女はそれをパクリと咥えた。

 白くて小さな指を舐める仕草はどこか扇情的だ。


 思わず見惚れている俺に、やや愉悦を帯びた深紅の瞳が向けられる。


「吸血鬼のアタシからすれば、と交わすおはようのキスと同じ価値があるんだから」

「っ……」


 先の吸血を口付けと同義され、堪らず胸が高鳴ってしまう。

 顔に集まった熱から察するに絶対に赤面してる。

 その反応が面白いのか、お嬢はクスクスと笑みを零す。 


 ようやく起きた彼女は着替えるため、部屋から出るように言われた。


「恋人、ねぇ……」


 部屋を出た俺は首元を直しながらそう呟く。

 彼女の言った恋人というのは揶揄ではなく事実だ。


 俺は奴隷の身ではあるものの、婚姻を前提にお嬢と交際している。

 普通なら分不相応だと非難されそうだけど、伴侶として奴隷を買うのは何も珍しくないらしい。

 本当に俺が相手で良いのか……なんて悩みはとうに乗り越えている。

 だからこそお嬢の恋人になってるワケだし。


 そんな風に思い返しながら学校へ行く準備をするため、自室に戻って制服に着替えに行くことにした。

 着替えを済ませたのと同時に部屋のドアがノックされた。


 ドアを開けた先にいたのは……。


「おはよぉ~、いっくん~」

「おはよう、リリス」


 同じ公爵家で使用人として働き、同級生でもある咲葉さきばリリスだった。


 ピンク色の髪をツーサイドアップに束ねていて、紫の瞳は垂れ目気味ながらにこやかに細められている。

 女性の使用人ということでメイド服なのだが、その構造はコスプレ衣装などで見る胸元や太ももが露わなミニスカタイプだ。

 何より際立つのは圧倒的な大きさのある胸だろう。

 デカい、本当にデカい。


 男なら誰でも目を向けてしまいそうなソレから視線を逸らす。

 しかしそうするには既に遅く、視界の端でリリスがイジワルな笑みを浮かべながら自らの胸を持ち上げた。


「あれぇ~? 今ぁ、リリの顔の後でどこ見たのぉ~?」

「っ、どこのことだかさっぱりだよ」


 苦し紛れに否定するが、リリスはまるで信じた様子はない。

 それどころか俺の腕に抱き着いて胸がぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?


「何してんだ!?」

「ん~? 見ての通りだけどぉ~?」


 突然の行動に驚愕する俺と対照的に、リリスは余裕を感じさせる笑みを見せた。

 そうしてる間にも人の腕をグイグイと胸を押し当ててくる。


 リリスの胸は布越しでありながらふわふわとした柔らかさだ。

 むしろその大きさ故、逆に俺の腕が挟まれてるといっても過言じゃない。

 離れれば良いと頭で分かっていても、引き離せない抗い難さに苛まれる。


「あはぁ~♡ いっくんの顔真っ赤だぁ~」

「そっちは愉しそうな顔だな……」

「だっていっくんのドギマギする顔、面白いんだもぉ~ん」


 鼓動の加速を感じながら必死に繕うが、そんな様子すらリリスの嗜虐心を煽るだけだ。

 顔を逸らして抵抗の意志を示す俺に構わず、彼女はそっとこちらの右耳に顔を寄せて来る。

 あ、ヤバい。

 と思った時には遅かった。


「──昨日貰った精気、とぉっても美味しかったよぉ~♡」

「うわっひぃっ!?」


 鼓膜を擽るようなウィスパーボイスに、背筋にゾワリとした形容出来ない感覚が走る。

 彼女によって弱点と化した耳から伝わる刺激に堪らず声を漏らしてしまう。


 バッと弾かれるように身を離し、敏感な右耳を手で覆いながらリリスを睨む。

 だが当人は意地悪な微笑みを浮かべるだけで『日直だから先に行くねぇ~』と手を振って去って行った。

 残された俺は長い息を吐いて気を落ち着かせる。


「人の恥ずかしがる顔を見るのが好きだからって、朝から迫られると心臓に悪い……」


 変わらないサディストぶりに嘆息するしかない。

 けれども仕方ないというのも理解している。

 何せリリスは俺の精気を吸うことで生きているのだ。


 その理由は彼女が吸血鬼のお嬢とは別の種族……異性の精気を生命の糧にする夢魔サキュバスだからだ。

 またの名を淫魔とも称される所以として、精気を得る手段は専らそういった行為をするのが一般的とされている。


 けれどもリリスは普通のサキュバスとは違う価値観の持ち主だ。

 それは同種族の母親と地球人の父親が、恋愛結婚の果てに結ばれたことに起因している。

 両親の馴れ初めに感じた憧れを信じ続けた結果、紆余曲折あって俺と交際するに至った。


 ……お嬢とも付き合ってるのに他の女子とも付き合って良いのかって?


 異世界と繋がって以降、法改正によって特定の条件をクリアすれば一夫多妻などは認められている。

 地球じゃまだ馴染みが薄いけれど、異世界だと当たり前のことなんだとか。

 当たり前のように結婚を見据えた思考をしているが、お嬢達は離そうとしないし俺も離れる気は無いから必然的なことだ。


「って、もう時間か」


 そうこうしている内に登校時間が近付いていた。

 カバンを持って屋敷の玄関まで進むと、そこには既に準備を済ませた一人の美少女の姿があった。


 光り輝いてるように錯覚するほど綺麗で長い銀髪、鮮やかで涼しげなくれないの瞳、紺色のブレザーと茶色のチェック柄の膝丈スカートの姿は、俺とリリスが通う学校の女子制服だ。

 特にその顔立ちは精巧な人形と見紛う程に整っていて、佇まいも気品があるため近寄り難い雰囲気を漂わせている。

 尤も出会った当初と比較するとだいぶ柔らかくなっているのだが。


 なんて思案していたら向こうも俺の気配に気付いたようで、目が合うと礼儀正しい所作で会釈する。


「おはようございます、伊鞘君」

「おはよう、サクラ」


 彼女──緋月あかつきサクラに挨拶を返す。

 今でこそ制服だがリリスと同じく公爵家に仕えているメイドの一人だ。

 メイドとしての能力はまさに一流で、俺の業務指導も担ってくれた。


 そしてサクラもまた、お嬢と同様に吸血鬼である。

 より正確に言えば後天的に吸血鬼になった元地球人なのだが、そこは俺にとって重要じゃない。

 大事なのは彼女も俺と付き合っている恋人の一人だということ。


 はい、要は三股です。

 おかげさまで奴隷になる前とは比べものにならないくらい幸せだけど、学校では大半の男子に嫉妬されている状況に陥っている。

 何せ俺達の通う泉凛せんりん高校において、サクラとリリスは二大美少女として学年問わず注目の的だからだ。

 そんな彼女達を両手に抱えた俺を敵視するのも当然の流れというわけである。


 十中八九、今日もまた男子達から射殺さんばかりに睨まれるんだろうなぁ。

 容易に浮かぶ光景に朝から憂鬱を禁じ得ない。

 そうして思考に耽っていると、不意にサクラが俺の胸元に顔を近付けた。


 スンスンと小さく鼻を鳴らしてから、ジトーッとやましい場面を見つめるような眼差しを浮かべる。


「エリナとリリスの匂いがします……」

「うっ」


 責め立てるようなサクラの口振りに、俺は浮気がバレたクズ男みたいに息を詰まらせてしまう。

 たった数分の接触だったのに匂いで分かるの?

 脳裏に浮かんだ疑問を察したのか、サクラは呆れたという風にため息をつく。 


「普通は簡単に移りませんよ? 抱き着いたりするようなことがなければの話ですが」

「……すんません」

「べ、別に伊鞘君を責めてるワケではありません。ただ私だけ仲間はずれみたいなのは……やです」

「っ」


 拗ねるような、けれども寂しさを隠しきれず吐露する態度に堪らず心臓が高鳴る。

 普段はクールで真面目なのに、こういう時は妙に子供っぽいというか甘えん坊になるギャップが凄まじい。


 悶絶してる場合じゃないって分かってるのに、ドキドキさせるようなことを言われて動揺しないなんて無理だ。

 ともかくどうやって機嫌を直して貰おうか思案しようとした矢先、何かに気付いたのかサクラに目を向けられる。


「伊鞘君、ネクタイが歪んでますよ」

「え、本当か?」

「はい。時間も無いですし、私が直しますね」

「えっと、じゃあ頼む」


 気を遣わせてしまったと内心で反省しつつ、サクラの願いを了承する。

 そのまま彼女は俺の制服に手を伸ばす──と見せかけて両頬に添え、一気に自らの顔へと引き寄せた。


「んっ」

「んんっ!?」


 当然、そんな動きをすれば互いの唇が重なる。

 唐突かつ柔らかなキスの感触に目を見開いてしまう。

 対するサクラは目こそ閉じているものの、顔が赤く染まっているのが分かる。

 明らかに照れてるのだが、キスをしてる状態では指摘することも出来ない。


 唇から伝わる体温が同等になった頃合いで、サクラはソッと顔を離した。

 改めて目を合わせた彼女の表情は、触れたら火傷しそうなくらいに真っ赤だ。

 そんなに恥ずかしがるならしなければいいのに、なんて野暮なことはとても口に出来そうにない。


 それくらい俺達の間に漂う空気は気まずいやら気恥ずかしいやら、とにかく破りづらい静寂で満たされていた。

 でもいつまでも黙ってるワケにはいかない。


「ね、ネクタイは?」

「っわ、私の勘違い、でした……」

「そ、っか……」


 敢えてキスのことを避けて話題を振ってみたが、可愛い種明かしを受ける結果となった。

 つまりリリス達を羨ましがって、キスをするためだけに嘘付いたってこと?

 なにそれ可愛いかよ、俺の彼女最高か?


 手で口元を覆ってニヤけそうな頬を抑えていたら、サクラに手を繋がれた。

 自分の手とは段違いに柔らかい感触に驚いて目を丸くしてしまう。

 見やった彼女は恥ずかしさからか、顔を赤らめたまま視線だけ外していた。

 それでも手を離す素振りはなく、むしろギュッとより力を込めながら顔色と同じ紅の瞳が俺をジッと見据える。


「その! 今夜は私の番、でしたよね?」

「あ、あぁ……」

「ですので、えぇっと……」


 瞳を右往左往させて何かを言い淀む。

 何を言われるのかドキドキしている俺の耳元に、サクラはゆっくりと顔を寄せて……。


「たくさん──甘えさせて下さいね?」

「っ!?」


 囁かれた予告に堪らず息を呑んだ。

 付き合ってからは平時でも凄まじいが、吸血前後のサクラは特に甘えて来る傾向が強い。

 しかも吸血する際は首筋から吸う都合上、どうしても密着する必要がある。


 ……今晩も理性が試されそうだ。


「お、おぅ……まかせとけ」


 内心で嬉しい悲鳴を上げながら、精一杯の笑顔を繕って答える。

 返答を受けたサクラは赤い顔を伏せ、その口元は確かな喜びを表していた。


 今までの会話である程度察せられるだろうが、俺には奴隷として重大な役目を担っている。

 それはサクラ達、異種族の女の子達が地球で不便無く過ごすために血と精気を提供すること。

 即ちエサ役である。

 恋人になってからもその役目に代わりはなく……いや、恋人だからこそ他の誰にも任せたくない大事なことだ。


 日中は学校生活、放課後は屋敷で働き、夜はエサ。


 これが俺──辻園伊鞘の日常だ。


 =======


 おさらいも兼ねたから盛々ですまんね。

 次回は12月15日に更新です。

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