番外編⑤ いさやくんななさい 前編
それはある日の朝。
目が覚めるや否や全身に妙な違和感があり、恐る恐る自分の体を見下ろした。
そうして視界に映ったのはブカブカになった大きな寝間着で、手足はどちらも中に収まってしまっている。
おかしい……寝る前は普通にサイズピッタリだったはずだ。
背中に冷や汗を感じながら袖を捲って手を出す。
だが俺の両手は子供みたいに小さくて、慌てて裾も捲ると足も小さくなっていた。
──いやいやいやいや、待って待って嘘でしょ?
脳裏に過った可能性を否定しながらも、俺はベッドから降りた。
……その動作でさえ、少し手間取ってしまったが気にしてはいけない。
ダボダボのズボンに足を引っ掛けて転んでも意に介しちゃダメだ。
段々と言い訳が利かなくなって来たが、それでもなけなしの希望を胸に部屋の隅に設置されている姿見の前に目を閉じたまま立つ。
普段は仕事着である燕尾服を着る時に使っているのだが、今だけは鏡に映る自分を見たくないと思ってしまう。
そんな恐怖を押し殺しながらゆっくりと瞼を開けると……。
──鏡には七歳くらいの小さな子供が映っていた。
「なんじゃこりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!?」
鏡の前で子供は……何故か縮んだ俺は朝にも関わらず大声で嘆くのだった。
==========
「い、一体何が起こったのでしょうか……?」
「あたしにもさっぱり。幻覚とかじゃなくて、本当に小さくなってるわね」
「あはぁ~、いっくんカワイイぃ~♡」
「ぐぐ……」
あんな悲鳴を上げれば、同じ屋敷に住んでいるお嬢達に気付かれるのも当然だ。
今は駆け付けて来た三人に囲まれる形で見つめられていた。
明らかに面白がってるリリスに頬を突かれ、呻き声を上げてしまう。
「おぉ~ほっぺモチモチだぁ~」
「どれどれ……あ、ホント。ずっと触ってたいくらい柔らかいわ」
「わ、私も失礼します……!」
「ちょ、当人より順応早くない!?」
リリスに続いてお嬢とサクラも遠慮無しに頬を突いて来る。
普段だったら恋人とのじゃれ合いのはずが、子供の姿になったせいで年上の美少女に弄られる少年みたいな絵面だ。
少なからず羨む人が出そうだが、弄られてる俺としてはくすぐったくて仕方が無い。
恋人が突如として幼児化したっていうのに、なんかいつもと変わらない空気感で俺も落ち着いて来た。
もっと深刻に捉えて欲しかった気持ちはあるが、変に心配掛けるのも違うだろうと呑み込んだ。
何はともあれ原因究明は必至だろう。
突くのが終わってから改めて経緯を振り返ることになった。
とは言っても……。
「俺、昨日は普通に過ごしてた記憶しかないんだけど」
「そうよねぇ。仮に屋敷に不審者が来たとしても、ジャジムの防犯魔法具を潜り抜けるのは不可能に近いわよ」
お嬢の言うとおり、俺達の住んでいる公爵家の別邸にはジャジムさんが仕掛けた防犯魔法具がふんだんにある。
それらを掻い潜って侵入するなんて、俺の知ってるS級冒険者でも骨が折れるはずだ。
故に外部の線は無くなり、残るのは内部ということになるのだが……。
「……俺を子供にするメリットってある?」
「さぁ~?」
「ちなみに昨日、最後にイサヤと会ってたのは誰?」
「私です。でも伊鞘君に変わった様子はありませんでしたし、したことと言えば別れ際に、き、キスくらいで……」
「あら仲睦まじいこと。あたしの後にサクラともキスしてたのね?」
「リリは夕飯の後なのにぃ~」
「……」
赤い顔を伏せるサクラを尻目に、お嬢とリリスから微笑まれる。
どうしてだろう、二人の表情は笑ってるのに目が笑ってないように見えるよ?
傍から聞いたらとんだ三股クソ野郎みたいだな、俺。
いや全然合意の上で三人と付き合ってるし、異世界交流の一環で一夫多妻も認められてるんだからセーフだし。
なのにこうして睨まれると居たたまれないのは、地球人としての価値観が拭えていないからだろうか。
……今は子供だから許してくれないかなぁ?
そんな現実逃避をしてしまうほどに怖かった。
「はぁ、今は後回しにしましょう。どうやって戻れるのか分からない以上、解決するまでイサヤは学校を休むべきね」
「そうなるよなぁ」
不満を口にしても仕方ないと思ったのか、お嬢はため息をつきつつ今後の方針を告げる。
彼女の言うように子供の姿で登校したら大騒ぎになるし、そもそも入ることも出来ないだろう。
中間考査の後なのがせめてもの救いだが、期末考査までに戻る方法を見つけないといけない。
そうでなくとも出席日数が足りずに留年なんてしたら目も当てられないぞ。
「はいはぁ~い! だったらリリがいっくんの看病しまぁす」
頭を過る不安要素に身を震わせていると、リリスがにこやかに挙手をした。
何か案があるんだろうが、率先して名乗り出られると何か企んでいるのかと身構えてしまう。
日頃の行いって大事だなぁ……。
「いや子供になっただけだから別に必要ないだろ」
「そんなこと言わずにぃ~。お風呂の時とか大変でしょ~? だからおねぇさんが色々とお世話しなきゃって心配なだけだよぉ~」
「人の下半身にそんな妖しい視線向けながら言われても説得力ねぇよ!」
案の定、碌でもない狙いがあると悟ったので却下した。
こんのサキュバス、見た目は幼気な子供に対しても遠慮が無いな!
風呂限定だったりおねぇさんだのお世話だの、中身まで幼児化してたら性癖が歪むわ。
「むぅ~小さいいっくんと会える機会なんてぇ~、今後は無いんだし少しくらい良いでしょ~」
「こんな時くらい我慢する節操を持ちなさい」
「はぁ~い」
バッサリ断られたリリスが不満を露わにするが、呆れた眼差しのお嬢にも窘められたことで渋々折れた。
ひとまず助かった……と思いきや、不意に背後へ勢いよく引っ張られてしまう。
「リリスに任せるくらいなら私が伊鞘君の看病をします!」
「さ、サクラっ!?」
焦燥感のある声音から引き寄せたのはサクラだと分かった。
背後から抱き抱えられた俺を、サクラが慈しみに満ちた優しげな眼差しで見下ろす。
「大丈夫ですよ、伊鞘君。何があっても私が絶対に守り通して見せますから」
「んな大袈裟な──」
「無いなんて言わせません。今まさにリリスから誘惑されてましたよね?」
「それは……」
「伊鞘君は今の自分がどれだけ可愛いのか自覚して下さい」
「ん?」
なんか雲行きが怪しくない?
そう思った時にはサクラの両腕にさらなる力が込められた。
「体も手足もこんなに小さくなって……誰かが見守っていないと簡単に壊れてしまいそうです」
「小動物か俺は」
「ですから私がこの子を守ると決めたんです!」
「なんか目覚めてない!?」
母性からか守護る決意に満ちたサクラに困惑を隠せなかった。
予想外の言動にお嬢もリリスも揃ってポカーンっとしてしまっている。
しかし何よりの問題は強く抱き締められたことで、後頭部に彼女の胸が押し当てられていることだ。
頭部も小さくなったからか随分と収まりが良い……じゃない!!
男子高校生の中身が感じた喜びを払い、なんとか離れようとする。
だが悲しいことかな、幼児化した肉体ではサクラの腕から逃れようとも全くの無力だ。
いや決して頭に伝わるフワフワな感触を堪能する言い訳とかじゃない。
ないったらない。
「サクラ。イサヤを放して」
「でも──」
「放して」
「うぅ……」
複雑な心境から身動きが取れないでいる内に、お嬢から命令されたサクラが拘束を解いた。
残念──じゃなかった、無事に解放された俺はお嬢の隣へと移動させられる。
お嬢は呆れた面持ちでサクラとリリスを見やりながら続けた。
「イサヤの面倒はあたしが看るから、二人はちゃんと学校に行きなさい」
「えぇ~!? エリナお嬢様だって学校行ってないのにズルいですぅ~!」
事実だけど言い方。
分かってると思うけど、学力ならお嬢の方が上だからな?
「高校卒業資格を取ってるんだから行く必要ないだけよ。それに三人とも休んだら要らない勘繰りを受けるに決まってるでしょ。イサヤにやっかみを飛ばさないためにも、登校しておいた方が良いわ」
「仰るとおりです……」
「はぁ~い……」
横暴だと抗議するリリスにお嬢がジト目を向けつつ返した。
その言葉に反論の余地はなく、サクラも揃って項垂れながら登校を承諾する。
まぁ俺としても万が一感染とかして、彼女達も幼児化してしまうよりはマシだ。
渋々ながらも登校準備のためにサクラとリリスは部屋を出て行った。
残った俺とお嬢は改めて顔を合わせる。
「さて。幼児化の原因は全く手掛かり無しだけど……ここは年長者の知恵を借りに行きましょう」
「賛成」
というワケで俺達は御年二五十歳の料理長であるジャジムさんの元へ向かおうとしたのだが……。
「そういえばアンタ、服どうするの?」
「あ」
お嬢の指摘に間抜けな声を漏らしてしまう。
子供の姿では普段着ていた服が着れない。
そんな至極当たり前のことに今になって気付かされ、厨房へ行く前に服を調達する羽目になるのだった。
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