お嬢はいい女です



「おはよう、イサヤ」

「お、おはよう。お嬢」

「えぇ、良い朝ね」


 執務室に入ると、ソファに座ったお嬢が優雅にお茶を飲んでいた。

 何を言われるのか怯えながら挨拶を返すが、彼女はたおやかな笑みを浮かべるだけだ。


 怒られるとか杞憂だったか?

 そう安堵したのも束の間、お嬢はカップをソーサーに置く。

 たったそれだけの所作なのに、どうしてか背筋を正さずにいられなかった。


「まずはおめでとう。ようやく踏ん切りが着けられたようで何よりだわ」

「え? あ、あぁ。ありがとう」

「そしてお姉ちゃんを受け入れてくれてありがとう。義妹として感謝してる」

「いや、こっちこそ。俺を選んでくれて良かったって思ってるから」

「ふふっ。それじゃお互い様ってことね」


 思いの外、和やかに話が進んでいく。

 お嬢としては義姉の恋の行く末に安心したみたいだ。


 首筋の吸血の意味を教えられた時から、なんだか遠回りしてばかりだったからなぁ。

 自分が発端というのもあって随分と心配させていたようだ。


 なんて内心で胸を撫で下ろした瞬間だった。


「まぁ交際したその日の内に行為に及ぶのはどうかと思うけれどね」

「その件については誠に申し訳ございませんでしたぁぁ!!」


 その場で素早く土下座を披露して誠心誠意の謝罪をする。

 いやもうホントにごめんなさい。

 普段の吸血と吸精で耐えきってたし、自制心は強い方だって自惚れてました。


 平身低頭の俺の前に、お嬢が肘を曲げて頬杖をつきながら続ける。


「そこまで卑屈にならなくても良いわよ。吸血鬼と付き合った人間なら誰だって伊鞘みたいになるもの。むしろ普段からの吸血と吸精に耐え続けてた方が異常だし」

「異常だったんだ……」


 確かに常人じゃ耐えきれないだろうけど、そこまで言う?


「ましてやイサヤの貞操観念を考えたら、するにしても付き合ってからって思ってそうじゃない? 交際してからすっ飛ばしはしたけど、そこまではちゃんと段階を踏んでたんだから責めたりしないわよ。現にあたしの施した命令に逆らったはずなのに、なんともないのがその証拠でしょ?」

「うっっわ!! そういえばそんな命令あったな!?」


 言われた瞬間、全身に冷や汗が流れ出す。


 お嬢には奴隷の証である魔法紋へ、サクラとリリスへ手を出さないように命令されていた。

 逆らった場合は身体中に激痛が走るはずだが、サクラと一夜を明かしたにも関わらず何も起きていない。

 え、なんで無事なの俺。


 思わぬ不意打ちを喰らって肝を冷やす俺に、お嬢はあっけらかんとした面持ちで答えを口にする。


「あたしが禁止したのはイサヤから一方的に襲うことよ。相手の合意があった場合には制限を掛けてないから、結果的に違反したことにはならないってワケ」

「そんな抜け穴があったんだ……」


 前にリリスが自分達から襲ってもペナルティにはならないって言ってたっけ。

 案外、主人の命令っていうのも拘束力は強くないらしい。


 とは言っても、お嬢から魔法紋を通した命令はその一つ以外は無いんだけど。

 安堵する俺の表情を見ながら、彼女は立ち上がって両手を広げる。


「っま。お姉ちゃんと付き合ってリリスの告白も受けたなら、その命令も解除した方がアンタも安心でしょ? 撤回してあげるからこっちに来なさい」

「か、畏まりました」


 お嬢の指示に従って近付く。

 こころなしか緊張を覚えながらもお嬢の前に立つと、彼女は俺の左胸に手を当てた。


「『命令解除』。これでイサヤから襲ったとしても問題ないわ」


 その言葉通り、魂の一部を縛っていた鎖が解けたように感じた。

 忘れてたから全く意識してなかったけど、心が軽くなったのは確かだ。


 それよりもちょっと引っ掛かることがある。


「自分の恋人に襲ったりしないって」

「ついでに『浮気禁止』って命令もしておこうかしら?」

「施された瞬間、全身が悲鳴を上げそうだからやめて」


 サクラとリリスの二人と付き合ってる状態だから、既にアウトなんだよ。


「冗談よ」


 後退りしながら制止を求めると、お嬢はクスクスと手で口元を覆いながら笑みを零す。

 どうやらからかわれたみたいだ。

 サクラでさえたまに冗談でからかって来るけど、俺ってそんなにからかい甲斐あるの?

 自分から聞くのはなんか癪なので何も言えずに頭を掻くしかなかった。


 そうしてガラ空きになった胴へダイブするように、お嬢がギュッと抱き着いて来た。


「お、お嬢?」


 唐突な接触、柔らかさのある温もり、フワリと漂う女の子の良い匂い。

 それらに驚愕して戸惑っていると、背中に回された腕に力が込められる。


 行き場の無い両手を上げたまま困惑している内に、お嬢は俺の胸に顔を埋めたまま見上げ出した。


「ねぇ、イサヤ。お姉ちゃんとリリスと付き合うなら、あたしにも一言伝えるべきことがあるんじゃないかしら?」

「……分かってるよ」


 ここでとぼけるなんて無粋な真似はしない。

 命令解除はついでで、呼び出した本命は別にあることくらい重々承知している。


 本来ならもっと早く返事を求めたいのに、俺の意思を尊重して待っててくれた。

 結果的に付き合う以外の選択肢がないとはいえ、ちゃんと心の準備をする時間は貰っていたのだ。

 そしてその時間もサクラに返事をした時点で終わった。


 リリスの時もそうだったが、こんな短時間で三人目の恋人を作って良いのかという不安はある。

 ましてや相手は公爵令嬢でご主人様だ、躊躇うなって言う方が無茶な話だろう。

 でも俺が幸せだと感じる瞬間は、三人と過ごしている時なのだ。


 そこまで分かっていて、今さら足踏みする必要なんて無い。

 だから俺は両腕でお嬢の小さな体を抱き締める。


「っ」


 一瞬だけ彼女が小さく体を揺らしたが、抵抗する素振りは無い。

 他の男だったら容赦なく魔法をぶっ放していただろうが、俺相手なら受け入れてくれるいじらしさが堪らなく嬉しいと思う。


 そんなお嬢の耳元へ顔を寄せてから告げる。


「好きだよ、お嬢。俺を彼氏にしてくれる?」

「~~っ。そ、そう。イサヤがどーしても付き合いたいってお願いしたんだから、ご主人様として聞いてあげなきゃいけないわよね。か、感謝しなさい」

「ハハッ。ありがと」


 ここに至ってまさかのツンデレ了承に思わず噴き出してしまう。

 顔を真っ赤にして視線を逸らす辺りが完璧にそれだ。

 自分から押す分にはとことん強気なのに、押されるとこうも愛らしいなんて意外だ。


「この……っ」


 笑われたのが恥ずかしいのか、彼女は紅の瞳を細めて睨んで来る。

 けれども恐怖は全く無く、むしろ可愛いだけなのは気付いていないんだろうか。

 その微笑ましさの前には魔王の血族も形無しだ。


 しかし程なくしてお嬢はイジワルな……いや、魅惑的な笑みを浮かべて俺を見やる。


「やっと恋人になれたんだし、リリスには申し訳ないけど今夜はあたしとシちゃう?」

「えっ!? い、いやいや。お嬢にはまだ早いだろ」

「む」


 いくら恋人でも、十四歳の女子と行為に及ぶほどバカじゃない。

 しかしそうして子供扱いされたのが余程気に食わなかったのだろう。


 お嬢はあからさまに不機嫌そうな面持ちになった。

 細められた紅の瞳から、不公平だという非難のトゲが痛いくらい飛んでくる。


「なに遠慮してるのよ。ちゃんと準備すれば問題ないじゃない」

「いやダメだって。まだお嬢は十四だろ? 行為をしたくて付き合ったワケじゃないから」

「子供が出来た時を心配してるの? お父様なら普通にお祝いしてくれると思うけど……」

「俺が際限なく居たたまれなくなるわ。そうじゃなくて世間体の問題があるだろ。公爵令嬢が婚前にそういうことするのは良くないんじゃないか?」

「あら、お姉ちゃんだって公爵令嬢なのにそんなこと言うのね?」

「説得力ゼロでごめんなさい!!」


 そのジョーカーは途轍もなく効くからやめて!!

 ホントよく首が繋がってるなぁ、俺。


 言い逃れが出来なくなった俺の謝罪に、お嬢はプッと小さく噴き出した。


「もう、冗談だってことくらい気付きなさいよ」

「え、あ~……なんだ、冗談だったのかよ」

「まぁ女として見られてないみたいに言われたのは傷付いたけど」

「刺して来るなぁ」


 俺、至って真面目に考えて言ったつもりなんだけど。

 とはいえ恋人と触れ合いたい気持ちは分かるので、お嬢を責める気は起きない。


「だってお姉ちゃんとリリスは良いのに、あたしは十四歳だからダメって仲間はずれじゃない。不公平だわ。簡単に納得出来ることじゃないのよ」

「まだ早いってだけで、し、しないとは言ってないだろ」

「っ。ふ~ん……」


 我ながらとんでもないことを口走った自覚はある。

 けれどお嬢は気味悪がることなく、唇を尖らせて髪を弄りながら視線を逸らすだけだ。


「まぁイサヤの性格だと変に重荷になっちゃうでしょうし、ちょっとぐらい我慢してあげるわよ」

「ほっ」

「来年の誕生日までね」

「はい!?」

「文句ある?」

「……いえ、ないです」


 待つと言ってくれて安堵した矢先に、一年後という確約をされてしまった。

 これ以上、彼女の機嫌を損ねるわけにもいかないので頷くしかない。


 一年後、か……。

 物心着いてから明日の生活費を稼ぐの躍起で、先のことを考える余裕なんてなかった。

 奴隷になってから半年が経つけど、その間にあった出来事はどれも濃密だ。

 ここからさらに一年も経った時、自分達がどうなっているのか不安を覚えずにいられない。

 せめて彼女達に愛想を尽かされないように、努力し続けるのは確かだ。


 そう改めて決意を秘めていると、お嬢はいつの間にか解いていた腕を俺の首に回し、自らの元へ抱き寄せて来た。

 少しだけ首の痛みを感じたが、それ以上に唇に柔らかい感触が伝わる。



 お嬢とキスをしていると気付いたのは、彼女が唇を放してからだった。

 驚愕のあまり茫然とする俺に、お嬢は片目を瞑って人差し指を立てながらニコリと微笑む。


「このくらいなら我慢する必要は無いでしょ? あたしはまだ成長期なんだから、来年にはビックリするくらい大人になってやるわ」

「っ」


 ──あぁ、この人には敵わないなぁ。


 そう白旗を上げさせても悔しくないくらい、お嬢はいつも俺の想像を超えて来る。


「……今の時点で十分いい女だよ、お嬢は」

「あら、分かってるじゃない。イサヤにとって自慢できるいい彼女よ」

「違いないや」


 誇らしげに胸を張る彼女は、言われずとも自慢の恋人だ。



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