次の吸精は……
チュンチュンと鳴く雀の声をBGMに、窓から射し込む朝日を浴びながら目を覚ました。
茫然とする頭が起動するまでの間、視線を落として隣から感じる仄かな温もりを見やる。
「すぅ……すぅ……」
穏やかな寝息を立てて眠っているのは、恋人になったばかりのサクラだ。
いつものキリッとした面持ちはどこへやら、如何にもお淑やかな女の子らしい寝顔を見せている。
シーツの下は一糸纏わぬ生まれたままの姿だが。
ちなみに俺も同じく。
「──スゥー……っ」
ようやく動き出した思考で昨晩のことを思い返し、息を吸って両手で顔を覆いながら天を仰ぐ。
──ヤっちまったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!!
キスした勢いのまま盛り上がった結果がこれだよ!
何が『俺達のリズムで進んでいけば良い』だ。
アクセルをベタ踏みして思い切りすっ飛ばしてんじゃねぇか。
今までリリスからの吸精やら吸血中の興奮に耐えきったのに、恋人とキスをしただけで死んだ己の理性が情けない。
それに交際ゼロ日目でとんでもないことをしでかしてしまった。
相手はメイドとはいえ公爵家養子の立派な令嬢だ。
いや付き合ってるし責任は取るつもりだけど、こんな早くにヤりましたなんて言ったら体目当ての謗りを受けかねない。
やっべぇ、どう説明したらいいんだ。
背中に冷や汗を流しながら頭の中でどうにか穏便に済ませないか思案していると……。
「あはぁ~。サクちゃんと素敵な夜を過ごせたみたいだねぇ~、いっくん♪」
「うわぁぁぁぁっっ!?」
不意に横から聞き慣れた声に呼び掛けられ、全く気付いていなかったのも相まって悲鳴を上げてしまう。
慌てて声の方へ見やれば、そこにはいつもと変わらぬ笑みを湛えるリリスがいた。
そう、あらゆる意味で見つかりたくなかったサキュバスである。
彼女がここにいるということは、隠蔽も言い訳もままならない間にサクラと一夜を明かしたのがバレてしまったワケで……。
ヤバいと思った時には折れそうな勢いで頭を下げ、リリスへの謝罪を即決した。
「俺は襲ってない! ちゃんとサクラの告白にオーケーして付き合ってるから! なんだかんだで勢いでやっちゃったけど、とにかく強引に迫ったりなんかしてないから!!」
「そんなのサクちゃんの寝顔を見れば分かるってばぁ~。それにリリは別に怒ってなんかないよぉ~」
「え、え?」
しかし予想に反してリリスの態度は朗らかだった。
てっきり不満の一つや二つ言われると思っていただけに、肩透かしを食らって困惑してしまう。
戸惑いを露わにしていると、隣で眠っていたサクラがもぞもぞと動き出した。
「んん……」
「あぁ~あ。いっくんが叫んだからぁ、サクちゃんが起きちゃったぁ~」
「罪悪感を煽んないでくれる?」
やっぱり怒ってるんじゃないか?
内心で訝しむが尋ねるより先にサクラが目を開け、寝惚け眼で俺の顔を見やる。
そのまま彼女はふにゃりと柔らかく微笑む。
「おはょございます、伊鞘君……」
「お、おはよう……」
「はい……ふ~ぁ」
どもりながら挨拶を交わし、彼女はシーツで口元を隠しながら欠伸をする。
寝惚けていても淑女らしい慎みを忘れない辺り、徹底的に身に付けたのだろう。
それはそうと寝起きの恋人が可愛い。
少しだけ微笑ましい思いを感じるが……。
「おはよ~サクちゃん」
「おはょございま──え?」
ニコニコと挨拶をするリリスに返事をする途中で覚醒した。
ぎぎぎ、と油の切れた機械のように首を動かし、笑みを浮かべるリリスと顔を合わせる。
「あ、あぁっ! うぅ~……!」
そこから視線を落として自分の状態を確かめて……サクラはシーツで体を隠しながら大慌てし出した。
それはもう真っ赤な顔で、俺の顔をチラチラと見るくらいだ。
昨日の夜を思い返すにつれて羞恥心が耐えきれなくなったのか、顔も覆って塞ぎ込んでしまった。
やっぱそうなるよなぁ。
余計なことを口走って追い討ちを掛けないように黙るしかない。
何も言えないでいる俺達を見かねて、リリスがパンッと手を叩いてから口を開く。
「とりあえずサクちゃんのケアをするからぁ~、いっくんは先に着替えて部屋を出てってねぇ~」
「自分の部屋なのにこの扱い……まぁ同性のリリスが適任か。サクラを頼む」
「お任せあれぇ~♪」
行為の事後を買って出てくれたリリスの提案に乗り、俺は指示通りに動いた。
着替えている間は女子二人がいる状況で着替えるのは、少々気恥ずかしさがあったがなんとか穏便に済んだ。
部屋を出て少し経つと、サクラとリリスが出て来た。
サクラは昨日着ていた寝間着姿だ。
「もう良いのか?」
「は、はい。リリスのおかげでとりあえずは……その、登校前の準備をしたいので失礼します!」
「あ、あぁ」
そそくさとサクラは足早に去って行った。
なんか恋人になって一夜を明かした割りには距離があったなぁ。
やっぱ交際初日でアレは気まずくもなるか……。
「まぁ何はともあれぇ~、色々とおめでとぉ~いっくん~」
「えっと、ありがとう……」
祝福してくれるリリスに戸惑いながらも礼を返す。
色々っていうのはサクラとの交際と童貞卒業の部分だろうか。
素直に喜べないのは、先に告白してくれたリリスへの負い目があるからだ。
別に先着順ってワケじゃないのだから、感じる必要は無いかもしれない。
俺が勝手に罪悪感を持っただけ。
けれども居たたまれなさから、無言のまま彼女へ頭を下げる。
「ごめん、リリス」
「だからリリは怒ってないってばぁ~」
「でもリリスを傷付けたことに変わりないし……」
「──申し訳ないって思うんだったらぁ、サクちゃんと別れてリリと付き合ってくれるのぉ~?」
「っ、それは……」
心臓を締め付けられるような痛みが走る。
一瞬だけ言葉に詰まるが……。
「……出来ない」
「でしょ~? リリだって罪悪感で付き合われてもイヤだしぃ」
「うっ……」
どうやら彼女には俺の心内はお見通しのようだ。
堪らず口を噤んでしまう。
「それにエリナ様が言ったでしょ~? いっくんの返事がどうあれぇ、リリ達と付き合う以外の選択は無いってぇ」
「あ~……」
その言葉でようやく腑に落ちた。
サクラの告白を受け入れた時点で、自ずとリリスとお嬢との交際も受けることになるのだ。
だからこそ彼女はやけに機嫌が良いのだろう。
とりあえず怒っていなくて良かったと胸を撫で下ろす。
だがリリスの話はまだ終わっていないようで……。
「その上でいっくんが申し訳無いなぁ~って思うならぁ~、ごめんなさいよりも言うべきことがあるよねぇ~?」
「っ……」
ニマニマと期待の眼差しを向けられ、たじろいで半歩下がってしまう。
リリスがどんな言葉を求めているのかは十分に理解している。
でも昨日サクラに言ったばかりなのに、次の日に違う女の子に言って良いのか?
昨日だってかなり緊張したのに、今も胸がドキドキしている自分の節操の無さに呆れるしか無い。
けど仕方ないとも思う。
俺の実感した幸せはサクラだけじゃなく、リリスとお嬢も一緒に居てこそなのだから。
前以てサクラに話すつもりだったけど、こうなったら事後報告だと腹を括る。
バクバクとうるさく鳴り出す心臓によって詰まりそうな呼吸を繰り返し、言葉を待つリリスへ届けるように口を開く。
「──俺の彼女になって下さい」
「~~~~っ! えっへへぇ~! リリはとぉっくにいっくんのモノだけどぉ~、よろしくお願いしまぁす♪」
嬉しさを堪えきれないのか、俺の告白にリリスは全身を大袈裟に揺らしながら了承してくれた。
言われてみれば彼女は淫紋によって、俺以外の男から吸精出来ない体だ。
仮に交際出来なかったとしても吸精のエサ役は続けるつもりだった。
そういう意味では、サクラとお嬢じゃなかったら破局してもおかしくない事態を避けられたのだろう。
ともかく彼女が出来た翌日に二人目の彼女が出来たという、日本人の身としては中々に問題のある状態になってしまったワケだ。
いや関係者合意の上で異世界人が含まれてるなら、重婚は認められてるんだけど。
しばらくは周りの目が痛くなるぞ……あれ、でも今までと大して変わんない気がしてきた。
思考が逸れに逸れだしたところで、クイッと服の袖を引かれる。
目を向けるとリリスが何やらイジワルな笑みを浮かべていた。
「ねぇねぇいっくん~。りりの彼氏になったし~、サクちゃんとシちゃったならもう我慢しなくても良いよねぇ~?」
「……なにを?」
「あはぁ~とぼけちゃってぇ。リリがいなかったらぁ、高校卒業するよりパパになる方が早かったのにぃ~」
「おぉい!? 考えないようにしてた未来を声に出して言わないでくれる!?」
さっき目が覚めた時、それも含めて本気で動揺してたんだからな!?
大いに声を荒げる俺の反応が面白いのか、クスクスと笑いながらリリスは人差し指を唇に当てながら続ける。
「そうならないようにぃ~、さっき吸ったから大丈夫だよぉ~」
「いやいや待って待って。今度は違う意味で大丈夫じゃないこと言われたんだけど!?」
え、嘘だろ?
ケアってそういうこと?
「だ・か・らぁ~……」
困惑を露わにする俺を余所に、リリスはそう前置きしてからそっと身を寄せて来る。
ふわりと甘い香りに脳が揺らされる中、耳元に顔を近付けた彼女はハッキリ聞かせるように告げた。
「──次の吸精でぇ~、直接リリにちょ~だい♡」
「~~っ!!」
その要求を口にした時の声音は、サキュバスらしい蠱惑的なモノだった。
ましてや日頃の吸精で弱点と化した耳で囁かれては、顔を真っ赤にして腰を抜かしてしまうのも当然の結果だろう。
次の吸精は明日。
その時の吸精は、サキュバスの本領発揮となるのが確定したワケだ。
……明後日の俺、朝陽を拝めるかな?
「あはぁ~そういえばエリナ様からお話があるんだってぇ~。すぐに執務室に行った方が良いよぉ~。それじゃまた登校の時に会おうねぇ~」
「ええっ?!」
リリスは茫然とする俺の手を引いて立たせてから、背を押して無理やり送り出した。
もうお嬢と話しなきゃいけないのかよ。
せめて心の準備くらいしたかった。
抵抗したところでご主人様であるお嬢に呼ばれた以上、俺に拒否する権利なんて無い。
朝から目まぐるしい状況に頭が痛みそうだ。
手を振って見送るリリスを背に、俺は深呼吸を繰り返しながらお嬢の元へと向かうのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます