例え嘘であっても言って欲しかったこと
夕食と入浴を済ませた後、俺は自分の部屋のベッドの上でボーッと呆けていた。
父さんと母さんと訣別して、あれだけ頭を悩ませていた二人と今度こそ会うことは無くなったのだ。
なのに取れると思っていた胸の
どうしてだろう……自分でも分からない気持ちの原因が分からないでいると、不意に部屋の扉がノックされた。
『伊鞘君。今、いいですか?』
「サクラ? ちょっと待っててくれ」
ノックの主はサクラだったようで、ベッドから降りてドアを開ける。
開けた先にいた彼女は寝間着用の白いワンピースを着ていた。
ふわりと女の子のいい匂いが漂い、思わず胸が高鳴るが表情では平静を装う。
「どうしたんだ?」
「少し、話がしたくて……部屋に入っても構いませんか?」
「あ、あぁ」
戸惑いながらも断ることなく、サクラを部屋に入れる。
俺の部屋で吸血か吸精をするのは珍しくないので、いつサクラ達が来てもいいように適度に掃除しているので問題ない。
部屋に入って来たサクラは慣れた歩調でベッドに腰を下ろす。
俺も続いて彼女の隣に座ると必然的に隣り合う形になるが、いつものことなのでこの際気にしない。
それよりもこんな時間に何の話だろうか。
隣に座ったサクラは神妙な面持ちのまま、ゆっくりと口を開いた
「伊鞘君。まずは謝らせて下さい」
「え? なんでサクラが謝るんだよ?」
「その……ご両親に対して怒ってしまいましたから」
「アレか……」
サクラとリリスは同席していただけで、会話に割り込む手筈ではなかったのだ。
にも関わらずサクラは両親に激怒した。
危うく台無しにしてしまうところだったと気にしているらしい。
別に気にしなくてもいいのだが、真面目な彼女としては謝っておきたいようだ。
「サクラは何も悪くないよ。あの時に怒ってくれたからこそ、俺はやっと踏ん切りが着けられたんだからさ」
理由を察してから、気にしないで良いという風に笑って見せる。
彼女が両親に向けて放った言葉は、何よりも俺の背を強く押してくれた。
もしあのままだったら、寸でのところで父さん達に手を差し出していたかもしれない。
サクラのおかげでそうしなくて済んだのだ。
「むしろ謝るのは言わせちゃった俺の方だろ」
「いえ、あれは私が我慢できずに割って入ってしまっただけです! ですから私の方が謝るべきで──」
「だからサクラは──あぁもう堂々巡りになるから、お互いに反省しようってことでこの話は止めよう!」
「あ、うぅ……」
なんだって自分から責任を被る話になってるんだか。
訳が分からなくなる前に無理やり結論付けた。
それでも納得がいかない様子でサクラは呻くが、話がズレた自覚からそれ以上は何も言ってこない。
とにかく切り直そうと、俺は咳払いをしてから彼女に話し掛ける。
「ま、まぁとにかくだ。やっとあの両親とも名実共に絶縁出来たワケだし、これからは憂いもなく過ごせるよ」
「でしたら……」
心配させないように愛想笑いで返した俺に、何やら不安げな面持ちのサクラがポツリと呟いてから続ける。
「どうして伊鞘君は、そんなに悲しそうな顔をしているんですか?」
「っ、な、なんでも、ないって……」
軽く心臓を掴まれたような図星を受けながらも、なんでもないととぼけて見せる。
けれども紅の瞳は、そんな強がりなんて無いモノのように見透かしているみたいで……。
言葉に詰まって何も返せないでいると不意にサクラの腕が伸ばされ、気付けば俺は彼女の胸元に顔を埋める姿勢になっていた。
顔面から伝わるふわりと柔らかい感触に、堪らず全身の血流が著しく加速する。
「さ、サクラ!? いきなりどうしたんだ?!」
「う、動かないで下さい。くすぐったいです」
「く……ご、ごめん……」
何がどうしてくすぐったいとか考えないように努めながら、必死に昂ぶりそうな気持ちを落ち着かせる。
なんとか動揺は収まったけど、結局のところどういう状況なんだこれ。
放してくれる様子は無いし、どうしたらいいんだ?
次々に浮かんでくる疑問に眉を顰めていると、サクラの手が俺の頭を撫でていることに気付いた。
「なんで、撫でるんだよ。そもそもこれ何?」
「えっと……これは頑張った伊鞘君へのご褒美、です」
「頑張ったって、なんか子供扱いしてないか?」
「ふふっ」
「な、なんだよ」
贅沢な状況ながら不服な感想を口にするが、何故か彼女は小さく笑う。
その意味が分からず悪態を小突いたら、サクラは微笑ましいモノを見る眼差しを浮かべて言った。
「初めて伊鞘君に頭を撫でられた時の私と、同じ反応だと思いましたので」
「あ……」
言われた瞬間に疑問が泡のように消え、スッと腑に落ちる納得感だけが残った。
半吸血鬼であり公爵家の養子という、複雑な立ち位置のサクラに対して似たようなことをした記憶はある。
あの時は同情でもなんでもなく、迫害に屈さずに生き続けた彼女を称賛したかっただけだ。
まさかアレが自分にも返って来るだなんて思いもしなかった。
複雑な心境ながら、どこか込み上げて来るモノがある。
「伊鞘君は凄く頑張り屋さんです。あの両親の元で生まれながら真っ直ぐな生き方をして来たことも、冒険者としてたくさんの人を助けて来たこと、私達に寄り添って救ってくれたことだって、どれも一筋縄じゃいかないことばかりです」
「……」
いつもなら『大袈裟だ』って返していただろうに、今だけは妙に反論する気力が湧かない。
それだけ彼女の感謝の気持ちが伝わっているのかもしれない。
いや、その理由はもっと違うところにある気がした。
「でも、頑張りすぎて自分の気持ちが分からなくなっているのはよくありません」
「……自分の、気持ち」
「もう、我慢なんてしなくても良いんですよ。伊鞘君はたくさん頑張ったのですから、我が儘の一つくらい言ったって誰も悪く言いません。だから……」
──言いたいこと、言って下さい。
耳元でそう囁かれた瞬間、心の奥底でずっと張り詰めていた何かが切れる音がした。
本当に良いんだろうか?
きっとみっともないだろうし、呆れるくらい情けない姿を曝すかもしれない。
あぁでもサクラならバカにしないって確信がある。
そう悟ったのも束の間、理性よりも先に感情の方が限界を迎えた。
「……昔、さ。父さんに聞いたことがあるんだよ。普通に働けば良いのに、どうして経営に拘るんだって」
「どんな答えだったんですか?」
「お金持ちになりたいから。自分達は貧乏だから、お金があれば幸せになれるからって。だからって何度も会社作って潰すか普通? そうやって呆れてたけど……本当は違うんだ」
「本当は?」
「冒険者にさせられたことも、奴隷にして売られたことも、どっちも謝られなかったけど、大して恨んでなんかないんだ」
「どうして?」
「貧しくたって良い。返せる範囲なら借金だって別に気にしない。ただ……」
口にしようかと一瞬躊躇って、けれども震える唇を噛み締めてから告げた。
──放課後、友達や恋人と遊ぶクラスメイトが羨ましかった。
──仲良く手を繋ぐ親子が羨ましかった。
──でも、それ以上に俺は……。
「──普通の家族でいられたら、俺はそれだけで良かったんだ」
ひょっとしたら明日にでも、心を入れ替えて普通の家族として過ごせるかもしれない。
たったそれだけの細やかな希望を胸に、俺はついさっきまで両親を見限ることが出来なかった。
でももう手に届かない夢を見ることは止めだ。
そう決めても、ずっと抱き続けた憧れは消えてくれなかった。
それがどうしてもイヤだったから、きっとサクラが言う悲しい顔になっていたんだろう。
けど、だからこそ……。
「分かってたんだよ! あの二人にそんな希望を寄せるのが間違ってるって! でも認めたら、たったそれだけの願いすら間違ってるって思える気がして、認められなかったんだよ!! そんなに家族だっていうなら、例え嘘でもゴメンねって、もう普通に働くから一緒に帰ろうって言って欲しかった!! なのにそれさえ言われなかったことが、どうしようもないくらい悲しかったんだよぉ!!」
一度栓を切って発露した感情が、涙と一緒になって溢れ出て止まない。
グズグズとみっともなく泣き喚く俺を、サクラはただ黙って抱き締めてくれた。
自分でも馬鹿馬鹿しい夢だったと思う。
けれど……サクラは否定も肯定もせず受け入れてくれたようで、それが堪らなく嬉しかった。
子供みたいに泣く俺の声だけが部屋に木霊して、ゆっくりと時間が流れていくのだった……。
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