優しさを裏切る卑劣な人達との訣別



「ゆ、誘拐教唆!? 一体何のことだ!?」

「とぼけようとしても無駄よ。アンタ達がうちの使用人を売った金で借金を返す代わりに、借金取り達に誘拐を手伝わせたのは調査済みなんだから。証拠がお望みなら音声データでも聞かせていいけど?」

「な、なっ……」


 サクラ達の誘拐について知らんぷりしようとする父さんに、お嬢は少しも微笑ましくない笑みを浮かべる。

 言い逃れしたくても出来ないと悟ったのか、父さん達は絶句して黙り込んだ。


「こ、公爵家なんだから使用人なんて何人も居るんでしょ!? たった一人か二人居なくなるくらいで、そんなに目くじら立てなくたって良いじゃない!!」


 しかし程なくして母さんが身勝手に喚き立てる。

 人を攫おうなんて企んでおきながら、いざ責められた途端になんとも酷い言い訳だな。

 確かに本邸の方では何十人もの使用人が働いているけど、問題なのは単なる人数の話じゃない。


 あまりに自分本位な母さんの主張に、お嬢が深紅の瞳に怒気を宿らせる。


「アンタ、それでも経営者の端くれ? 雇用主が従業員の要不要を人数で判断するなんて三流も烏滸がましいわ。人を雇っている以上、その身の安全や職場環境を保障する責務は負って然るべきよ。そんな考え方じゃ経営ミスで会社を潰すのも無理も無いわね」


 それに、とお嬢は続けて言う。


「アンタ達が金目当てで攫おうとしたサクラは、訳あってメイドとして働いてるけど純然たるスカーレット家の養子──あたしの義姉であり公爵令嬢よ。家族を狙った悪人に罰を与えない方がどうかしてるでしょう?」

「ひ、ひぃ……!」


 これ以上無い程に頭に来ていると言外に訴えるお嬢の怒りに、母さんは涙目で戦く。


 俺の周辺を探った際、サクラが半吸血鬼であることまでは掴めていた。

 けれどもその彼女が公爵家の養子という情報は把握出来ていなかった故の自滅だ。

 お嬢が魔王の血族である秘密と同様、公爵家が総動力で秘めている事柄なので知りようも無いのだが。


「そろそろ自分達が誰に喧嘩を売ったのか理解出来たかしら。言っておくけれど何もしなければ見逃してあげてたわよ? でもそっちから虎の尾を踏んで来たんだから、その報いは受けて貰わないと」

「ま、待て、待ってくれ! 俺達はただ、生きるために必死なだけなんだ……!」

「だからお姉ちゃんを攫おうとしたのも、息子を奴隷にするのも仕方が無かったって? そんなの、なんの酌量にもならないわ」


 未だ責任逃れを試みる父さんの命乞いをお嬢は一蹴した。

 二年前に俺が離れる原因になったことも含め、彼女の中では両親に対してとっくの昔に堪忍袋の緒は切れている。


 むしろこうして罰を下せる瞬間を、心の片隅で待っていた節すらあり得るだろう。

 だが……。


「っっ! 伊鞘! 父さん達は悪くないって説明してくれ!」

「そうよ! 家族なんだから、いつもみたいにお母さん達を助けて!」

「っ」


 冷然と流す彼女相手に説得は無理と判断したのか、両親は泣き落としの相手を俺に切り替えた。


 頭の中では答える必要は無いって理解しているのに、どうしようもなく心が痛む。

 こういう時、普通は思い出が脳裏に過ったりするんだろうか。

 でも…………懇願する二人を見ても、俺の記憶からは家族の思い出は何も出てこなかった。


 強いて挙げるなら、今まで両親から投げ掛けられた言葉だけ。


 家族思いの良い子だ、優しい自慢の息子だ、親孝行の出来る素敵な子だ。

 いくら稼いでもそんな褒め言葉が出て来るだけで、家族らしいことも息子らしいこともして貰った記憶が無い。

 ただただ聞こえの良い言葉で、俺を都合良く利用していただけに過ぎないんだろう。

 そうだって分かりきってるてるはずなのに、今にも胸が張り裂けそうに痛むのはどうしてなんだ。


「お願いよぉ、伊鞘! もうあなただけが頼りなのぉ!」

「伊鞘! なんとかお金を稼いでお前を引き取ってみせる! だから父さん達の味方をしてくれぇ!!」

「っ、俺は……」


 両手で耳を塞いでも、父さんと母さんの声が脳でキンキンと響いてうるさい。

 奴隷の形であっても離れられたっていうのに、いつまでも俺の傍に寄らないでくれよ。

 そこまで助けて欲しいのなら、家族でいたいならもっと他に言うことがあるだろ。

 頼むからもうこれ以上、俺の手も足も引き摺らないで。


 だから、だから……。


 ノイズ塗れの脳内で塞ぎ込むようにしていたその時だった。




「──いい加減にしてっ!!」




 ……一際大きな悲鳴に近い怒号が、雑音に満ちていた耳にすんなりと入って来た。


 半ば呆けながらも声の方に目を向ければ、それは今にも泣きそうな面持ちのサクラの発した声だった。

 怒りで全身を震わせながら、涙を滲ませた紅の瞳で彼女は両親を見やる。


「あなた達にとって伊鞘君は、都合の良い奴隷なんかじゃない!」

「ど、奴隷?! そんな酷いことするはずが──」

「だったらどうして! 彼の優しさに付け入って傷付けるようなことしかしないの!?」


 滅多に声を荒げなかったはずのサクラの悲鳴に、応接室にいた全員が口を閉ざす。

 その叫びは我慢の限界から発露したように、疑問と悲しみに満ちていた。

 誰よりも人を信じられないからこそ、誰よりも信じた人を思う彼女の感じた理不尽だった。


 そんな周囲の驚愕に構わず、サクラは続ける。


「家族想いのいい人だって分かっていて! 人に優しさを与えられる素敵な人だって知ってるのなら! 利用して傷付けるなんておかしいでしょ!?」

「か、関係の無いあなたが分かったような口を利かないで! これは私達家族の問題なのよ!」

「その家族であるはずの伊鞘君にお前達は何をして来たの!? ただ徒に稼いだお金を搾取して、聞こえの良い言葉で無理やり締め付けただけ! 伊鞘君は必死に家族のためにって頑張って来たのに、何度も裏切られて悲しい思いをさせたのはお前らだ!!」


 感情が先走っているせいか、敬語が崩れた言葉の途中でサクラの両目からボロボロと涙が零れ出る。

 それでも彼女は怒りを滾らせ、俺の傍らに寄り添って手を握りながら言う。


「そんなの家族でもなんでも無い、それこそ本物の奴隷だ……私は伊鞘君の優しさに助けられたからこそ、お前らのことが憎くて仕方がない! 家族を語る資格も親である資格も無い人達なんかに、伊鞘君は渡さない!!」

「サクラ……」


 彼女の悲痛な断言を聞いて、塞ぎ込み掛けていた心が大きく震わされた。

 サクラが握ってくれた手は温かくて、頬を伝う涙にどれだけの想いが込められているのかが分かる。


 俺は何を迷っていたんだ。

 出すべき答えなんてとっくに分かってるじゃないか。

 耳を塞いでる場合じゃない、戦うって決めただろ。

 これ以上、俺を好きになってくれた彼女達の前で情けない姿を見せたくない。


 見栄だろうが虚勢だろうが、張れるモノ全部を使って己を奮い立たせる。


「何を訳の分からないことを言ってるの! ねぇ伊鞘。早くお母さん達と一緒に──」

「父さん、母さん。俺さ、今の生活がとても好きなんだ」

「え?」

「伊鞘?」


 サクラの言葉を何一つ理解していない母さんの喚き声を遮り、お嬢の奴隷になってからの日々を思い返しながら告げた。

 唐突な発言に母さんは目を丸くして呆けて、父さんは疑問を露わに困惑する。


「毎日美味しい料理が食べられて、奴隷だけどちゃんと給料を出してくれる職場で働かせて貰ったり、こんな俺を好きだって言ってくれた女の子までいる。三人で暮らしてた時から想像も出来ないくらい幸せで一杯なんだよ」

「何が言いたいの? まさか、私達よりもそっちの方が良いの!?」

「うん。だから……ごめんなさい。俺はもう、二人が望むような子供にはなれない」

「っ!!」


 ハッキリと告げた訣別の言葉を聞いて、両親はついに黙り込んだ。

 口では散々文句を言っていたけど、本気で反抗した記憶は無い。

 だからきっとこれが最初で最後の反抗期だ。


 この瞬間を以て、名実共に俺は辻園夫妻の息子である伊鞘でなくなった。

 お嬢の奴隷である辻園伊鞘として生きていく。


「ふ、ふざけないで! お母さん達を見捨てて自分だけ幸せになるなんて、そんな我が儘許さないわ!」


 世の中にはどうしたって理解出来ない事柄はある。

 母さんにとって俺の決断もその一つなんだろう。


 ヒステリックに喚く母さんが俺に掴み掛かろうとするが、それよりも早く両親の影から黒い紐のようなモノが伸び、瞬く間に二人の体を雁字搦めにした。


「何よコレ?!」

「クーッハッハッハッハッハッハ!! 親離れを決意した子供の巣立ちを阻もうなどという無粋な真似は好ましくないな! 話も済んだところでそろそろ幕引きとしようではないか!!」

「キャアアアアアアアア!? ほ、骨の怪物!?」


 影を操った主はジャジムさんだ。

 人化をしていないエルダーリッチーとしての姿で現れたため、完全に恐怖した母さんが大きな悲鳴を上げて拘束から逃れようとする。

 しかし二人の体を縛ってるのは魔法で操られた影だ。

 身体的に普通の人間である母さんに、逃れる術なんてどこにもない。


 一方で父さんはずっと黙ったままだ。

 俺の訣別が聞いたのか分からないが、もう抵抗しても意味が無いと罰を受け入れているようですらある。


 そうしている間にも二人の体は徐々に影に呑まれていく。


「いや! 殺さないで!」

「案ずるな、殺しなどという短絡的な罰は与えん」

「え? ま、まさか私達を奴隷にする気!?」

「クッハハハ! それこそまさかよ。貴様らのような愚者に奴隷としての価値などあるまい。値付けようにも銅貨一枚ですら烏滸がましい! そのような者の末路など決まっているであろう? 永久とわにも等しい虚無の牢獄──即ち生き地獄だ!! 生と死の境すら覚束ぬ虚ろの中で、己が罪と罰を悔い続けるがよい!!」

「イヤアアアアァァァァ……ァァ──」


 ズズズ、と最後まで逃げだそうとした母さんの手が影の中へと消えていった。

 まるで最初から辻園夫妻は居なかったような静寂に包まれる。


 影に呑まれた先がどこに繋がっているのかは知らない。

 少なくとも今後一切、両親が俺の前に現れないことだけは確かだ。


「……」


 ジャジムさんからこうするとは予め聴かされてはいた。

 でもいくら別離を決意したとはいえ、やっぱり血の繋がった両親が直接消える様を見るのは中々堪える。


 ざまぁみろ。

 後悔したってもう遅い。


 とてもそんな言葉が言えるほどスッキリしなかった。

 どう反応すれば分からない中、お嬢が手拍子をして俺達の注目を集める。


「──お疲れ様。全員、今日はもう休んで良いわよ」


 俺を気遣ってか、彼女は神妙な面持ちのままそれ以上何も言わなかった。

 その心遣いがありがたい。


 何を考えれば良いのかすら見当も付かない心情を抱えながら、俺は執務室を後にするのだった。


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