迫る魔の手


 伊鞘君のご両親のことはエリナお嬢様からある程度は伺っていた。

 でもまさか告白をしたタイミングで姿を見せただけに留まらず、悪辣にも公爵家に取り入ろうとしたり、息子に再び返済の協力を頼み込んで来るなんて。

 あまりの卑劣な内面に怒りが収まりそうにない。


 けれど伊鞘君はあんな人達が相手でも、私に人を傷付けさせたくないと制止してくれた。

 今にも倒れそうなくらい青い顔色だったのに……。


 何はともあれ想定していなかった事態によってデートは有耶無耶にされてしまった。

 屋敷に帰ってからも伊鞘君はずっと塞ぎ込んでいて、とても告白の返事を聞けそうにない。

 どうしてよりにもよってこのタイミングなのだろうか。

 反吐が出そうだと、淑女らしからない悪態を心内で衝く。


「──そう。あのクズ共が……」


 伊鞘君の代わりに執務室へ向かった私は、エリナお嬢様へ彼の両親と遭遇したことを報告した。

 一通り聞き終えた彼女は冷静な面持ちで、けれども言葉にあの下劣な人達への嫌悪感を滲ませながら吐き捨てる。


「元々そう遠くない内に接触して来るだろうとは思ってたわ。イサヤが公爵家の奴隷だって知られるのも、我が家に取り入ろうとして来るのも……まぁ予想の範囲内よ」

「伊鞘君、とても震えていました……」

「当然ね。イサヤがあの二人にされてきたのは紛れもない虐待だわ。それも家族のためなんて洗脳染みた搾取を何度もね」

「面と向かって会話を経た今でも信じられません。あんな人達が伊鞘君の両親だなんて……」

「あたしだって同じよ。イサヤが不貞腐らなかったのが奇跡だと思えるわ」


 エリナお嬢様の感想に賛同する他ない。

 伊鞘君があれだけ誠実な気質を保ち続けられたのは、両親が反面教師になっていたこと、親友の壱角いすみさんや冒険者業を通して多くの人と触れ合ったからだろう。

 自らが苦境に立たされて来たからこそ、私達の痛みを理解して寄り添えられるようになったのだ。 


 けれどもそうした彼の在り方を怖いを感じてしまう時がある。

 知り合いが傷付くことを極端に恐れているからか、周りの人に迷惑を被るくらいなら自身が苦痛を受ける道を選んでしまう。

 エリナお嬢様に相談するより先に自分が両親の借金を返すと決めてしまったほどだ。


 だからこそ……彼のために自分が出来ることがないか考える。


「単にお金を渡して解決するなら良いのですが……」

「アイツの性格上、絶対に受け取らないでしょうね。それどころかあたし達に気を遣わせたって一人で負い目すら感じそうだわ」


 難儀な話だとエリナお嬢様は呆れを隠さない。

 伊鞘君が懐くであろう罪悪感はもちろん、彼の両親だって付け上がるだろう。

 結局何一つとして好転しないのでは何の意味も無い。


「エリナお嬢様。伊鞘君は両親の抱えた借金を返すために冒険者業を再開すると言っていましたが……」

「そんな理由での再開は却下するに決まってるでしょ? アイツから頼んできたら即魔法紋に命令を刻んでやるわ」

「物凄く抗議をしそうですけれど、無理をされたくないので当然ですね」


 彼には申し訳ないが私達にとってはあんな親よりも伊鞘君自身が大切だ。

 いくらS級冒険者であっても、明らかに無茶だと分かることはして欲しくない。


「奴隷になった時点でイサヤとクズ達は戸籍上は他人。だからアイツらが抱えた債権を背負う必要は一切無いわ。幸い、イサヤが返すっていうのも口約束だから連帯保証人になった書類も無し。だからイサヤから金を渡す形であっても、当家は辻園夫妻に対して助力をしない。方針としてはこんなところね」

「何か明確な処罰は? 伊鞘君は大いに傷付いています」

「もちろん考えてるわ。わざわざ関わって来なければ、こっちから手を下すつもりなんてなかったのに……」


 そう零すエリナお嬢様は、言葉の割りにようやく手を下せて良かったという風に笑っていた。

 伊鞘君が自分と過ごした日々を忘れる選択をしたことを根に持っていたからか、私よりも怒りが強そうだ。


 ========


 ──翌日の放課後。


 私はリリスと揃って帰路を進む。


 あの後、気を持ち直した伊鞘君が執務室にやって来た。

 前言通りエリナお嬢様はにべもなく冒険者業の再開を却下して、両親に金を渡すなと魔法紋を使って厳命したのだ。

 命令された瞬間の彼は凄く不服そうな表情を浮かべていたが、両親への対処には賛同してくれた。


 彼の両親は姿を見せたとはいえ、現在はどこに住んでいるのか不明なままだ。

 伊鞘君は申し訳なさそうに聞いておけば良かったと謝っていたが、思い返せる限りでもあの状況では訊けなくても仕方が無い。

 なので次に息子へ接触して来たら敢えて屋敷へと招き、諸々の処罰を下すという方針で纏まった。


 そのために伊鞘君は今、両親を誘き出すために一人で街中を散策している。

 一緒に行きたいのは山々だが、私達がいると警戒されてしまうので仕方なく別行動となった。


 そんな状況だというのに、私は有耶無耶になってしまった告白の返事が気になってしまう。

 父親が呼び掛ける寸前、伊鞘君はなんて答えようとしたのかずっと引っ掛かっている。

 もし邪魔が入らなかったらと思うと、どうしてもモヤモヤが募っていく。 


「はぁ……」

「どうしたのぉ~サクちゃん~?」

「あ、すみません」


 思わず出てしまったため息に反応したリリスから呼び掛けられてしまった。

 すぐさま謝ったが、彼女はニコニコと明るい笑みを浮かべたまま続ける。


「悩み事があるなら聞くよぉ~」

「ありがとうございます。ですが私の個人的なことですので気にしなくて構いませんよ」

「そ~ぉ? もし言いたくなったらいつでも言ってねぇ~」

「はい」


 同じ人に好意を抱いているとはいえ、彼女のように告白したと言える勇気が出なかった。

 それに今は伊鞘君の両親の件がある。

 空気を読まず恋愛に現を抜かすワケにはいかない。


 状況が落ち着いたら相談しようと胸に秘めつつ、帰り道を歩いている最中だった。


 さっきから私とリリスの後を誰かが尾けているのだ。

 日頃の学校生活で周りから注目されていること、種族柄から人の視線には敏感なのですぐに分かる。

 それはリリスも同じで、笑みの下に微かな警戒心を滲ませていた。


 わざと後ろを振り返ったり、歩みを早めても追跡を止めない。

 同じ道を歩いているワケでも無い様子から故意なのは明らかだ。

 確かに人目に付きやすい容姿とはいえ、今まで下校中に尾行されるのは初めてだった。


 こんな時にと呆れを覚えつつもリリスと顔を寄せて早急に話し合う。


「どういう目的でしょうか?」

「直接問い質したくても逃げられたら意味ないよねぇ~」

「……どうにも胸騒ぎがします」

「一旦逃げちゃう~?」

「そうしましょう」

「おっけぇ~。せ~~……っの!」


 二人だけで話していても埒が明かない。

 合図を取ってリリスと駆け出す。


「! クソ、待ちやがれ! 今すぐ回り込んで捕まえるぞ! 情報通りなら絶対に高値で売れるはずだからなぁ!」


 後ろから焦った男の乱暴な声が聞こえて来た。

 捕まえる……その単語から察するに犯人は人攫いなのだと察する。


 地球では魔法が使えない異世界人を狙った犯行は少なくない。

 素の身体能力が優れている種族ならともかく、非力なエルフやサキュバスでは抵抗出来ないため格好の的だからだ。

 私達が狙われるのはある意味で当然でもあるのだろう。


 だからといって大人しく捕まるつもりもなければ、事情を知っておきながら何も対策をしない公爵家ではない。


 曲がり角に入ってからジャジムさん手製の防犯魔法具を起動させる。

 瞬間、さっきまで居た場所から屋敷の玄関前へと景色が切り替わった。


 念のため辺りを見渡しても、居るのは私とリリスだけ。

 安全確認を終えたリリスは額の汗を拭う仕草を見せる。


「ふぅ~逃げれたねぇ~」

「えぇ。向こうからすれば私達が突如消えたと思うはずです」


 ついさっき使った転移魔法具の性能はもちろん、地球では魔法が使えないという常識の穴を衝いた不意がよく効く。

 今頃は訳も分からず混乱しているだろう。

 その後で仲間からどう罰を受けようとも私達の知ったことではない。


「とにかくエリナお嬢様に報告しましょう」

「うん~」


 胸騒ぎを覚えつつも、私達はエリナお嬢様の元へと向かうのだった……。


 

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