心を締め付ける再会



「伊鞘! 無事で良かった!」


 結局あの場から動くこともままらず、父さんと一緒に母さんも戻って来た。

 母──辻園直子なおこは息子の無事に安堵の笑みを浮かべている。

 その絵に描いたような母親の微笑みを向けられて、どうしようもない程に胸がざわつく。


「お母さん、伊鞘と離れていた間はとても寂しかったわ」

「無事……」


 そんな心配をするくらいなら奴隷にして売らなければ良かったのに。


 続けて口にしなかったのは、この二人に言ってもなんの意味も無いからだ。

 それに……奴隷になったことを否定したら、お嬢達との日々の否定にも繋がってしまう。

 ましてやサクラの前で口にしたくない。

 燻る複雑な心情を無理やり飲み込んで、俺は俯いていた顔を上げる。


「いい人に、買って貰えたから……」

「そうなのか! どんな人なんだ? 是非ともお礼を伝えさせて貰いたいなぁ」

「忙しい人だから伝言で言っておくよ」


 俺の返答を聴いた父さんの質問をさり気なく断る。


 理由は二年前の時と同じ、両親にお嬢のことを知られないためだ。

 彼女にだって何かしらの対策はあるだろうが、関わらないならそれに越した最善手は無い。


 何度、こうやって俺から情報を話すように誘導されたか。

 意識的にしろ無意識にしろ、相変わらず質の悪いことだ。

 内心で呆れながらも警戒する俺を余所に、父さんはサクラに目を向けた。


 ジッと見つめられた彼女が体を小さく震わせる。

 怖がったというより、不気味さから警戒心が反応したんだろう。


 そんな彼女の心内を知らない父さんは、人当たりの良い笑みを浮かべる。


「そちらのお嬢さんは誰だい?」

「緋月サクラと申します。伊鞘君とはクラスメイトで、彼を買われた主人の元でメイドとして働いています」


 父さんの疑問に対してサクラは必要最低限の自己紹介をした。

 お嬢から二人のことを聴かされていたのか、明確な心の壁を築いている。

 まぁ元より人間不信のサクラにとってこの二人は警戒対象でもおかしくない。


「凄く綺麗な子……女の子とデートする時間が出来たなんて、奴隷になった割りには随分と良い暮らしみたいね?」

「言葉ほどキツい扱いじゃないからな」


 感心したような、どこか皮肉めいた母さんの言葉を軽く流す。

 確かに奴隷らしくない生活環境だけど、それは飼い主がお嬢だったからの話だ。

 違う人に買われていたら、それこそ母さんの懐く認識と相違ない扱いだってあり得た。

 何よりそんな可能性に追いやった人に羨まれてもただ不快なだけだ。


 どんな生活をしてるのか知りたい見たいだろうけど、こっちにだって聴きたいことは山ほどある。


「なぁ父さん。四月に失踪してから今までどうしてたんだ?」

「気になるのか?」

「っ、いきなり居なくなったんだから当たり前だろ」


 苛立ちを抑えながら聞き返すと、父さんはあからさまに項垂れて見せる。


「それがさぁ~。父さん達、異世界で商会を立ち上げたのは良かったんだが、色々あってまた一億も借金するハメになっちゃったんだよ~!」

「……またか」


 どうしてこうも同じ事を繰り返すんだ。

 経営の才能が無いなんて分かり切ってるだろうに……。


 呆れを通り越して言葉を失くした俺は額を手で隠す。


「でもお母さん達、お金が無いからすぐに返せなくて困ってたのよ。それで借金取りの人達に息子なら助けてくれるって言ったの」

「……は?」


 そんな俺の反応を気にしていないのか、母さんは言葉とは裏腹に明るい調子で言った。

 咄嗟に意味を呑み込めず、息を漏らしてしまう。


 なんで……奴隷にした息子に頼ろうって発想が出て来るんだよ。

 喉の奥が締め付けられるような不快感を拭う暇も無いまま母さんは話を続ける。


「伊鞘がどれだけ凄い子なのか一生懸命説明したら、調のよ。だからこうして再会出来たってこと!」

「え?」


 今、なんて言った?

 この再会は偶然じゃなくて、俺の近況を調べた上でやって来たってことなのか?


 待てよ、それじゃ……。


「なんでも公爵家の奴隷になったそうじゃないか。良い主人だって言うなら、伊鞘が頼んでくれれば、きっと親の俺達を支援してくれるに違いない」

「肝心の説得は私達がしろって言われたんだけど、伊鞘は家族のために頑張れる優しい子だから大丈夫よね!」

「っ!」


 笑顔のまま最悪の想定が現実となり、愕然と共に足場が崩れるような錯覚に陥る。


 どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう……!


 頭の中で打開策を逡巡するが、暗礁に乗り上げたように何一つ思い付きそうに無い。

 体はガタガタと震えて何度呼吸をしても全く息が整わないし、背中や額の冷や汗が堪らなく気持ち悪かった。


「伊鞘君!?」


 事の成り行きを見守っていたサクラが駆け寄る。

 俺を落ち着かせるために背中を擦りながら、彼女は両親へ鋭く睨み付けた。


「今すぐ彼との会話をやめて下さい! 明らかに異常です!」

「でも俺達はまだ伊鞘の答えを聞いてないよ?」

「こんなの答える以前の問題です! 大体先程から黙って聞いていれば、あなた達はあまりにも恥知らずではありませんか!? 息子を捨てた挙げ句、こんな追い詰めるような非道な行為……人として不適格です!!」 

「失礼ね! 伊鞘は私達の家族なの。家族は助け合って当然でしょ!」

「この……っ」


 サクラの怒号に堪えた様子もなく、両親は悪びれもしないまま何かを宣う。

 その自分本位な言葉が琴線に触れたのか、彼女は母さんへ掴み掛かろうとする。


 それを寸でのところでサクラの腕を掴むことで止めた。

 何故止めるんだと目で訴えられるが、俺は無言で首を横に振る。


「放して下さい伊鞘君! こんな奴らなんか──」

「あんなのでも、サクラには誰も、傷付けて欲しくない、だけだから」

「ぁ……」


 声を振り絞って止めた理由を伝えると、彼女は冷や水を浴びせられたように落ち着いた。

 俺の近況を調べたなら、サクラが半吸血鬼であることを知られていてもおかしくない。


 あのまま手を出させたら確実にマズかった。

 俺の身の安全だとか言って引き離されかねない。

 彼女を巻き込まないためにも、顔も見たくない両親が相手でも止めるしか無かったのだ。


 懐から財布を取り出して、中に入っていたありったけの金を父さん達へ投げ飛ばす。


「今の手持ちはこれだけだ。借金なら……俺が働いて返すから大人しくしてくれ」

「あぁ、ありがとう。でもわざわざ働かなくても、公爵様に助けを頼んだ方が早いぞ?」

「良いから。ご主人様に迷惑掛けたくないんだよ」

「……そう」

「帰ろう、サクラ」

「は、はい……」


 望んだとおりの結果を得られず渋る面持ちを浮かべる両親に構わず、サクラの手を引いてそそくさと場を後にする。


 二人が金を拾ったかは知らないしどうでもいい。

 重要なのはこれからまた金が必要になったということだ。

 異世界に行って冒険者業をするべきだろう。


 頭が痛いし吐き気もする。

 けれども休んでる暇なんかない。


 とにかく一秒でも早く一円でも多く稼がないと。

 そうやって先のことに思考を割いていたせいで、後ろにいるサクラがどんな表情をしていたのか気に留める余裕が無かった。

 この時、少しでも気に懸けていれば良かったと後悔するとも知らずに。

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