幸せの時はいつだって……
ゲームセンターエリアを出たあとは、フードコートで休憩を挟みつつモール内を歩き回った。
幾つかアパレルショップを覗いたものの何も買っていない。
けれど俺達は十分すぎるくらいに満喫出来た。
デートに限らず、どこに行くのかじゃなくて誰と行くのかというのが肝かも知れない。
歩き続けた足を休ませるために、俺とサクラはモールにあった噴水広場のベンチに座った。
気付けば時刻は夕方に差し掛かろうとしている。
夕陽に変わりつつある陽射しの眩しさが、一日の終わりを示すような哀愁を漂わせていた。
「あっという間に日が暮れたなぁ」
「はい……」
何の気なしに呟いた言葉にサクラが同意した。
もう少ししたら今日のデートが終わる。
長いようであっという間で、もっと続いて欲しいとさえ思うくらいに惜しんでしまう。
この一回で最後ってワケでも、これから行く機会だってあるのに変な感じだ。
それだけサクラと二人で過ごす時間が楽しかった証拠だろう。
「伊鞘君」
そんな感傷に浸っていると、サクラから呼び掛けられる。
目を合わせれば、彼女は真剣な面持ちを浮かべていた。
銀髪の一本一本が夕陽を反射して煌びやかに光っているように見え、肌は日焼けで痛まないかと心配に白くてつい目を奪われてしまう。
性格だって控え目ながら芯を持っていて、欠点らしい欠点が見当たらない。
誰だよ美人は三日で飽きるとか言ったヤツ……よほど相手が悪かったんだろうとしか思えなかった。
まっすぐにこちらを見つめる紅の瞳があまりに綺麗で、堪らず息が詰まるほどの胸の高鳴りを覚える。
思わず見惚れていた俺に対し、サクラはゆっくりと口を開いた。
「伊鞘君から見て、今の私はどう見えますか?」
「……凄く、魅力的な女の子だよ」
どこか抽象的な問いを訝しみながらも、感じたことを淀みなく口にした。
それを聴いたサクラはニコリとたおやかに微笑む。
「はい。私も昔の自分より、今の自分の方が好きになれました。そう思えるようになったのは伊鞘君のおかげなんです」
「それは大袈裟だって。サクラの頑張りが一番の理由で、俺は大したことはしてないよ」
「その頑張りを支えてくれたのは伊鞘君なんですよ? 当人にも否定させるつもりはありません」
「すげぇ意固地」
頑として譲らない姿勢に堪らず噴き出してしまう。
実感としては薄いが、照れ隠しにしても卑下するのは良くなかったか。
サクラがそう感じているというのなら否定するのはやめておこう。
内心で納得する間にもサクラは話を続ける。
「伊鞘君から多くの人と関わるより大事な人と付き合っていく方が、普通の人生より恵まれていると言われてから、私の世界はとても変わったんです」
あぁ、そんなこと言ったっけ。
確かお茶会の時にサクラが魔王の使徒だと判ったんだったか。
人間不信を治せそうにないって答えた彼女に、自分を大事にしてくれる人と過ごす方が楽しいって言った気がする。
思い返せばあの時からサクラは俺に対する態度が変わっていた。
「まだ見ず知らずの人と話すのは抵抗感がありますけど、ドラグノアさんを始めとしてクラスメイトと話す機会が増えました」
そういえば夏休み明けからサクラは同じクラスの女子と話すことが増えていた。
人間不信の彼女からすれば大きな進歩なのだろう。
「半吸血鬼への迫害は未だ根強いままです。でも今すぐ変えられないのなら、気にしたところでむしろ疲れるだけだと割り切れるようになりました」
魔王の使徒なんて呼ばれて迫害されたことこそ、サクラが人間不信になった原因だ。
その悔恨の深さはヴェルゼルド王によって異世界が救われて三十年が経っても変わっていない。
そんな情勢の中でサクラは数少ない生存している半吸血鬼だが、何もしていないのに同じ半吸血鬼だからと何度も迫害を受けていた。
とんだ責任転嫁だ。
悪いのは無作為に半吸血鬼を生み出して暴れさせた魔王なのに、恨みと恐怖を直にぶつけられる相手として迫害し始めた。
王様やスカーレット公爵家が無実を喧伝しても無くならず、サクラの人生に大きな影を落としていたのだ。
でも今の彼女は自分がどう生きるかを定めている。
紅の瞳に迷いは見えない。
「そうして自分を変えることが出来たのは、伊鞘君の隣に立っても誇れるようになりたかったからなんです」
照れと恐れを押し隠して勇気を振り絞るように、サクラは言った。
「──好き。私は、伊鞘君のことが好きなんです」
とてもシンプルな、けれども思いの丈をありったけ込めた真剣な告白を。
前以て宣言されていたとはいえ、こうして言葉にされるとドキリと大きく心臓が高鳴る。
やけにうるさい心臓の音以外、何も耳に入ってこない。
全身が燃え上がるように熱くて、鏡を見なくても自分の顔が赤くなっているのが判る。
脳裏には今まで見てきたサクラの言動が思い返されていく。
二年生になって同じクラスになって初めて見た、周りを寄せ付けない冷たい顔とか。
同じ職場で働き始めた頃の、素っ気ないながらも丁寧に指導してくれた様子も。
彼女の過去を知ってから見せてくれるようになった笑顔だって。
他の女子と話していたらあからさまに頬を膨らませて、不機嫌だとアピールする可愛さもある。
恥ずかしがってすぐに顔を赤らめるいじらしさが好ましくて……。
クールに見えてその実、緋月サクラという女の子はとても感情的だった。
そうした彼女の様相が見れたのは、屋敷に来た当初と打って変わって心を開いてくれたからだ。
ましてや絶世とも表せる美貌を持つサクラから、こんなにも真摯な告白をされて嬉しくないはずが無い。
もう、自分の愛情が裏切られる心配なんて要らないんじゃないか?
手を伸ばせば届く距離にまで近付いた確かな幸せを掴むには今が一番だろ?
瞬く間に過る期待感に突き動かされるまま、俺は答えを出そうと口を開いて……。
「俺は──」
「──伊鞘なのか?」
「っ!?」
不意に耳に入った聞き覚えのある声に息を詰まらせてしまう。
瞬間、さっきまで胸中を満たしていた高揚感が泡のように消えていた。
熱かったはずの体はガクガクと震えが止まらなくて、背中には冷や汗が流れ始める。
恐る恐る声のした方へ顔を向ければ、そこには記憶と変わらない人当たりが良いだけの笑みがあった。
「──久しぶりだな、伊鞘。元気そうで何よりだ」
表情を強張らせる俺とは対照的に父さん──辻園
「母さんもすぐそこの店に居るんだ。連れてくるから待っててくれよ!」
俺の返事を聴こうともしないまま、父さんはそそくさと去って行った。
その背中が人混みに消えてから、ようやく俺は緊張していた体を弛緩させる。
「はぁっ、はぁっ!」
「伊鞘君!?」
無意識に息も止めていたみたいで、肩を大きく揺らして肺に酸素を送る。
途端に荒い呼吸を繰り返したから、青ざめた面持ちでサクラが背中を擦ってくれた。
なんで……なんでよりにもよってこのタイミングなんだよ。
喉まで上がった悪態は言葉にならない。
頭が痛くて、今にも胃の中にあるモノを吐き出したいくらい最悪の気分だ。
手が届きそうだった幸せの光は、失踪していた父親との望まない再会によって遮られてしまった。
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