俺はキミの奴隷だ
「どっちも幸せになるためって、あたしは今のままで十分恵まれてるわよ」
俺が封じた記憶を思い出したと察して部屋に入れてくれたお嬢は、驚きも程々に話し合いを拒否する。
これまでの会話から彼女が頑固なのは承知しているので、こういうのは予想済みだ。
しかし今の言葉……思わずこめかみを掻いてしまう。
「耳の痛い否定だな……二年前の俺と同じこと言ってる自覚あるか?」
「誰よりもアンタには言われたくないわよ、バカ」
「すんません」
仰るとおりなので謝罪する。
でも自覚はあるっぽい。
お嬢がこうまで頑なな理由は思い出せるようになった記憶から思い当たる部分がある。
『あたしはイサヤを幸せにしてあげたいの』
専属契約を持ち掛けていた頃に言っていたことだ。
お嬢の奴隷になってからというものの、俺の人生で一番と言って良いくらいの環境だと言える。
最初は皮肉かと思っていたが、先の言葉を思い返せばお嬢が整えてくれていたのだと悟った。
流石にサクラやリリスとの仲の進展は介入していないと思うけど……それでも大半は彼女の想定通りに運ばれていたんだろう。
俺なんかに凄い懐き方をしたモノだと苦笑してしまう。
笑みで緩んだ頬を引き締めながら続ける。
「恵まれてるって言われても俺からみれば、今のお嬢は自分の幸せを諦めてるようにしか見えない」
「あたしは公爵令嬢なんだから、貴族としての責務を果たそうとしてるだけよ。それがあたしの幸せなの」
「責務責務ってバカの一つ覚えかよ。便利な言い訳だな」
「っ、うるさい……」
揚げ足を取るように皮肉ってみれば、お嬢は分かりやすいくらいに眉を顰める。
けれども語気は弱く、当人も言い逃れだと思っているみたいだ。
この際だ、もう一つ衝いてやろう。
「魔王の血族だからって幸せになるのを我慢する必要ないだろ」
「っ! なん、でそれを……!?」
血筋に言及した途端、お嬢の顔色が青く染まる。
封じた記憶の中でもひた隠しにされていたことだから無理もない。
「ゼノグリス様に教えて貰った。実はサクラの過去を聞いた時から、なんとなくそんな感じはしてたんだけどな」
「……そう」
「
「それくらい分かってるわよ! でもだからこそあたしは責任を果たさなきゃいけないの!」
感情的になって喚くが、それはただの意地でしかない。
「公爵様も夫人もお嬢が負わなくて良いって言ってるんだろ? 素直に甘えるくらいいいじゃねぇか」
「分かりました自由にしますなんて言える程あたしは無責任になれないの! それがスカーレット家に生まれた意味なの! 婚約の候補者だってしっかりした人を選ぶんだから、イサヤが心配することなんて何もないわ」
「それこそ無理な相談だ。最近のお嬢を見ていると、俺もサクラもリリスも心配が尽きないんだからな」
「……今、だけだから。ちゃんと心配掛けないようにするわよ」
お嬢は言い淀みながらそう言うが、信用できる要素が何一つない。
記憶が戻った影響か、彼女の性格への理解が深まっている今だと尚更だ。
賢いから色々と思い至る悪癖はまるで変わっていない。
そんなお嬢を説き伏せるには骨が折れそうだ。
でも……俺なら出来る。
「そんな苦しそうな表情で言われても説得力ないっての。ここに来る前に公爵様に頼んで候補者のリストを見せて貰ったけど……俺が判定を出して良いなら全員洩れなく落第だ。あんな奴らじゃお嬢を幸せに出来ない」
「は?」
不敬極まりない発言にお嬢が目を丸くする。
冗談みたいに聞こえるだろうが、本気で言っていることだ。
「だってみぃ~んな、自分の家柄とか実績だとか能力ひけらかすばっかなんだぞ。地位? 権力? 将来性? そんなのお嬢の方が大きいのを持ってるし、あり余ってるのを自慢されても響くワケないだろ」
「……こっちは公爵家なんだからそれは仕方ないじゃない」
否定に勢いが無いのはお嬢もそう感じているからだろう。
サクラほどじゃなかったにせよ、人間不信気味だったのだから虚しさは強そうだ。
どいつもこいつも自分勝手で腹が立ってくる。
特にムカつくのが……。
「自分の話ばかりでお嬢のことを知ろうともしてない。家柄とステータスしか見ないヤツが人を幸せに出来るかよ。あんな野郎共より俺の方がお嬢をよく知ってるし、幸せに出来る自信がある」
「は、はぁっ!?」
あまりの大言壮語にお嬢が顔を赤くして動揺した。
朝からキザったらしいこと言ってるのは自覚してるけど、そんなに驚かれると自分の痛さが余計に来る。
「甲斐性無しが何言ってんだと思うだろうけど、嘘偽りのない本音だ」
「へ? い、いやそんなこと思ってないわよ! アンタより甲斐性のある男なんてお父様とヴェルゼルドおじ様以外知らないし……」
「人を養える貯金が無いのに王様と公爵様で比較しないで。どう見ても月とすっぽんだろ」
「あ、そ、
事実を言っただけなのに何故か不満げだ。
なんか脱線しかけたけど咳払いをして話を続ける。
「それに無根拠ってワケじゃないよ。俺ならお嬢の望みを叶えられるからな」
「の、望みって……別にないわよ」
「また遠慮してる。お嬢って我が儘を言ってるように見えて、俺やサクラ達のためになることばっかだから自分のことを後回しにするよな」
「そ、そんなことないわ」
図星だったのかお嬢は目を逸らしながら否定する。
専属契約もそうだったけど、自分のためみたいに言っておきながら人のために動いてるんだよなぁ。
新手のツンデレかって呆れを隠せない。
そんな感想を脳裏に浮かべつつ、俺は膝を曲げる。
さながら姫に忠誠を誓う騎士のように跪く姿勢になった。
戸惑いを露わに目を丸くする彼女の手をそっと握る。
「イサヤ?」
「お嬢が立場とか血筋とかで周りに頼り辛いのは分かってる」
公爵令嬢だから、魔王の血族だから、そうやって彼女は今までたくさん我慢してきたはずだ。
賢いから周りの人達に甘えられないと自分を律した。
「でも俺だけは違う」
けどそれはいつまでも続けられることじゃない。
遅かれ早かれ限界が訪れてしまう。
その前に俺が出来ることは……いや、したいことはとてもシンプルだ。
「お嬢、俺はキミの奴隷だ。俺のご主人様は公爵令嬢でも魔王の血族でもない、エリナレーゼ・ルナ・スカーレットっていう一人の女の子だけ。キミが望んだことを叶えるよう全力を尽くす……それで幸せに笑って貰うことこそが、他でもない俺にとっての幸せなんだ」
「っ!」
誓いにも似た宣言に、お嬢は深紅の瞳を大きく見開いて息を呑んだ。
情けないことに彼女の選択に委ねる以外の手段が思い付かなかった。
俺なんかが一人で考えたところで明確な答えは出せないけれど、お嬢が一言望んでくれれば全てを賭す覚悟はある。
どうか聞き入れて欲しい……そんな思いを込めながら返答を待つ。
やがてお嬢は口を開いて言った。
「──ダメ。やめてよ、優しいこと言わないで……あたしは、大丈夫だって言ってるでしょ……」
声を震わせながら懇願するように拒否される。
やっぱ頑固だな。
でも離れようとするお嬢の手を握って引き止める。
彼女は手を引いて抵抗するけれど、年齢と体格の差があるのでまるで意味を為さない。
「本当に大丈夫な人は、心配してる相手にわざわざ大丈夫なんて言わないんだよ。そんなことも知らないのかよ」
「だからそれをアンタが言うなっての……」
「じゃあ言い方を変える」
そう前置きしてから俺は告げた。
「奴隷を買ったら安定した生活を保障する義務を引き受けるんだろ? 俺は……お嬢を差し置いて幸せになるのは絶対にイヤだ。だからキミの本当の願いを言ってくれ。そうじゃないと幸せだなんて思えないんだ」
「ぁ……」
瞬間、抵抗していた力が抜けた。
呆けたように立ち尽くしたかと思うと、お嬢は顔を伏せて全身を小さく震わせる。
耳を澄ませば小さな嗚咽が聞こえた。
指摘するのは野暮だろう、というかデリカシーがないくらい流石に分かる。
「──ズルい。そんな言い方、卑怯よ。止めてなんて、言えないじゃない! イサヤのバカ、アホ、人誑しぃ……!」
お嬢はグスグスと泣きながら握り拳を作って、俺の胸を力なく叩く。
あぁそうだ、我ながら随分とイジワルなこと言ったと思ってるよ。
責任感の強いお嬢なら、奴隷の幸せが脅かされると言えば断れないって。
だからこの痛みは甘んじて受け入れよう。
五分くらいそうしていると、叩くのを止めたお嬢は顔を上げる。
目尻に涙が浮かんでいて、潤った深紅の瞳にはようやく彼女の本心が垣間見えた気がした。
手で顔を覆いながらお嬢は言う。
「──普通の女の子みたいに、デートとかしたい」
「……了解、ご主人様」
それがキミの願いなら、後は叶えるだけだ。
手を離させて涙を拭ってからのお嬢は、少しだけ憂いが晴れた年相応の笑みを浮かべていた。
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