思い出されなくたっていい
残りの日にちも説得に費やしたものの、イサヤの勧誘は惨敗となってしまった。
頷かせられないまま迎えてしまった期限を以て、彼はあたしの護衛依頼を完了してしまう。
イサヤと別れの日、あたしは運悪く勉強の時間と重なってしまったせいで見送りに行くことが出来なかった。
でも問題ない、今朝にイサヤには専属契約の書類を渡したのだから。
こっちのサインは済ませているので、後は彼が気を向けた時に記入して冒険者ギルドに提出すれば良いだけだ。
お父様も本来の目的であるあたしの人間不信を改善したイサヤを高く評価してたから、きっと悪く思わないはず。
イサヤが契約してくれたら、もっと毎日が楽しくなる。
遠くない内にお姉ちゃんやリリスとも顔を合わせるだろうし、アイツの性格なら二人とも仲良くなれるに違いない。
そんな期待を胸に懐きながら半月が経過した頃だった。
「お父様。イサヤから何か連絡はありませんか?」
待ちきれなかったあたしはお父様へイサヤの近況を尋ねた。
異世界じゃスマホは使えないけど、向こうから何かしら連絡があればお父様が受け取るはずだからだ。
今か今かと返事を心待ちにするあたしと違い、お父様は何故か神妙な面持ちを浮かべていた。
「? お父様、何もないのでしょうか?」
「……エリナ。話の前にこれを読んで欲しい」
「手紙? って、イサヤから!?」
お父様から渡された手紙の差し出し人はイサヤだった。
「もう。お父様ったら、手紙が来てたなら早く教えて頂ければ良かったのに……──ぇ?」
不満を口にしながら開封して内容に目を通す。
胸を弾ませる程の期待を込めていたけれど……書かれていた文章を見た途端に愕然としてしまう。
=========
──お嬢へ。
一ヶ月間、とても楽しかった。
専属契約の件、持ち掛けられた時は心の底から嬉しかった。
お嬢に仕えるならきっと楽しいだろうし、命を張る必要も殆ど無くなる上に稼ぎも良くなる。
良いことづくめだって十分に理解しているよ。
でもキミがこの手紙を読む頃には、俺は一緒に過ごした一ヶ月の記憶も契約の件も思い出せなくなっている。
とても怒らせるだろうし、悲しませてもいるんだと思う。
それでも俺は記憶を封じることでしかキミを守れない。
じゃあ誰からだって話になるんだけど、相手は俺の両親だ。
あの二人はきっと専属契約の話を知ったら必ずお嬢達に金をせびるだろう。
何度断ろうがしつこく付き纏うし、最悪の場合は自分達に有利な契約内容を結ばせようとするはずだ。
せっかく人を信じてみようと頑張るお嬢に、そんな醜い人達を近付けたくなかった。
ましてや原因が俺にあるなら尚更イヤだ。
だから絶対に悟られないように、俺は一ヶ月間の記憶を封じることにした。
そうすればS級昇格を果たしても依頼主の情報を渡さずに済む。
思い出せないから話しようがないし、ギルドも明かさないだろうから問題ないはずだ。
でもその代わりというか当然というか、お嬢との日々も思い出せなくなってしまう。
凄く悩んだけど、お嬢の未来を守るにはこうするしかなかった。
バカ野郎って失望したか?
もしそうなら恨んでくれても構わない。
自己満足だって自覚はあるから。
けれどこれだけは信じて欲しい。
お嬢が俺の幸せを思って専属契約を持ち掛けたのと同じく、俺もお嬢の幸せを願ってる。
またいつか会えたら良いな。
それじゃ……さよなら。
辻園伊鞘より。
=========
手紙が入っていた封筒にはもう一枚の紙があった。
恐る恐る取り出したそれは、あたしが渡したはずの専属契約の書類だ。
そのことが意味する答えを察した途端、堪えきれずに涙が溢れ出てしまう。
自分の考えが如何に甘かったかを強く自覚させられた。
イサヤをこっちに引き入れたら解決出来ると思っていたのだ。
彼の両親がとんでもないロクでなしだって聴いていたのに、悪辣さの底を見誤って落とし穴に掛かるところだった。
契約を持ち掛けた段階から、両親の思考を熟知しているイサヤは気付いていたんだ。
なのにあたしはイサヤを救うことばかり意識を向けて、最悪の想定を怠って彼の罪悪感を煽り続けていた。
また彼に助けられた嬉しさと、考えが足りなかった自らの不甲斐なさに胸が痛いくらい締め付けられてしまう。
そんなあたしの肩に手を置きながらお父様が呼び掛ける。
「イサヤ君から記憶を封じ込められないかと提案された時は、僕もジャジムもそこまでしなくていいと反対した。けれども彼の決意は固くて、何よりエリナを守るためだと言われてしまっては止められなかった」
「っ」
いつそんな話をしたのかは聞くまでもなかった。
でも耳に入れたくない一心であたしはお父様の執務室を出て、はしたないと思いながら走って自分の部屋と戻る。
ベッドに飛び込んでから何度も枕で涙を拭う。
けれども涙が止まりそうな気配はなくて、ただひらすらに嗚咽を漏らすことしか出来なかった。
どうしてあたしは最善を尽くそうとしなかったんだ。
ただ契約を持ち掛けては断られて、また明日説得すれば良いなんて脳天気に考えていた自分が恨めかしい。
助けられてばかりで何も返せていないまま、彼を最低な親の元へ帰してしまった。
どれだけ後悔したって、イサヤはもうあたしを見ても『お嬢』だって結びつけれない。
たくさん泣き続けてようやく落ち着いた後、改めてこれからすることを思案する。
やりたいことを変えるつもりはない。
あたしを思い出せなかろうがイサヤを幸せにするんだ。
公爵令嬢の立場で使えるモノはなんだって使ってやる。
お父様にお願いして、イサヤの動向を遠目から監視するように手配して貰った。
息子からすら醜いと評される人達のことだ。
そう遠くない内に膨らんだ借金を手っ取り早く返そうと、イサヤを切り捨てる可能性はある。
彼自身の動きを把握していれば、いざという時に手を差し伸べられるはずだ。
本音を言えば今すぐにでも彼と両親を切り離したい。
でも力尽くではイサヤは納得しないだろうし、あたしを思い出せないから混乱させるだけだ。
悔しいけれど待つしかない。
そう予測してから二年後、イサヤが奴隷商に売られた。
よりによってと思わなくもないけれど、身内に引き入れる手順として納得されやすいだろう。
彼を買ってもお姉ちゃんとリリスに怪しまれないように、心の中で謝りながら二人の事情を絡ませて貰った。
身分と顔を隠して参加した闇オークションは悍ましいの一言に尽きる。
息子を売って逃げた両親や彼を玩具としか見ないクズ達を燃やしたい怒りを堪えながら、ついに売り出されたイサヤを白金貨百枚で買った。
本当はもう少し様子見するつもりだったけど、どいつもこいつも金貨十枚とか二十枚とか端金しか出そうとしないからつい苛立って突き放してしまったのだ。
でも後悔はしてないわ。
二年もイサヤを引き取る瞬間を心待ちにしていた以上、白金貨五百枚でも千枚でも出すつもりだったから。
そうして彼の身柄を落札して、二年振りの再会となった。
尤も、あたしから一方的なっていう枕詞付きだけれど。
「この人がお前のご主人様だ」
「……はい」
「……」
久しぶりに会ったイサヤは酷く落ち込んでいた。
いくらクズだと把握していたとはいえ両親に売られたのだから無理もない。
これからどんな目に遭わされるのか怯えていて、そんな目を向けられたことに少しだけ胸が痛んだ。
イサヤを連れて闇オークションの会場を出た後、あらかじめ通報していた兵士に突撃して貰った。
これで彼の本当の価値を分かっていなかった奴隷商は捕まるだろう。
あたしの場合は通報するための潜入捜査という名目で参加したので特にお咎めは無い。
そんな背景があったとは露も知らないイサヤ、緊張から頻りにこちらへ視線を向けては逸らしている。
前みたいに接したいけれど、イサヤからすればあたしは初対面となっているはずだ。
悲しいけど……別に思い出されなくたっていい。
あたしがすることは何一つとして変わらないのだから。
「──
こんな言い方しか出来なくてごめんね。
でも、もう大丈夫。
あたしが幸せにしてあげる。
お姉ちゃん達のエサ役なんてさせてゴメンね。
またお嬢って呼んでくれた時は泣きそうになっちゃった。
いい女だなって褒められた、凄く嬉しい。
貧血で倒れたって聞いた時はとても怖かった。
お姉ちゃんを助けてくれてありがとう。
でもお姉ちゃんが羨ましい。
面白いラノベは増えたけど、やっぱりイサヤの体験談の方が好き。
婚約者なんか本当は要らないけれど、心配させたくないから見栄だけは張らせて。
勇者病患者とか邪魔だからさっさと処理しよう、イサヤの方がずっと強いんだって知らしめてやるんだから。
リリスにまで好かれるなんて人誑しは相変わらずね。
これなら幸せになるまで時間は掛からなさそう。
お姉ちゃんとリリスみたいに胸は大きくないけど、水着姿を褒められて良かった。
三人をくっつけるためにラノベみたいな再現をしてみようかしら。
また助けられちゃった……カッコ良かった。
あたしの膝枕で少しはお礼になった?
失敗してしまった。
別の女と仲良くなってるのは知ってたけど、まさか婚約破棄するまでなんて思わないでしょ。
何が真実の愛よ、そうやって貴族の責務を捨てられたら我慢してるあたしがバカみたいじゃない。
ダメだ、このままだとお姉ちゃん達が遠慮してしまう。
早く次の婚約者を決めて安心させないと、三人の関係が進展しなくなる。
あたしは公爵令嬢として人生を捧げることくらい平気なんだから心配しないで。
イサヤが幸せならあたしは十分だから。
だから……──。
========
「んん……」
ふと夢から覚める。
イサヤと初めて会った日のことから昨日までの回想といっていい内容だった
大事な思い出……あたしの果たす目標は変わっていない。
「はぁ……」
寝起きなのに疲れからため息が出てしまう。
一人で良かった。
こんなところ誰かに……特にイサヤに見られたら要らない心配を掛けてしまう。
「よしっ」
項垂れるのも程々にして今日も婚約者選びを頑張ろうと意気込む。
ベッドから降りて着替えを済ませた時だった。
──コンコンッ。
部屋のドアがノックされた。
お姉ちゃんかリリスかしら?
それともお母様?
寝起きでぼんやりとした思考のまま、何の気なしにドアを開けた時だった。
「──おはよう、お嬢」
「っ……おはよう。イサヤ、何か用かしら?」
ノックの主であるイサヤから挨拶される。
いつもだったら平静を装えたけれど、夢で思い出を振り返った直後だから動揺を隠しきれなかった。
恋愛感情以外の機微には聡いから気付かれたかもしれない。
内心で身構えているとイサヤは口を開けて言った。
「あれから二年分も増えた体験談を聞いて貰おうかなって思ってな」
「──っっ!!」
驚愕から弾かれたように顔を上げる。
目を合わせたイサヤの表情は至って冷静だ。
一方であたしは動揺と興奮を抑えきれない。
ドキドキと心臓がうるさく鳴り続ける。
あの一ヶ月以外であたしがイサヤに体験談をせがんだことはない。
なのに今まさに言及した……それが意味することはただ一つだ。
「──久しぶり、お嬢」
これでもかと込められた親しみを感じさせる声音で再会を告げる。
そしてイサヤは言う。
「話をしよう。俺とキミ、どっちも幸せになるための」
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