大好きを込めた口付けを



 ──おかしい。


 目の前に広がる光景を見て、真っ先に浮かんだのは疑問だった。


 さっきまでリリスと広場のベンチに座っていたのに、気付けば薄暗い紫のLEDライトに照らされた部屋に居たのだ。

 自分の体を見てみればいつ着たのか分からないバスローブを身に纏っていて、ベッドに腰を下ろしている。

 なんでこんなことになってんだ。


 辺りを見渡して内装へ目を向ける。

 間取りは見たところワンルーム、家具といえば大きなテレビと同じく大きなベッド──恐らくダブルサイズ──だけ。

 そしてさっきから微かに聞こえるシャワーの音……。


 ……どう見てもラ○ホだった。


 両手で顔を覆いながら記憶を掘り返すが何も心当たりが無い。

 何があってここまで来たのか何一つ分からないんだが?

 まだ童貞を捨てる決意を固めた覚えもねぇし。


 困惑を露わに体を震わせていると、浴室に繋がっているであろう扉が開かれる。

 慌てて姿勢を正しながら顔を向ければ、出てきたのはリリスだった。


 タオルで髪を拭きながら、同じくバスローブを着ている。

 大きな谷間が覗いているため、風呂上がりなのも相まって酷く扇情的だ。

 流石はサキュバス……思わずゴクリと生唾を飲み込んでしまう。


 そんな風に見惚れている俺を見て、リリスはにんまりと笑顔を作る。

 あぁこれはまた弄るための悪巧みしてる顔だなぁ。


 半年も付き合いがあれば容易に察せられる。

 そしてそれが止めようのないことだというのも。


「あはぁ~♪ いっくんったらぁ~リリに見惚れちゃったぁ~?」

「っ、そりゃ、リリスに見惚れない男なんていないだろ」

「リリが聴きたいのは男がどうこうじゃなくてぇ~、いっくんの感想だよぉ~?」

「ぐっ、め、めちゃくちゃドキッとしたよ! ……これでいいか?」

「えへへぇ~よく言えましたぁ~♡」


 言って欲しい言葉を貰えて嬉しいのか、ニマニマとだらしのない表情を浮かべる。

 あ~恥ずかし、顔が熱くて堪らない……。


 バクバクと早まる鼓動を落ち着かせようとリリスから顔を逸らす。

 そもそもなんで彼女とラ、ラ○ホなんかに来てるのかハッキリさせないといけない。


「なぁ、リリス。なんで俺達はその、ら、ホテルにいるんだ?」

「えぇ~忘れたのぉ~? いっくんが入りたいって言ったんだよぉ~」

「……いや分かりやすい嘘言うなよ。一瞬マジで心臓が潰れるくらいビックリしたから」

「なぁんだバレちゃったぁ~」


 期待したリアクションと違ったようで、リリスは不満げに唇を尖らせる。

 でも内心は血管が破裂しそうなくらい焦ってるんだけどな。

 童貞のチキンハートは繊細なんだぞ?


「冗談はその辺で、実際はどういう経緯なんだよ」

「一緒にベンチで日向ぼっこしてたでしょ~? そしたらいっくんが寝ちゃったからぁ~、リリの夢の中に連れて来たのぉ~」

「新手の誘拐かよ」


 とんでもない安眠妨害だな。

 自分の夢にも引き込めるとか、サキュバスの能力ってとことん反則染みてる。


 そうまでして夢に連れてきたのは……。


「……吸精したいのか?」

「それもあるけどぉ~せっかくのデートだから夢の中でも一緒に居たいのが一番だよぉ~」

「そ、そうなのか……」


 思いがけないストレートな理由に動揺して、なんとも曖昧な返事をしてしまう。


 こうも分かりやすい隙を見せてしまったからだろうか。

 不意にリリスが近付いたかと思った時には、あっという間に唇を塞がれた。


「んんっ!?」


 呻き声を上げる俺を余所に、リリスは巧みに舌を絡めて来る。

 艶めかしい動きで唾液を舐め取り、自らの唾液を流し込んでを繰り返す。 


「はぁ、んむっ……れろ……」


 息継ぎで離れる瞬間すら惜しむような積極的な口付けに、抵抗する術などなく理性がドロドロに溶かされていく。

 夢の中で交わす重厚なキス……唾液を吸われる度に精気も吸われているのが分かる。


 そのまま重力に従ってベッドを背に倒れ込む。

 つられてリリスも俺にのし掛かる姿勢になるが、それでもなおキスは途切れさせなかった。

 こうなると彼女が満足するまで続けるしかない。


 リリスの背中に腕を回して軽く抱擁しながら舌を動かす。


「っ! んっふふ……」


 俺の動きにリリスは目を丸くしてから柔和に微笑む。

 キスに応えたのが嬉しいらしい。


 さながら逢瀬を交わす恋人のような空気の中、俺達はただ無言でキスを重ねる。

 部屋には淫靡な水音だけが響き、脳髄に甘美な快楽が迸っていく。

 キスをする度にリリスが秘める想いが伝わって来る。


 ──いっくんがリリを好きなのは分かってるけどぉ~、ちゃんと言葉にするのを待ってるからねぇ~♡


 きっとリリスも同じなのだろう。

 人間、単純なモノで何度もキスをされる内に俺は彼女に惹かれるようになった。

 ここまでされて意識しない方がどうかしてると思う。


 サクラにもお嬢にも似た想いを懐いているというのに、とんだ浮気者だと自嘲する。

 いくら一夫多妻が認められても誠実さを欠いては意味が無い……けれども不思議と誰か一人を選ぼうという気にはなれない。

 きっと彼女達だからこそ受け入れられる確信もあって、自然と四人で過ごすイメージが浮かんでいるからだろう。


 だとしたら俺は──。


 そこまで考えていたところで、満足したのかリリスが唇を離した。

 唾液で出来た糸が伸び、程なくプツリと切れる。


 数秒間、息を整えているとリリスは紫の瞳をフニャリと和らげて微笑む。


「はっ、はっ……あはぁ~。いっくんったらぁ~、すっかりキスが上手になったねぇ~」

「はぁ……はぁ……そりゃ、吸精の度に誰かさんが情熱的に指導してくれたからな」


 そろそろ五百回に届くくらい経験してりゃイヤでも上手くなるわ。

 呆れながら皮肉で返すも、リリスはむしろ誇らしげな面持ちを浮かべる。


「つまりリリのおかげでぇ~、現実でキスする時も失敗しなくて済むってことだねぇ~」

「ポジティブだなぁ。初めてなのに上手いとか逆に引かれないか不安だってのに」

「サクちゃんもエリナ様もぉ~、リリといっくんが夢の中でキスしてることくらい知ってるよぉ~?」

「普通、知られてる方がおかしいだろ」


 いくら現実でキスしてないからって、二人がなんとも思わない気がしない。

 もしその時になったら複雑な顔をされないか不安だ。


 そんな俺の表情を見ていたリリスは、何のつもりか隣へ寄り添うようにベッドへ倒れ込む。

 キスしていた時にも間近で見ていたはずなのに、ただ隣に来ただけで妙にドキドキしてしまう。

 まっすぐに見つめて来る紫の双眸には、心なしかハートマークが浮かんでいるようですらあった。

 堪らず見惚れていると、リリスがゆっくりと口を開く。


「いっくん……大好きだよぉ」

「っ」


 何度目か分からない想いの告白。

 真摯な眼差しで発せられたソレに心臓が大きく高鳴る。


「好き、好き、好き、好き……んっふふ。何回言っても飽きないなぁ。いっくんを好きになって嬉しいことばっかりで幸せだよぉ」

「リリス……」


 まっすぐに好きだと伝えてくれる彼女の気持ちは嬉しい。

 なのに未だに言葉に出来ないままの自分が不甲斐なく思えてしまう。

 いや、罪悪感で後ろ向きになるのはよくない。

 考えるべきなのは答えを出すために必要な切っ掛けを見つけることだ。


 だから……言葉で応えられない代わりに、そっとリリスを抱き寄せる。

 暖かくて柔らかい、けれど力を込めたら折れそうなくらい華奢な女の子の体……それが堪らなく愛おしく思う。

 俺の胸元に顔を埋めた彼女は、スリスリと甘えるように身動ぎで返してくれた。


 そうして互いの体温を感じながら、夢から覚めるまで穏やかな時間を過ごすのだった。


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