病み付きな吸血と彼女だけの証


 お嬢が慣れた手付きで燕尾服のシャツのボタンを外していき、俺の左首筋が露わになった。

 吸血のためとはいえ年下の女子に脱がされるのは妙な背徳感がある。

 早まる鼓動を感じている間に、お嬢は首筋に顔を埋めて来た。


 瞬間、ぬるりと首筋に生暖かい感触が走り、堪らず全身をビクリと揺らしてしまう。


「う、ぇ!?」


 驚きのあまり間抜けな声が出てしまった。

 遅れて触れたのがお嬢の舌だと悟る。


 たじろぐ俺に対して彼女はイジワルな笑みを浮かべていた。


「お嬢、なんで舐めたんだ?」

「ん~? 注射する前にアルコール消毒するでしょ? アレと一緒よ」

「流石に嘘だって分かるぞ」

「あら、それは残念ね」


 ジョークが通用しないと分かるやお嬢はクスクスと笑みを零す。

 頻繁にしてくるリリスはもちろん、頻度は少なくともサクラでさえ人の体を舐めたがるんだよなぁ。

 何一つイヤな気がしないのも困りものだ。


 呆れとも諦観とも区別が付かない複雑な心境のまま、再び首筋に顔を寄せるお嬢を受け入れる。


「それじゃ、頂くわ」

「っ」


 そう合図して間もなく、チクリと吸血鬼の牙が刺さる。

 何十回経験してもこの瞬間の痛みに顔を顰めてしまう。

 いやまぁ、皮膚を破って血管に歯を突き立てているのだから当然だろうが。


「んく、んく……」


 よそ事を考えている内にお嬢が吸血を始めた。

 血が減っていくため手足の指先が段々と冷たくなる。

 なのに体の芯は火照っていき、心臓が血を循環させようと鼓動を早めていった。


 それだけでなく血を吸われる度に、背筋に甘い稲妻が迸る。

 吸血時の痛みを和らげる特殊な体液よって、吸血されている間は抗いがたい快楽が押し寄せて来ていた。


「く……っ」


 お嬢がコクコクと喉を鳴らす毎に、脳裏が情欲で埋め尽くされていく。

 歯を食いしばって堪えるが、密着している彼女の体の柔らかさや香りで頭がぼやけていく一方だ。 


 今回も両手は宙を彷徨っている。

 前はお嬢を抱き締めたものの、いくら好意のある相手だからって不意な抱擁は憚られるだろう。

 そう思い握り拳を作って耐えている時だった。


「ぷはぁ」

「お嬢?」


 吸血していたお嬢が首筋から顔を離したのだ。

 もう吸い終わったのかと声を掛けたら、彼女は妙に色気のある眼差しで俺を見つめながら言う。


「抱き寄せるくらい、我慢しなくたって良いわよ」

「それは、助かります……?」

「むしろあたしからすれば、イサヤに抱き締めて貰えるだなんて得でしかないのよ? だから遠慮しないで」

「う、うす……」


 改めて口にされるとどうにも照れてしまう。

 ともあれ許可が出たのなら躊躇うのは失礼だ。

 ソッとお嬢の小さな体を両腕で抱き寄せると、彼女が『んっ……』と呻き声を漏らす。

 相変わらず力を込めたら折れそうなくらい細いのに、女の子らしい柔らかさが伝わって来るのが不思議だ。


 そんな感心をしている内に、お嬢が再び首筋に噛み付いて吸血を再開した。

 少し落ち着いていた体の昂ぶりも再び押し寄せて来る。


 けれどもお嬢を抱き締めているおかげか、さっきよりは楽になっていた。

 ただ強いて難点を挙げるなら、いっそうくっついてるから生理現象的なアレがお嬢にバレてることだ。

 彼女の太ももに当たってるんだから、向こうも気付いているだろう。


 お互いに気にしないフリをしたまま平静を装っている。


 リリスが相手だったらこうはいかない。

 これ幸いとばかりに弄り倒して来るのが容易に想像出来てしまう。


 そうしてなんとも気まずい膠着状態が続く中で、満足したお嬢が首筋から顔を離した。

 吸血直後のお嬢は蕩けた面持ちでボーッとしている。

 普段の凜とした表情とは掛け離れている分、いざ目にした時のギャップが凄まじい。

 ましてや自分の血を吸ってこんな顔をしているのだと思うよ尚のことだ。


 とりあえず魔が差さない内に抱擁を解いた。

 が、お嬢は俺の手を取って自らの頬に擦り寄せる。

 スリスリと飼い主に甘える猫みたいな仕草に、吸血していないのに心臓がバクバクとうるさい。


 未だに熱が冷め止まない俺を、お嬢が上目遣いで見つめる。


「え、えぇっと……」

「──いいわよ、イサヤ」

「なっ、何が?」


 要領を得ない許可に戸惑いを隠せず聞き返す。

 一瞬だけ変な期待感を懐いてしまったが、流石に自惚れ過ぎるだろうと自制したのは褒めて欲しい。


 誰に言うでもなく称賛を求めている間にもお嬢は続ける。


「アンタが感じてる諸々だって、まぁ、受け止める覚悟くらいしてるわよ。そうじゃなきゃ、吸血しないし……」

「っ」


 その言葉の意味は容易に悟れた。

 当たり前か……吸血鬼であるお嬢が吸血後の相手がどんな状態なのか知らないはずが無い。


 責任感の強い性格から人をその気にさせておいて、あとは知らないなんて横暴な真似はしないに決まってる。

 俺が望むなら本当に受け入れてくれるんだろう。

 でもだからこそ俺の答えは定まったようなモノだ。


「──サンキュ、お嬢。でも、そっちに関してはキチンと段階を踏むつもりだから」

「無理、してない?」

「正直に言ったら無理してるけど……なし崩しでお嬢との関係を進めるより、ちゃんと自分の意思で進みたいんだよ」


 いくらお嬢が良いと言っても、交際していない現状では不誠実だ。

 もちろん何かあった時は責任を取るつもりだけど、どうせ取るなら誰にでも誇れるような関係になってからの方が望ましい。


 そんな俺の返答にお嬢は目を丸くした後に、何故だかジト目を浮かべる。


「……ふ~ん。せっかく出してあげた据え膳を食べないなんて、随分と偉くなったモノね」

「ヘタレた自覚はあるから刺さないで欲しいなぁ」


 据え膳食わぬは男の恥だと突かれてしまう。

 でも俺の勝手な解釈だけど、食べないことで恥を掻くのは男じゃなくて女性側な気がする。

 だからってどういうワケもないのだが。


 苦笑してとりあえず話は流れたかと思いきや、お嬢は俺の手を放さない。


「えっと、お嬢?」

「ねぇイサヤ。せっかくだしアンタから何か印を貰えないかしら?」

「印?」


 困惑する俺に構わず、お嬢は熱に浮かされたような眼差しのまま切り出す。

 意図がイマイチ把握できないでいると、彼女が空いている手でワンピースの肩紐をずらした。

 陶器のように白くて綺麗な肩が露わになり、纏っている妖しい雰囲気も相まって非常に艶めかしい。


 思わず生唾を飲み込む俺に、お嬢は自らの左首筋をトントンと叩く。


「ここにキスマークが欲しいわ」

「キスマーク!?」


 予想外のお願いに驚愕と共に聞き返してしまう。

 キスマークってアレだよな?

 相手へのマーキングとして、わざと強く吸ったりして痕を付けるヤツ。


 なんだっていきなりそれを頼むんだ?

 訝しむ俺に対し、お嬢は歳に見合わない艶やかな笑みを浮かべる。


「とぼけてもダメよ? リリスに夢の中で何度も付けられたって自慢されたんだから」

「ほぁぁぁっっ!?」


 まさかの筒抜けだった吸精行為の自慢話を聞かされて、羞恥心に耐えきれず絶叫してしまう。


 いや確かに夢の中でしても現実の体に残らないからって、何度もせがまれては付けたけど!!

 よりにもよってお嬢に話すとか何考えてんだあのサキュバス!!

 サクラ相手じゃなかっただけマシだとしても限度ってモノがあるわ。


「あの子の話を聞いてから羨ましかったのよ。技術があるなら活用しない手は無いでしょ?」

「ただひたすら俺が辱めれてるだけな気がするんだけど……」

「細かいことは気にしない。ほら、女の子にここまでさせてヘタレたら承知しないわよ」

「わ、分かってるって」


 据え膳を断った手前、この要望を断るのは良くない。

 キスマークを付けるくらいならまだマシで──あれ、これって確かドアインザフェイスって言うんじゃ──いや考えるな。


 完全に思うツボにはまってる気がしないでも無いが、何はともあれお嬢の頼みを受け入れるしかない。


 それにしても……吸血鬼だからか肌が白いなぁ。

 今からその真っ白な雪原に足を踏み入れるが如く、自分がキスマークを付けると思うと背徳感が押し寄せてくる。

 ましてや相手はお嬢……年下の公爵令嬢だ。

 高嶺の花を摘み取るような所業につい躊躇ってしまいそうになる。


 でも受け入れた以上、日和るなんて無粋な真似はしたくない。

 迷いを振り切って俺はお嬢の首筋へ顔を埋める。


 触れた分かった彼女の体温は少し熱い気がした。

 故にお嬢も緊張しているのだと察する。

 その理由をわざわざ浮かべたら、デリカシーがないだの怒られそうだ。


 逸る鼓動を抑えつつ、ソッと首筋に口付けをする。


「んっ……」


 お嬢の体が小さく悶えた。

 一瞬止まってしまいそうになるが、ここまで来たら引き下がるなと鼓舞して続ける。

 少しだけ痛みを伴うかもしれないけど、啄むように力強く吸う。

 経験則から頃合いを見て顔を放す。


 さっきまでキスをしていた白い首筋に、小さな赤い点が出来ていた。


「っ」


 それを目にした瞬間の形容し難い興奮は凄まじかった。

 心臓は破裂しそうな勢いで脈動していて、少しでも落ち着かせようとお嬢から顔を逸らす。


「──フフッ。吸われてる時のチクッとした痛みも、こうして付けられた痕も、なんだかクセになりそうね」

「っ、わ、わざわざ感想を言うなよ」


 どうやったのかは分からないが、お嬢は自らに付けられたキスマークを確認したようだ。

 色っぽい感想に対して衝いた悪態はあまりにも弱々しかった。


 そっぽを向く俺の頭に、ふわりとお嬢の手が乗せられる。

 反射的に彼女を見やれば、幸せそうにはにかむ笑顔が視界に入った。

 思わず見惚れている間にお嬢が口を開く。


「──よくできました」

「~~っ! クッソ……」


 年下の女の子にキスマークを付けて褒められるとか、新手のプレイにも程がある。

 照れ隠しする余裕もないまま、俺は為す術もなく撫でられ続けるのだった……。


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