仲直りと機会作り



 お嬢から説教を受けて一時間後、ジャジムさんと一緒に夕食の支度をしていると厨房のドアが唐突に開かれた。


「伊鞘君!」

「うおわぁ、サクラ!?」


 いきなり現れたサクラに、堪らず幽霊に遭遇したように驚いてしまう。

 完全に手元に集中していたからビックリした。


 唖然とする俺を余所にサクラはこちらへ瞬く間に接近して来る。

 そしてじっと目を合わせたかと思うと、白い頬が徐々に朱へ染まっていく。

 俺も顔が熱いから、多分つられて赤くなってる。


「お、お話があります!」

「えぇっと……」


 今、仕事中なんだけど?

 そう思ってもいつになく頑なな感じがする彼女に曖昧な返事になってしまう。


 チラリとジャジムさんへ目線を送ると、彼は無言でサムズアップを披露した。

 話をして良いということらしい。


「……分かった」

「! ありがとうございます」

「っ」


 許可が出たなら断る理由もないのでしっかりと頷いた。

 了承して貰えたのが嬉しいのか、サクラは緊張した面持ちが綻んだ。


 その綺麗な微笑に思わず目を奪われ、心臓が大きく高鳴る。

 彼女が俺に好意を懐いていると知った上で見た笑顔は、気恥ずかしさや照れが燻っていた思考を押し退けてしまう程に見惚れた。


 思えばサクラの顔を見るのは久しぶりだ。

 避けてばかりだったから自業自得であるものの、妙に感動的な気持ちになってしまう。

 こうして笑う彼女の表情を曇らせているとなれば、お嬢が怒るのも頷ける。


 ホント何やってんだか……訳の分からない感情に振り回されてる暇なんかないな。


 内心で反省しつつ、厨房の脇へ移動して向かい合う形で椅子に座った。

 対面したサクラはもじもじと恥ずかしそうで、視線が右往左往しているせいか落ち着きがない。

 いや俺も三秒以上は彼女の顔が見れないけど、もう少し肩の力を抜いても良いと思うぞ。


 自分に返って来るツッコミを浮かべていると、意を決したのかサクラは頬を赤くしたままキッと真剣な眼差しを向けて来る。 


「えぇっと……エリナお嬢様から聞きました」

「……え、何を?」

「伊鞘君にその……く、首筋から吸血する意味を、教えたと……」

「あ、あぁ~……その件かぁ」

「は、はい」 


 その言葉で、どうしてサクラが緊張した様子なのか納得した。

 なんと返したら良いものかと頬を掻きながら目を逸らしつつ、曖昧な相槌を打つ。 


 サクラはコクコクと頷いてから続ける。


 うん、なるほど。


 ……。


 …………。


 お嬢ぉぉぉぉぉぉぉぉっっ!!

 確かに一肌脱ぐとは言ってたけど、勢い余ってほとんど赤裸々になってんじゃねぇか!!


 吸血鬼にとってプロポーズの意味合いなんだろ!?

 それを吸った当人から問わせるとか何考えてんだ!

 俺、どう返事したらいいの!?

 嬉しかったなんて言ったらプロポーズ受けることになるし、逆に否定的なこと言ったら彼女を泣かせるのは確実だし……あれこれ詰んでね?


 いや待て。

 お嬢は俺に拒否権は無いって言ってたし、どのみち了承以外ないよな?

 えぇー……ホントにいいのか、こんな流れでなぁなぁの形って……。


「伊鞘君」

「ん、ん?」


 グルグルと逡巡していたら、サクラから不意に呼び掛けられた。

 慌てて見やると、瞳と同じくらい赤い顔をした彼女と目が合う。


「い、伊鞘君は……失望しません、でしたか?」

「……は? 失望? なんで?」

「だ、だって、意味を知らないのを良いことに、変態みたいに何度も吸血してましたから……」


 サクラが恥ずかしそうに顔を伏せ、指で口元を隠す。

 なにその魅惑的な仕草、エッロ。


 って違う違う、今は大事な話の途中だろうが。


 それにしても変態みたいにって、そうしないと生きられないのだから仕方ないだろ。

 加えて思い出せる限りでも吸血前後のサクラは扇情的で──いや、だから余計なことは考えるな!!


 すぐ脇道に逸れようとする邪な思考を振り払いつつ、咳払いをしてサクラに呼び掛ける。


「確かに吸ってたけど……失望なんてしてない」

「ほ、本当ですか?」

「そりゃ、ビックリしたし色々と混乱したけど……イヤだったとかそういう気持ちは一切ないよ」

「そう、なんですね……」

「……」

「……」


 ひとまず不快じゃないことだけは理解して貰えた。

 けれども俺達は再び沈黙してしまう。


 なんというかもっと適切な言葉が浮かんでるのに、口にしようとするとつっかえてしまうような感覚だ。

 心臓はずっとドキドキしていて、冷房が効いているはずの厨房が妙に熱く感じる。

 なのに甘ったるい空気は落ち着かなくとも居心地が良くて、矛盾した感情に振り回され続けてばかりだ。


「伊鞘君」

「ん?」


 先に沈黙を破ったのはサクラだった。

 紅の瞳には決意めいた想いが宿ってるように見える。


「あの……吸血の意味を知ったのであれば、私の気持ちは伝わってます、よね?」

「あ、あぁ……」


 辿々しく投げ掛けられた問いに、胸を高鳴らせながら同意する。


 ここで誤魔化す度胸はなかったし、何よりこれ以上彼女を傷付けたくなかった。

 俺の返答にサクラは肩をビクッと揺らしてから、目をキュッと閉じて何かを堪えるようにウーっと声を唸らせる。


 程なくして彼女はハァっと息を吐いて目を合わせた。


「自分でも、驚いているんです。家族以外にこんな気持ちを懐くなんて、初めてですから……」

「サクラ……」

「こんな形で想いが伝わってしまったのは、他でもない私が臆病だったせいです。だから、私自身の口から伝える機会をくれませんか?」

「機会?」

「はい」


 依然として顔は赤いものの、サクラの眼差しは真剣そのものだ。

 そして彼女は告げた。



「次の休日、私と……で、デートを、して欲しいんです」

「!」


 その切なる願いを聞いて、思わず息を呑んでしまう。

 サクラからハッキリと『デート』という単語が発せられたのもそうだが、何より胸を打ったのはその先の目的だ。

 単に出掛けて終わりにするつもりはない。


 そんな強い意思が感じられた。

 お嬢が彼女に何を言ったのかは分からない。

 けれど勇気を出した提案に対する俺の返答はたった一つしか浮かばなかった。


「──臆病なのは俺も同じだっての」

「……伊鞘君?」

「いいよ。俺もサクラと向き合いたいから、一緒に行く」

「! ありがとうございます!」


 了承の返事にサクラは満面の笑みを浮かべる。

 誘いに応じただけで、まだ告白にオーケーしたワケでもないのに大袈裟だ。

 でもそれだけで嬉しさを見せる彼女が堪らなく可愛いと思う。


 ギクシャクしていた俺達だったが、この瞬間になってようやく元に戻れたのかもしれない。

 近い内にまた変わらなきゃいけないのは百も承知だ。

 けどそれは決して悪い変化じゃない。


 少しでも良い方向へ変われるように、俺もいい加減にハッキリとさせるべきだろう。


 そう内心で決意しながら、久しぶりにサクラと一緒に残っていた業務を片付けるのだった……。


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