妹に背を押されたからこそ
リリスと廊下を掃除している間、頭の中では鬱屈とした感情で満たされ掛けていた。
エリナお嬢様が自身の想いを表明してから、何故か伊鞘君から避けられるようになってしまった。
日常はもちろん業務の話や吸血の時でさえ目を合わせてくれない。
理由を聞いても『個人的なことだから気にしなくていい』と遠慮されてしまう。
原因が私にあるなら謝罪したいと言っても『サクラが謝ることじゃない』と断られる。
突然開けられた距離を詰められないまま、夏休みが明けてしまった。
一体彼の中で何が起きたのだろうか?
もしかして私の吸血が上達しないあまり嫌気が差した?
または半吸血鬼と関わるのが面倒だから?
伊鞘君はそんなこと考えないと思いたい半面、過去に受けた迫害を思い出して身震いしてしまう。
彼に受け入れて貰えないなら、もう恋人になれなくてもいいかもしれない。
いずれエリナお嬢様と結ばれた時、傍に仕えることが出来るならそれだけで十分だろう。
その光景を幻視すると胸の奥がズキズキと痛む。
けれども仕方が無いことだと甘んじて受け入れる。
「やっぱり半吸血鬼の私が伊鞘君を好きになるなんて不相応だったんです……」
「うわっ、ホントに言った」
「えっ、エリナ!?」
ポツリと漏れ出た独り言に返事をされたかと思えば、声の主はいつの間にか背後にいた妹だった。
いきなり姿を見せた彼女の不敬ながら驚いてしまう。
「エリナ様~何か御用ですかぁ~?」
「えぇ。サクラにちょっと話があるの」
「それじゃ~リリは席を外しますねぇ~」
「リリスは居てちょうだい。イサヤについての話だから」
「なるほどぉ~」
「っ!」
伊鞘君に関する要件だと告げられ、思わず肩を強張らせる。
リリスも彼に好意を向けているため、確かに居て貰った方が都合が良いだろう。
「……どのようなお話でしょうか?」
内心で恐怖を感じながらエリナの言葉を待つ。
私の問いに彼女は神妙に頷いてから口を開いた。
「最近のイサヤの態度が気になってるんでしょ?」
「っ、はい……」
「その理由はね、
あたしがアイツに首筋から吸血する意味を教えたからなの」
……。
…………。
「──……え?」
真相を耳にした途端、私は飲み込むまで時間が掛かってしまった。
何せ吸血鬼にとって異性の首筋から吸血することは、生涯の愛を誓うというプロポーズにも等しい意味合いを持っている。
そんな背景もあって創作物で見掛けるように、安易に異性から首筋から吸ったりしない。
吸う時は心の底から想いを寄せる相手のみだ。
私にとってはそれが伊鞘君が当たる。
しかしその当人に意味が知られてしまったということは……。
「~~~~~~~~っ!!」
ようやくエリナの言葉を理解した私は、全身から火が出るのではと錯覚する熱を感じながらその場に蹲った。
両手で顔を覆いながら、はしたなくも声にならない悲鳴をあげてしまう。
それでも間接的にとはいえ伊鞘君に気持ちが知られてしまっている事実は変わらない。
「あはぁ~サクちゃんの悶絶っぷり、凄く良いよぉ~♡」
「傷口に塩を塗るのは止めなさい。まぁそういうワケで、イサヤとしてはサクラと顔を合わせ辛いのよ」
「当たり前じゃないですか! きっと人の無知に漬け込んであれこれ好き放題していた変態だと思われてるに違いありません」
「誰も思ってないから違いあるわよ。そんな理由で避けるなら吸血も拒んでるじゃない。今のアイツはサクラからの好意に動揺してるだけだから」
「本当でしょうか……?」
「さぁ? ただの推測よ。真偽を確かめたいなら本人に聞くしか無いでしょ」
「そ、それでは告白そのものになる予感しかしませんが……」
もしくは自分から変態じゃないかと尋ねる不審者である。
いずれにせよ想い人に対して実行できる勇気が無い。
尻込みする私にエリナはハァっと息を吐きながら続ける。
「その告白をしろって言ってんの」
「っ、で、ですが……」
「勇気が要ることも、断られたらって怖がるのも十分に理解出来る。でも今のギクシャクしたままだと告白も出来ないわよ?」
「うぅ……」
尤もな言葉に唸ることしか出来ない。
しかしこんなに悩まされる原因は妹の方にだってある。
「そもそも、エリナお嬢様が教えなければ良かっただけのように思えるのですが……」
「責任の一端があるのは認めるわ。で、それ以前にお姉ちゃんはいつイサヤに告白するつもりだったの?」
「い、いずれ時が来た時に……」
「そのいずれっていつ? まさかとは思うけど自分から伝える勇気が出ないからって、イサヤから告白して貰うのを待ってたワケじゃないわよね?」
「っ……」
エリナの問いにそれこそ何も言い返せなかった。
まさに図星だ。
自分から告白して振られるかもしれないなら、向こうから好きになって貰う方が良い。
そう考えてアプローチに留めていた。
けれどもエリナに意図を暴かれた以上、誤魔化すことは出来ない。
黙り込んだことを肯定と受け取ったのか、妹は殊更呆れたようにため息をつく。
「あのね、お姉ちゃん。イサヤ相手にその待ち方は悪手以外何物でもないわ」
「え?」
どうして断定するのか問い掛けるより先に彼女は続けた。
「第一に異性からの好意に鈍感なこと。これは単純に恋愛経験の無さから来てるわ」
「それは、わかります……」
そうでなければ彼は返事を保留したりしないだろうし、私からの好意にもっと早く気付いていたかもしれない。
気持ちを悟って欲しくないけれど気遣って欲しい、我ながら面倒な心境から何度不満を持ったか数え切れない程だ。
しかしそんな下心のないところが伊鞘君の魅力であり、私が惹かれた要因でもある。
「そして二つ目が最重要事項よ」
「最重要事項?」
「えぇ。イサヤは自分から愛情を向けるのがトラウマになってるの」
「ど、どうしてですか?」
「両親に捨てられる形で奴隷にされたからよ」
「あ……」
少し考えれば簡単に行き着くはずの理由に、腑に落ちたあまり唖然とか細い声が漏れる。
伊鞘君は物心着いた頃から身勝手な両親のせいで貧乏暮らしだった。
当人から聞いた限りの話でも、その日を生きるだけでも精一杯な程に貧困を極めていたのだ。
彼がS級冒険者になってからも生活は改善することなく、両親は息子の稼ぎに胡座を掻く有り様。
どう考えても擁護の要らない卑劣な愚人で、伊鞘君もイヤなくらい熟知していたはずだ。
それでも彼が切り捨てなかったのは、そんな愚かな人達でも自分の家族だったから。
なるほど、優しい伊鞘君らしいと思える。
でもその想いが報われるより先に、他でもない両親にお金を得るために奴隷として売られてしまった。
自分の時間を犠牲にしてまで尽くした息子に対してあまりに惨い仕打ちだ。
信頼も愛情も何もかも不意にされた悲しみを思うと、息が詰まりそうだった。
半年前の彼がどれだけの絶望と失望をしたのかは計り知れない。
エリナに買われた時から、そんな内心を微塵も感じさせなかったのだから尚のこと。
伊鞘君が人に想いを向けるのを躊躇うのは仕方の無いと思えてしまう。
私は自分の臆病さに甘えて、好きな人を苦しませていたのだ。
妹が悪手だと言ったのはまさに正しかった。
「リリ達はいっくんを裏切ったりしないのにぃ」
「それはイサヤ自身も理解してるはずよ。でも頭で分かってても心が同じだとは限らない。こればかりはあたし達が信じさせていくしかないわ」
「信じさせる……」
「そ。イサヤの信頼を裏切ったりしない。そう示すためにもお姉ちゃんから告白する必要があるわ」
「……」
エリナの言いたいことはよく分かった。
伊鞘君から好かれたいと思うのなら、二人と同じくこちらから好意を示さなければならない。
それが出来てやっと最低限のスタートラインに立てるのだろう。
「イサヤが好きで、アイツと付き合いたいならあたしへの遠慮なんて捨てなさい」
「エリナ……」
懇願するように、逃げるなと釘を刺すように、エリナは真摯な眼差しでそう告げた。
妹から力強く背を押された以上、もう私が取るべき選択肢は一つしか無い。
エリナの手を取って、ジッと見つめ合う。
「──不甲斐ない姉ですみません、エリナ」
「……ホントよ。せっかく同じ人を好きになったんだから、もっと嬉しそうにしてよね」
「えぇ。頑張ります」
ひとまずの最優先事項は、避ける伊鞘君と話すこと。
そのために私は二人と別れて彼の元へと向かった。
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「エリナ様ぁ。どうしていっくんの気持ちを教えてあげなかったんですかぁ?」
「あら、気付いてたのね?」
「そりゃバリバリに意識してるのが丸わかりですしぃ~」
「まぁね。でもこれ以上の譲歩したら、お姉ちゃんの初恋を台無しにしそうだったもの。初めての告白くらい、自分の口で言わせてあげたいでしょ?」
「なるほどぉ~……てっきりリリはぁ~、いっくんに意識されてるのが羨ましいから黙ってたと思いましたぁ~」
「……そのおいたの過ぎる口を縫い付けてもいいのよ?」
「やぁんこわぁ~い! お仕事に戻りますねぇ~」
「全く……」
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