吸血鬼のお嬢様は奴隷の血が欲しい


 お嬢から吸血を要求された。

 言葉だけで見れば普段からサクラにしているのと変わらない。

 しかし相手がお嬢というだけで、妙な特別感があるのは否めなかった。


 そして当然ながら俺に彼女の要望を断る理由なんてない。

 二つ返事で了承した。


 そうして吸血するため俺は上着を脱いで上半身裸になり、お嬢が左膝の上に座って向かい合う。

 ……なんか誤解されそうな絵面だが、決してそういった行為じゃない。

 至って健全な吸血である。


 誰に言うでもなく心の中で弁明していると、お嬢が俺の左首筋を指で撫で始めた。


「すっかり肉付きが良くなったわね」

「ジャジムさんに良いご飯を食わせて貰ってるおかげだな」

「じゃあその食事が食べられる環境を作ったあたしのおかげでもあるわね」

「間違ってないけど都合の良い解釈が過ぎる」


 事実だから訂正出来ねぇ。


「お嬢から吸血されるのって何気に初めてだよな」

「えぇ。魔王の血の影響か、あたしとお母様は一回の吸血で得られる活力が段違いなの。お姉ちゃんにとって主食なら、あたし達はおやつみたいな感覚かしら。回数も量も少なくていいから吸血衝動で苦労したことはないわね」

「そうなのか」

「でもあまり有り難いと思ったことはないわ。お姉ちゃんの抱える体質を理解出来ないもの

「お嬢……」


 半吸血鬼故に吸血衝動で苦しんで来たサクラを思うと、吸血衝動が無い方が良いとも限らないようだ。

 けれどもお嬢はまだ寄り添えられるから良いだろう。

 人間の俺じゃ吸血鬼の生態は想像も付かないのだから。


 それでいてなお掛けられる言葉があるとするなら……。

 

「今は俺がいるから心配要らないよ」

「! そうね」


 その言葉にお嬢は少しだけ表情を明るくする。

 会話が一区切りしたのを皮切りに、彼女が俺の顎に手を添えながら口を開く。


「さて、暗い話は置いといて吸血を始めましょう」

「お、おぅ」


 いざ吸血が始まると思うと、サクラから吸われて来た経験が脳裏を過る。

 未だに痛いままなのでどうしても身構えてしまう。


 喉が強張ったまま返事がおかしかったのかお嬢はクスクスと笑みを零す。

 

「なぁに、緊張してるの? お姉ちゃんから何度も吸われてるのに」

「お、お嬢が相手なのは初めてだし、経験上痛みを堪えないといけなかったからつい……」

「半吸血鬼でも経験を積めば痛みの緩和くらい出来るはずなんだけれど……まぁ後で良いわ。あたしは純種の吸血鬼だし、痛くしないから安心しなさい」

「や、優しくお願いします……」


 なんとなく危うい台詞を聞き流しつつ、吸血をするためにお嬢が左の首筋へと顔を寄せる。

 え、首筋?

 そういえばどこから吸うのか聴いていない。

 いつもサクラが右の首筋から吸うのが当たり前になってたから、一瞬理解が遅れてしまった。

 

 吸血鬼の女子にとってどこから吸血するのかは大事なことらしい。

 結局、首筋から吸血する意味がなんなのか知らないままなんだよなぁ。

 これが終わったらもう一度聴いてみるか。 


 そんなことをぼんやりと考えている内に、お嬢の牙が皮膚を貫く。

 文字通り刺す痛みに堪らず顔が歪む。

 やっぱり痛いじゃねぇか。

 そうツッコミを入れようとした矢先にお嬢が血を吸い出した瞬間……。


「──っ!?」


 ドクンっと牙が刺されている箇所から全身へ熱が迸った。

 すると痛みが無くなったどころか、血を吸われる度にゾクゾクと背筋を抗いがたい刺激が走る。

 

 単純に表すならそれは──快楽だった。


「あ、がぁっ! ぐぅ、うぁ……!」


 痛みとは真逆に位置する感覚に蹂躙されるように呻き声が漏れる。

 思考は覚束なくなり、呼吸も荒くなって平静を保てない。

 押し寄せる快楽に抗おうとする理性がガリガリと削られる始末だ。


 リリスに吸精される時でさえこうはならない。

 これが本来の吸血で起きる痛みの緩和なのか?

 いや緩和なんて生易しいモノじゃない、強引に感覚が置き換えられているといって良いほどだ。

 

 サクラの吸血とは比べものにならない上、痛みとは真逆の快感にどうしようもなく身悶えてしまう。

 

「んくっ、んくっ、っはぁ~……んはっ」


 加えて首筋に顔を埋めているお嬢が息継ぎをする度に、色っぽい吐息が耳に入って来るので余計に情欲が煽られる。

 密着しているせいで彼女の体温や柔らかい体の感触が直に伝わって来て、空を掴んでいる手でメチャクチャにしたい気持ちに駆られそうだ。 


 喉から手が出そうな誘惑にグラつきそうになるが、相手はお嬢だと必死に理性で押し留める。

 けれども段々と頭がボーッとしていくせいか、思考が纏まらなくなって来た。

  

 もう早くこの胸の内に燻る劣情を吐き出したい。

 今も吸血中で抱き着いて来るお嬢にぶつけたいとすら思ってしまう。

 

 ──この子は俺のことが好きなんだから良いんじゃないのか?

 

 そんな悪魔の囁きすら聞こえて来る中、なけなしの理性でどうにか抑える方法がないか逡巡した結果、たった一つだけの妥協に行き着いた。

 迷ってる暇なんかない。

 一刻も早くこの熱をどうにかしたかった俺は絶え絶えの息を整えてから口を開いた。


「お嬢、ごめん……!」

「ん、んんっ!?」


 なんとか絞り出した一言で前置きしてから、宙を彷徨っていた両腕でお嬢の小さな体を抱き寄せた。

 瞬間、吸血しているお嬢が愕然とした声を漏らしながら体を震わせる。

 くぐもった声音はどこか嬉しさを孕んでるように聞こえたが、今の俺には気を向ける余裕はない。


 香る甘さと汗のしょっぱい匂いが密着したことでいっそう強く感じられた。

 お嬢の体は力を込めれば折れてしまいそうな柔くて儚さがあって、腕の中を通して止め処ない愛おしさが溢れ出て来る。


「ふ、んん……は、は……」


 そんな状態であってもお嬢は吸血を止めない。

 多く吸う必要は無いはずなのに、病み付きになったように吸い続けていた。


 脳が痺れる快楽に身を焼かれながら、抱き寄せたお嬢の頭を撫でる。

 

「ん……」


 牙を刺したままお嬢が安堵したような声を漏らすと、俺の背中へ腕を回す。

 どのくらい抱き合っていたかは分からないが、しばらくして満足したらしいお嬢が顔を離した。

 牙が抜かれた瞬間、一際強い快楽が押し寄せたものの理性は寸でのところで耐えられた。


「はっ、はっ……」

「はぁ……はぁ……」


 互いに荒い息を繰り返す。

 吸血を終えて顔を合わせたお嬢は蕩けたような面持ちを浮かべていた。

 上気した頬や汗ばんだ肌が非常に扇情的で、まだ吸血中の興奮が収まっていないせいかジッと見つめてしまう。


「んっふふ……あはっ……これがイサヤの味なのね」


 不意に笑い出したお嬢は蕩けきった様子で感想を口にする。

 そのまま自らの唇を人差し指で撫でながら蠱惑的に微笑む。

 

「お姉ちゃんはこんな美味しいのをずっと吸ってたんだ……どうせなら買った時に味見しておけば良かった……」

「お、嬢……」


 未だに逸る心臓が齎す熱に浮かされた俺は、ソッとお嬢の肩に手を回す。

 呼び掛けに反応した深紅の瞳と目が合い、逸らすことを忘れて互いに見つめる。


 自ずとお嬢へ顔を近付けて行って…………。


「──

「ぇ、ぁ、あれ?」


 やけに耳に残る声音で制止された途端、脳裏で膨らんでいた情欲が一気に萎んでいった。

 遅れて意識を取り戻した俺は、ポカンと呆けたままお嬢を見やる。


 そんな反応を見せる俺に対し彼女は惜しむような面持ちで続けた。


「これ以上を望むのは、アンタの気持ちが固まってからよ。それとも今すぐ関係を持ちたいのかしら?」

「っ……いや、落ち着いたから大丈夫だ」

「あら、残念」


 冷静になった頭でキチンと断りを入れると、お嬢はわざとらしく肩を竦ませながら引き下がった。

 

 とりあえず吸血を終えられたと把握したら、強張っていた全身が脱力する。

 あぁヤバかった……ただそれしか言えない。


 お嬢が止めなかったら現実でファーストキスを経験するところだった。

 ……いやガッカリとかしねぇし。

 サキュバス相手に夢で何度もしてるから気にしてないっつーの。


 一人で意味の分からない葛藤をしていると、お嬢は自身が付けた吸血痕を指で擦りながら艶やかに笑う。


「ふふふ。このあたしのモノっていう印、とても良いわね。自分が付けたんだって思うと凄くゾクゾクする」

「どんな性癖だよ……」

「だとしたらイサヤのせいね」

「いや、なんでだ」

「二年前にあんな別れ方するからでしょ?」

「その件に関しては誠に申し訳ございませんでしたぁ!」

「まぁ過ぎたことは良いわよ。こうやって吸血した以上、もう何があっても離さないから一日でも早く受け入れなさいよね」


 そう言い切ったお嬢は再び俺の胸元に体を預けた。

 

 リラックスした様子の彼女の手前、首筋からの吸血が持つ意味を聞く気にはなれない。

 純種の吸血鬼による吸血の凄まじさと、お嬢から向けられた好意の大きさにひたすら圧倒されたのもある。

 

 とにもかくにも、すっかり雁字搦めにされた俺に出来るのは、分かりやすく甘えてくるご主人様の頭を撫でることだけだった。


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