特別にしかなれない女の子



 ──スカーレット家は魔王の血族。


 その衝撃的な事実が明かされたものの、長話になるからと一旦湯船から出ることになった。

 改めて話を聞くために訪れたゼノグリス様の執務室では、公爵様当人とジャジムさん、そしてシルディニア様の姿があった。


「こんばんわ、イサヤちゃん。主人から事情は聞いてるわ」

「こ、こんばんわ……」


 予想半分、驚き半分で恐縮しながらも挨拶を返す。

 のほほんとした彼女の表情や雰囲気は、とても魔王の血族には見えない。

 しかしサクラが半吸血鬼になっている以上、紛れもない事実なのは容易に悟れる。


「さて、話の続きをしようか」


 俺がやって来たのを確認したゼノグリス様が切り出す。


「シルとエリナが魔王の血族であるという事実を知っているのは、スカーレット家以外だとタカシや彼の妃達だけだ。その理由としては魔王に血縁者がいたと知られていなかったという背景がある」

「ワタクシは父に反抗したせいで邪魔だからって幽閉されていたのよねぇ。当時は恨んだモノだけれど、今となっては好都合だって思っているわ」


 シルディニア様の血筋が知られていないのはそういう事情があったからなのか。


 逆にもし周知されていたとしたら、きっと今の平穏はなかったかも知れない。

 何せ魔王は異世界における負の象徴であり、シルディニア様やお嬢がどれだけ善良であろうとも、その血族というだけで無益な争いが起きるのは明白だ。


 それこそ半吸血鬼に対する迫害以上に凄惨なことになってもおかしくない。


 シルディニア様の高貴な雰囲気は隠せるモノじゃないから、公爵家という身分は絶好の隠れ蓑なんだろう。


「そして我が輩は魔王の元側近であり、幽閉時の奥様の世話係だったのだ」

「え?」


 ジャジムさん、今サラッととんでもないこと言わなかった?

 元とはいえ魔王の側近ってことは、実質最高幹部みたいな立場だったってことだよな?


 めちゃくちゃ強いに決まってるわ。

 体育祭前の模擬戦の頃からエルダーリッチーにしては強すぎると思ってたけど、そんな経歴の持ち主じゃ勝てるワケないだろ。


「あの頃からジャジムは美味しい料理を作っていたわねぇ」

「奥様奪還にやって来た旦那様達の前で、我が輩を殺さぬよう進言して下さった恩は忘れませぬ」

「僕としてもジャジムには本当に感謝しているよ」


 親しげに話す三人の姿はなんだか微笑ましい。

 そのまま聞きたい気持ちはあるが、今はお嬢に関する話を優先しないと。


「えっとつまり公爵様が言いたいのは、お嬢の責任感の強さは血筋が原因っていうことですか?」

「その通り。公爵令嬢としての責務を果たすことこそが、贖罪になると必要以上に気負ってしまった。子供が背負うことではないのにね……」


 自嘲気味に零すゼノグリス様の表情は暗い。

 自分達の戦いが残した爪痕が、娘にまで影響を及ぼしていることを憂いているからだろう。


 サクラの時もそうだ。

 悪いのは魔王なのに、過去に受けた傷や恨み辛みを免罪符にして、何もしていない人達ばかりが責められる。


「血筋だけじゃないわ。エリナちゃん一人っ子だっていうのも責任を感じてる要因なの」

「え? どうしてですか?」

「夫婦になって三十年以上になるけれど、ワタクシ達は子宝に恵まれなくてねぇ。やっと妊娠しても流産が二度もあった末に、エリナちゃんを生んだ後で子供が出来ない体になっちゃったの」

「っ!」


 悲しそうに自らの腹部を撫でるシルディニア様に返す言葉が無かった。

 万能薬と言われているエリクサーで治せるのは、肉体の欠損や軽い体調不良だけ。

 病や臓器機能の劣化は治せないから、不老不死なんて土台無理な話だ。

 だから公爵夫妻の間にはもう子供は望めない。


 ゼノグリス様の伴侶はシルディニア様一人であり、側室を持つつもりは無いだろう。

 そういう事情からお嬢だけがスカーレット家の血統を繋げる存在というワケか。


「自衛の術としてエリナには令嬢教育を受けさせた結果、僕達の予想を超える聡明さであの歳で立派な令嬢になった。誇らしい半面で今の姿を思うと、正解だったかどうかは分からないんだけどね」

「ゼノだけのせいではないわ。ワタクシにだって責任があることだもの」


 自信なさげに苦笑するゼノグリス様にシルディニア様が寄り添う。

 その様子は公爵と夫人じゃなくて、純粋に娘の未来を案じるごく普通の夫婦だった。


 我が子を思っているが故に、どうしても上手く立ちゆかないのは立場と血筋が原因なのだろうか。


 魔王の血族で聡明な公爵令嬢……知れば知るほど、俺とは違う世界を生きてきたのだと実感させられる。

 スカーレット家の名を知る人や貴族だって、彼女を異次元の存在みたいに扱うのも納得というモノだ。

 でもだからこそお嬢は自分の弱味を見せられなくなった。


 誰から見ても特別で、どうあっても特別にしかなれない女の子。


 これがエリナレーゼ・ルナ・スカーレットの実情だ。

 解決策を見出すどころか暗礁に乗り上げたような手詰まり感が押し寄せる。

 一瞬だけ心に湧き出た諦念を振り払うが、どうしようもない無力感は拭えないままだ。


 想像を超える前途多難さに何も言えないでいる時だった。


「もしエリナを救える方法があるとすれば、それはイサヤ君次第だ」

「え?」


 ゼノグリス様から投げ掛けられた言葉が咄嗟に呑み込めなかった。

 お嬢を救えるのは俺次第?


「……諦めるなってことですか?」

「押し付けがましいのは許して欲しい。でも今からすることはキミのため、それ以上にエリナのためになる──ジャジム、解呪を」

「御意」

「か、解呪?」


 公爵様の命令を受けたジャジムさんがにじり寄って来る。

 後退りして距離を取ろうとするが、程なくして壁に背を貼り付けてしまう。


 やだ待って骸骨姿で迫られたら普通に怖い!


 ガクガクと震えながら身構える俺の額に、ジャジムさんの白くて細い人差し指が当てられた。

 うわ、堅くて冷たくて違う意味でドキドキする。


「ヌァァッ!!」

「っ!」


 今にも息の根を止めて来そうな奇声を上げたかと思うと、触れられた額からビリッと鋭い稲妻が走る。

 次は頭の中に巻き付けられていた鎖が音を立てて砕けた気がした。

 そして最後に起きたのは瞬く間に脳裏を駆け巡る何かの奔流だ。


「ぐっ……!」


 振ってから開けた炭酸ジュースみたいに溢れ出る記憶の波は凄まじくて、情報の重量に頭が痛む。

 堪らず手で押さえるがまるで効果は無い。


「それはジャジムの魔法で封じていたキミの記憶だ。消していた訳ではなく、あくまで思い出せないだけの簡単な催眠術みたいなモノだね」


 公爵様が何か喋っているが、頭が痛いせいで耳に入ってこない。

 脳を鷲掴みにして押し潰されるような激痛に、目も開けていられないくらいだ。

 もう立つ力すら無くなって、その場で蹲ってしまう。


 俺の様子がおかしいのは目に見えて分かっているはずだが、ゼノグリス様は構わずに続けた。


「ゆっくり休みながら一つ一つ整理すると良い。それがキミの求める答えに繋がっているはずだからね」


 どういう意味だ?


 その問いすら口に出来ないまま、俺の意識は途絶えるのだった。



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