スカーレット家の真実


「ふぅ~。一仕事を終えた後の入浴は格別だね」

「然り。この一時ひとときに勝る至福はそうありませぬな」

「あっはは。ジャジムは骨だから痛覚以外無いじゃないか」

「おっと、これは一本取られてしまいました」

「ほ……っ! んん゛っ!!」


 あぁっっっっぶねぇ!

 めちゃくちゃすべりそうなこと言い掛けた!!


 寸でのとこで堪えた自分を褒めつつ、改めて状況を確認する。


 風呂に入っていたら雇い主の親と上司が入って来た。


 うん、普通に気まずい。

 特にゼノグリス様とは本邸に来て以降、まともに会話したことがない人だ。

 どんな話をすればいいのか分からない。


 強いて挙げるならお嬢のことだけど、風呂に浸かってゆったりしているのにデリケートな話題を出すのは憚られる。

 でもこんなチャンスは滅多にない。

 なんとかお嬢の話に繋げられるように何か話題を──。


「イサヤ君。エリナの奴隷になって四ヶ月になるけれど、何か不自由はしていないかい?」

「え?! い、いえ。むしろ普通の奴隷より良くして貰っています。俺の人生が一変して豊かになったのはお嬢のおかげですから」


 思考に耽っている内に公爵様から話し掛けられ、驚きながらも姿勢を正して答えを口にする。

 俺の返答にゼノグリス様は赤い目を嬉しそうに細めながら微笑む。


「それは良かった。初めて奴隷を持つから心配だったけど、上手く行っているようで何よりだよ。サクラとリリスも前に会った時より、随分といい顔をするようになった。吸血と吸精は大変だろう?」

「まぁ一概に楽とは言えませんけど、彼女達の役に立てるなら嬉しいです」

「あはは。本邸に来て貰った時にも言ったけど、サクラの件は特に感謝しているんだよ。血は繋がっていなくとも、あの子も立派な僕達の家族だからね」


 そう語るゼノグリス様の表情には、養子として迎えたサクラに対する確かな思いやりが窺えた。

 彼女を救ったのがスカーレット公爵家で本当に良かったと思う。

 あぁ、一つ訊きたいことがあったのを思い出した。


「えっと、不躾な質問をしても良いですか?」

「ん? 構わないよ」

「ありがとうございます。その……サクラを、半吸血鬼ヴァンピールを養子といて引き取ることに抵抗はなかったんですか?」

「ふむ、確かに半吸血鬼の現状を知っていたら抱いて当然の疑問だね」


 俺の質問に公爵様は嫌な顔をしないまま続ける。


「シル……あぁ、シルディニアのことだね。妻が瀕死の地球人の女の子を、半吸血鬼にして助けたって聞かされて驚いてしまったよ」

「何せサクラ嬢は理性を保って生存している半吸血鬼として、唯一と言っても過言ではありませんからな」

「そ、そんなに貴重な存在だったんですか……」


 ジャジムさんが補足した内容に俺は目を丸くしてしまう。

 でもよく考えれば保護されたサクラ以外の半吸血鬼が、異世界の誰かから吸血出来る可能性は低い。

 そう思うと彼女はいい人達に恵まれて良かったと微笑ましくなる。


「養子にすることに迷いはなかったよ。それで周囲がどう反応しようと、スカーレット公爵家の権威の前じゃどれもさざなみにしかならないさ」

「漣程度なのか……」

「あの子を守ることは引き取った責任でもある。義理でも父親の僕としては、イサヤ君になら娘を安心して任せられると思っているよ」

「いやいや畏れ多いですって」

「謙遜することはないじゃないか。タカシと同じく種族を気にせず接する性格のキミだからこそ、サクラもリリスもエリナだって心を開いているんだ」

「……だと良いんですけどね」


 ゼノグリス様の称賛は嬉しく思う反面、お嬢に何も出来ない現状が引っ掛かって素直に受け取れなかった。


 王様と同じ性格ってジャジムさんから聞いたんだろうか?

 でも本当にそうなら俺はもっとスマートにお嬢の力になれたはずだ。

 そうじゃないからこんなにもモヤモヤと頭を悩ませている。


 そんな無力感と劣等感から顔を伏せている時だった。


「──エリナのことが心配かい?」

「っ!」


 心を読んだかのような図星に驚きながらバッと顔を上げる。

 公爵様は変わらず柔らかな笑みを浮かべたまま、見透かすように赤い目で見つめていた。


 あぁも的確に言い当てられたら、誤魔化すなんて野暮な真似は出来そうにない。

 だから俺は無言で首を縦に振った。


 肯定に対してゼノグリス様は優しく笑いながら続ける。


「ははっ。身内に心配を掛けるようじゃ、あの子もまだまだだね」

「十四歳になったばかりなんですから仕方ないかと」

「そう、十四歳とは思えないくらいに聡明な子が、目に見える形で無茶をしてるのは良くない」


 それはふとした閃きというか直感だった。

 今ここで踏み込まないといけない。

 そんな根拠のないまま勢いに突き動かされた俺は咄嗟に口を開いた。


「あの! お嬢の婚約者選びを止めることって出来ませんか!?」

「……それは質問かな? それとも願い? 捉えようによっては不敬の謗りを受けかねないよ?」

「っ、ね、願いです。お嬢には、幸せになって欲しいですから」


 スッと細められた赤目から放たれる威圧に息を詰まらせ掛ける。

 彼の言葉は貴族として当たり前だ。


 言ってしまえば俺個人の心情で、お嬢の令嬢生命の歯車を外すような発言だから。

 善意からの行動であっても、彼女が喜ぶ保障なんてどこにもない。

 でも本当にお嬢の幸せを思うなら、望まない結婚なんてして欲しくなかった。


 ゼノグリス様は神妙な面持ちを浮かべたまま沈黙が続く。

 圧迫されるような重い空気の中、公爵様はふぅっと息を吐いて爽やかな笑みに切り替えた。


「試すようなことをして悪かったね。結論から言えば縁談を止めることは出来るよ」

「ホントですか!?」

「ただしそれはエリナが望んだ場合だ」

「っ! そう、ですよね……」


 一瞬だけ跳ねるように喜び掛けたが、明かされた条件を聞いて肩を落とす。

 そもそもお嬢が婚約者選びに精力的だから、親である彼だって止めたくても止められないんだ。

 少し考えれば分かる障害に気付かなかった浅慮さが嫌になる。


「気を落とすのはまだ早いよ。僕としてもエリナには心から好いた相手と結ばれて欲しいと願っているさ」

「それは……自分達もそうだったからですか?」

「あぁ。僕がタカシに付いて旅をしていたのも、魔王に囚われていたシルを救うためだったからね」


 そういえばサクラから聞いたことがあった。

 公爵様とシルディニア様は幼い頃から互いを想い合っていたが、立場や身分の関係で中々思うように進展しなかったと。

 そんな折りにシルディニア様が魔王に囚われてしまい、彼女を助けるためにヴェルゼルド王と手を組んだという。


 魔王を倒した功績もあり二人はようやく結ばれた、異世界では有名な恋愛の逸話なんだとか。

 思い出しながら答えると、ゼノグリス様は首肯したもののどこか含みのある表情になる。


「でもその逸話は大衆に周知させるために喧伝したもので、実際の事情は伏せてあるんだ」

「え?」

「僕が公爵の地位に就いたのは彼の親友で、魔王を倒した英雄の一人だからというのもあるけど、一番の理由はシルの身柄を守るためだ」

「シルディニア様を守る?」


 どういうことなのだろうかと聞き返すと、公爵様は右手の人差し指を立てる。


「イサヤ君。スカーレット公爵家が王に次いで高い実権を握っているのはね、ある秘密を抱えているからなんだ」

「秘密って……」

「これはサクラもリリスも知っていることだ。義理堅いキミなら決して吹聴しないと思っているけど、念のため友達に話したりしないで欲しい」

「は、はい」


 内容を聞かされるより先に、公言しない約束を取り付けられた。

 困惑を隠せないまま了承すると、ゼノグリス様は大仰に頷いてから続ける。


「その答えの前に一つだけ問題だ。半吸血鬼はどうやって生まれるのだったかな?」

「え?」


 なんだその簡単な問題は?

 そうは思いながら、記憶を掘り返しつつ口を開く。


「具体的な方法は知りませんけど、高位の吸血鬼だけが人から変貌させられるんですよね?」

「正解。そうなるとサクラを救ったシルはその高位の吸血鬼に値する」


 それなら、と彼は続け様にこう言った。


「では半吸血鬼はどうして魔王の使徒と呼ばれていると思う?」

「…………魔王が、だから、ですか?」

「正解」


 それほど逡巡する必要も無く、おずおずと出した答えにゼノグリス様は首肯する。


 心がどうしようもなくざわつく。

 長風呂していて逆上せてもおかしくないのに、何故か肝が冷えて仕方が無い。


 いや本当は薄々でも理解しているんだ。

 ただ脳が拒んでいるだけ。


 それでもゼノグリス様は、目を逸らしたい事実を口にする。




「──シルは魔王の血族だ。もちろん、娘であるエリナもね」




 スカーレット家は今は亡き魔王の末裔だと。



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