公爵様とご対面~


 海水浴場から二時間くらい馬車で移動して着いた先は、スカーレット公爵家本邸だ。

 

 本邸というだけあって三階建ての豪奢な屋敷で、別邸より広大な敷地面積を誇っている。

 いやこれもう、ショッピングモールと同じくらいあるぞ。


 二つの意味で違う世界の様相に顎が外れそうなくらい立ち尽くしていると、グイッとお嬢に腕を引っ張られた。


「ほら、早く行くわよ」

「お、おぉ……」


 久しぶりの実家でテンションが上がっているのか、お嬢は元気よく俺の手を引いて歩いて行く。

 しかし彼女とは対照的に俺は弱い相槌しか口に出来なかった。


 そんな俺の顔をお嬢はジっと見つめたかと思うと、何かを察したのか手を離してニヤニヤとイジワルな笑みを浮かべる。


「なぁに? まだ膝枕で寝ちゃったのが恥ずかしいの?」

「し、仕方ないだろ。まさか本当に着くまで寝るなんて思わなかったし……」

「それだけ疲れてたってことでしょ? お母様達と顔を合わせたら後は自由にしていいから、しっかり休みなさい」

「……へい」


 その通りなので言い返せず項垂れるしかなかった。

 

 でもお嬢の膝枕、ホントに心地が良かったなぁ。

 普段より熟睡したから心身ともに驚くくらい軽くなっている。


 これなら明日からのリハーサルもこなせそうだ。


 サクラ達と並んでお嬢の背に続いて歩くこと三分程で本邸の玄関へと着いた。

 別邸で貴族の家には慣れたはずだが、本格的な異世界の様式となるとまた違う緊張が走る。

 固唾を飲みながらお嬢が屋敷のドアを開けると……。


「「「「──おかえりなさいませ、エリナレーゼお嬢様」」」」


 左右に整列した本邸に勤める使用人達に出迎えられた。

 種族も年齢もバラバラながら、揃って礼をする様子は感歎以外の感想が出てこない。


 エントランスの内装も豪華絢爛で、三階まで伸びた大きな階段や天井まで見える吹き抜けになっていて、窮屈さを感じさせない開放感があった。

 壁に掛かってるよく分からない絵画とか、廊下の端に置かれてる壺とか絶対に触りたくない。

 別邸の方がまだマシに思える辺り、慣れよりも庶民の感覚が残ってて少し安心した。


「えぇ。ただいま」


 思わず萎縮しそうな空気の中でも、お嬢はたおやかな微笑みを浮かべながら進んでいく。

 

 その光景を見ていると公爵令嬢なのだと突き付けられる。

 本来だったら顔を合わせることも無ければ、一緒に海へ行ったりすることもない。

 膝枕なんてされた日には不敬罪を言い渡されてもおかしくないだろう。


 まさしく雲の上にいるような令嬢に買われたというのは、この先の人生においてもまたとない奇跡としか思えない。

 だからこそ、来たる誕生日パーティーは絶対に成功させたいと強く願う。


 そんな決意をしている間に、お嬢はある地点で足を止める。

 視線の先に目を向けると、そこには見覚えのある人物の姿があった。


「お帰りなさい、エリナちゃん」


 お嬢と同じ長い金髪、穏やかな笑みを形作る深紅の瞳、成人したばかりの女性に見えるほど若々しい美貌、藍色のドレスを身に纏う優雅な佇まい。

 シルディニア・ルナ・スカーレット……お嬢の母親で公爵夫人だ。

 会うのは五月頭のお茶会以来、二ヶ月振りだった。


「ただいま帰りました、お母様」


 そのシルディニア様からの挨拶にお嬢は私服姿のままカーテシーを披露する。

 娘の姿を見た彼女はニコリと微笑みを浮かべて……。


「それじゃ堅苦しいのはここまでにしましょ! サクラちゃん達も楽にしてね!」

「畏まりました」

「りょ~かいですぅ~」


 厳かさとは無縁の明るい雰囲気に俺達は揃って肩の力を抜いた。

 久しぶりに会ったけど、シルディニア様の柔い言動に安心する。

 内心で安堵していたらふと夫人と目が合った。


「イサヤちゃんも久しぶりね! 元気にしていたかし、ら……」

「シルディニア様?」


 何故か途中で言葉を止めた夫人に呼び掛けるが、よく見ると視線が下の方に向いている。

 何を見ているのだろうかと目線を追ってみて……察した。


 サクラとリリスがそれぞれ握ってる俺の両手だわ。

 悟った瞬間にこれから表れるであろうシルディニア様の反応が容易に想像出来てしまう。


「まぁまぁまぁまぁ!! サクラちゃんとリリスちゃんと仲良く手を繋いでいるだなんて、ちょっと会わない間に随分とプレイボーイになったのね!」

「なってませんし、そもそも二人とは付き合ってませんから!!」


 右手を頬に当てながら喜びを露わに、俺達の関係を盛大に勘違いしていた。

 そりゃお茶会の頃と比べたら破格に仲良くなった自覚はあるけど、交際にまでは発展していない。

 いやリリスに限っては一歩手前まで進んだけれど、俺が返事を保留しているので嘘は言っていないはずだ。


 咄嗟に否定したものの、両手がギリッと強めに握り締められる。

 痛い痛い、血流が止まりそう!


 俺の返答にサクラとリリスは不満だったらしい。

 交際を否定しただけなのに理不尽だ。


 ともかく交際していないと分かったからか、シルディニア様は残念そうに眉を下げる。


「あらそうなのね……二人とも、大変でしょうけれど相談があればいつでもワタクシに連絡してちょうだい?」

「ありがとうございます、シルディニア様」

「結婚した先輩として頼りにさせて頂きますぅ~♪」


 あれ?

 なんか残念のベクトルが違う気がする。

 俺には何もないんですか? 


 言いようのない疎外感を覚える俺を余所に、シルディニア様の協力を得られた二人は嬉しそうに返した。

 まぁ誤解が無くなったならそれでいいけども。


 そう自分を納得させていると、コツンっと足音が響く。

 反射的に目を向けた先には一人の男性が階段を降りていた。


 夜空を彷彿とさせる漆黒の長めの髪をうなじ辺りで束ねていて、血のように赤い瞳は柔和な印象を抱かせるほどに優しげだ。

 好青年といった若い風貌に驚きを隠せない。

 シンプルなシャツとズボンの服装だが、佇まいから溢れ出る気品の高さから一切の油断も出来そうになかった。


 あの男性が誰なのか……流石に分からないほどバカになったつもりはない。


「おかえり、エリナ」

「ただいま帰りました、お父様」


 お嬢の父親でありスカーレット公爵家の当主──ゼノグリス・アーデ・スカーレット様だ。 

 まだサクラから指導を受けていた頃に色々と教わって良かった。

 吸血鬼ながらヴェルゼルド王の親友で、共に魔王の支配を終わらせた英雄の一人だ。

 柔らかな物腰から想像はつきにくいが相当な実力を秘めていると分かる。

 

 尤も貴族社会では無用の長物になるだろうが。

 

 それにしても顔写真を見せて貰った時も思ったんだけど、どこかで会った気がするんだよなぁ。

 全く思い出せない辺り、もしかしたら勘違いなのかも知れない。


 形にならないデジャヴを感じている間に、お嬢と挨拶を交わしたゼノグリス様が俺達の方へと視線を向けた。


「サクラとリリスも久しぶりだね。元気そうで何よりだ」

「お久しぶりです、旦那様」

「えへへぇ~ありがとうございますぅ~」

「そしてキミとは初めましてだね、イサヤ君」

「は、初めまして。辻園伊鞘です」


 芸能人に会ったみたいに恐縮しながら名乗る。

 おずおずと握手を交わすが、手汗とか大丈夫だっただろうか。


 そんな心配が頭を過ったものの、公爵様の反応を見る限りは杞憂だと思いたい。

 

「エリナから手紙で色々と聞いているよ。複雑な事情を抱えたサクラとリリスを救ってくれたってね」

「あ、ははは……俺のしたことなんて微力程度ですよ。前を向いたのは他でもない二人ですから」

「謙遜することはないよ。一目見て二人の表情が明るくなったのは分かったさ。特にサクラは事情が事情だからね……義父としても義娘を前向きに変えてくれたことには感謝しているんだ」

 

 そう感謝の言葉を紡ぐゼノグリス様の表情はどこか懐かしむような、感慨深さを微笑みの中に滲ませる。


「家族を救ってくれたキミにはどう礼を返せば良いのか分からないな」

「えっと、俺はただやれることをやっただけですよ……?」


 大きすぎる言葉に決して大層なことはしていないと返す。

 そこまで持て囃される程じゃないし、出来れば普通にして貰いたい。


「……」


 内心で祈りながらの返答にゼノグリス様が赤い目を丸くしていた。

 あれ、なにかミスったか?

 愛想笑いの裏で冷や汗を覚えていると、公爵様は堪らずといった風に噴き出した。


「あっははは! あぁ。キミらしくて安心したよ」


 一体どこに笑いどころがあったんだろう?

 安心って何が?


 疑問が浮かんでは消える中、ゼノグリス様は仕事があるからと部屋へと戻っていた。

 執務室で何かしらの書類仕事でも片付けているんだろうか。


 少し引っ掛かることはあったが、今は体を休めることに集中しようと、本邸の使用人に案内して貰った部屋で早速休んだ。

 翌日……マジに忙殺されたせいで疑問はすっかり忘れてしまうのだった。

 


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