異世界へバカンスに行こう!



 ──七月二十三日。


 お嬢の誕生日パーティーのために、地球から異世界へ向かう日だ。

 同時にお嬢が企画した慰安目的の海水浴の日でもある。

 誕生日が近い彼女からの粋なプレゼントに、俺達は誰一人断ることなく感謝しながら受け取った。


 訪れた当日の朝は快晴……異世界でも同じ天気ならなお良しだ。


「──おはようございます」


 荷物を持って屋敷の入り口で待ちながらグッと背伸びをしていると、背後から声を掛けられる。

 そっちに顔を向けると、白髪の混じった茶髪をオールバックにした還暦を迎えたばかりのような老人の姿があった。

 赤いアロハシャツにハーフパンツというラフな格好ながら、一目で紳士だと分かる優雅な佇まいからただ者じゃないと分かる。

 

 というかこの人誰だ?

 屋敷に来て三ヶ月以上経つけど、初めて見る顔だぞ。


 記憶を探っても全く心当たりがなくて、出来るだけ失礼にならないよう愛想笑いを浮かべながら尋ねることにした。


「えっと、どちら様でしょうか?」

「おや、わかりませんか? ではこれならばどうでしょう」


 老紳士は大して気にした様子を見せないまま顔を伏せて……。


「──フゥーッハッハッハッハ! いくらこの姿の我が輩が初見と言っても、すぐに分からないようではまだまだ精進が足りんぞ、小僧!」

「ジャジムさん!!?」


 知ってる人だった!!

 無駄に尊大な物言いと口調で嫌でも目の前の老紳士がジャジムさんだと分かる。


 分かるけど……なんで人の姿になってんだ!?

 

「エルダーリッチーの我が輩に掛かれば、ユニコーンなどが扱う人化の魔法くらい習得済みだ」

「あ、そういう……」


 妙に納得のいく説明だ。

 しかし見れば見るほど、目の前のダンディな老紳士がジャジムさんだと思えない。

 普段の骸骨姿に慣れたのもあるが、白馬といい人化の魔法を使うと揃って顔が良くなるのがズルいと感じてしまう。


 それにしてもだ。


「いつも人間の姿になっていれば、骸骨姿で怖がられることもないのに」

「そういうと思ったわ。だが残念なことに我が輩の人化魔法は独学でな。見てくれだけで五感は消失したままであり、維持するために消費する魔力量も多い。普段使いには向いておらぬのだ」

「なるほど」


 買い物とかする分には問題ないけど、白馬みたいにずっとそのままではいられないのか。

 

 独学とはいえ人化魔法を再現したジャジムさんが凄いのか、彼でさえ長時間は維持できないのに維持している親友が凄いのか分かりづらい。

 ともかく知り合いだと分かったなら無理に肩肘を張ることもないだろう。 


 そう思いながらジャジムさんの談笑していると、今度はお嬢がやって来た。


「あら、早いわね。おはようイサヤ」

「おはよ、お嬢」


 横向きに被った青色のキャップから飛び出る金髪のサイドテール、襟と袖にフリルがあしらわれている白いTシャツの上に、ミニスカートタイプのサロペットを重ね着している。

 小柄で華奢な体躯ながら、凜とした佇まいは年下と感じさせない程に大人びていた。


「昨日はちゃんと寝たの?」

「屋敷に来てからはいつもぐっすりだよ」

「それなら良かったわ」


 心配は要らないと返すと、お嬢はニコリと笑みを浮かべる。

 この歳になって流石に遠足前の子供みたいな凡ミスはしない。

 

「いっくん~、エリナ様ぁ~。おはよぉ~」

「リリス。おはよ」

「おはよう、リリス」


 続いてやって来たのはリリスだ。

 パステルブルーのオフショルダーシャツ、大胆に足を露出したショート丈のパンツという如何にも夏らしい装いだった。

 ピンクの髪は降ろしており、波のように広がった後ろ髪は普段と違う印象を受ける。


 活発さと色っぽさを兼ね備えたリリスらしい私服だと言えるだろう。


 じっと見ていたのに気付いたのか、リリスはニヤニヤとからかうような笑みを浮かべた。


「えへへぇ~。似合うでしょ~いっくん?」

「あ、あぁ。なんか大学生みたいに見えて新鮮な感じ」

「そうなんだぁ~……次の吸精はお姉さんプレイにしよっかなぁ~」

「言わなきゃ良かった!」


 称賛を口にしたのを後悔させられる言葉に頭を抱えた。

 最近の吸精は夢の中で行うことが多くなったため、一線を越えないなら良いと言わんばかりの攻めを食らっている。

 その上で俺への好意を全力で伝えて来るので、心臓が破裂しそうなくらいドキドキさせられているのが常だ。


 早く答えを決めないと理性が保たない。

 かといって焦った先での答えにリリスが喜ぶとも思えなかった。


 なんとも難儀な状況だと頭の痛くなる話だ。

 そんな思考に耽っていると、こちらへ近付いて来る足音が耳に入る。

 最後の一人であるサクラだろう。


「おはようございます」

「おはよ、サク、ラ……?」


 聞こえた挨拶に返しながら顔を向けると、目に映った彼女の姿に言葉を失くす。


 麦わら帽子と白いノースリーブのワンピースというシンプルな装いだが、サクラの突出した容姿を存分に引き立てている。

 髪をハーフアップに束ねて赤いリボンで括っているため、ある意味でお嬢よりも令嬢らしい。

 お淑やかな性格の彼女に似合っているし、言ってしまえば一番好みな方だった。

 だがそれ以上に俺が目を奪われたのはサクラの髪色だ。


 昨日まで銀髪だったはずが、つややかな黒髪になっていたのである。

 幸い紅の瞳で彼女がサクラだと分かったが、それでも突然の変化に戸惑いを隠せない。

 絶句する俺の反応が思わしくなかったのか、サクラから不安げに眉を曲げながら口を開く。


「あの、伊鞘君。変、でしたか?」

「っ! いや、その……髪、黒くなっててビックリしただけだよ」

「あ、分かります。私も自分の黒髪を見るのは十年振りで、なんだか新鮮な気分でした」

「そうだよな、日本人だったんだから元は黒色だったんだよな」


 決して悪い感じではないと伝えていると、クスクスと笑うお嬢から呼び掛けられる。


「ふふ、サプライズ成功ね。これこそが、ジャジムが用意した策よ」

「髪色を変えるのが? 確かに銀髪じゃないなら普通の吸血鬼にしか思われないだろうけど、そもそもどうやって染めたんだ?」

「サクラ嬢の着けているリボンがあるだろう? あれは我が輩が作った、人化魔法を応用して髪色だけを変える魔法具だ。身に付けている限り、予め決めた色に変えることが可能なのだ」

「そんなことも出来るんだ……」


 つくづくジャジムさんの万能っぷりに感心してしまう。

 もうどこかの猫型ロボット並なんだよなぁ。

 出来ないことの方が少なさそう気がしてきた。


「実を言うと魔法具自体は昔からあったのよ。でもサクラは着けるのを拒んで、お蔵入りになってたの」

「え、なんで?」

 

 お嬢から知らされた過去に疑問を返す。

 それに答えたのはサクラだった。 


「銀髪から違う色にすれば迫害を受けないことは承知していました。それでも着けなかったのは、髪色を変えてしまえば逃げたのも同然だと思い込んでいたからなんです」

「それは……」

「もちろん私の我が儘です。髪を染めたら半吸血鬼になって生き長らえたことを後悔している。そう認めるようで嫌でした」


 自らの思いを吐露するサクラの表情は、自嘲するような雰囲気を漂わせていた。

 

 正直に言ってしまえば、髪や目の色を変えていれば良いのにと思ったことはある。

 そうすれば少なくとも彼女が受けた悲劇の幾つかは避けられたはずだからだ。


 けれどもそれで本当に良かったのかと言われたら頷けない。

 半吸血鬼であることを隠し続けても、ふとした拍子にバレて必要以上に被害を受ける可能性は否めなかった。

 むしろ本当のことを知れば距離を取るだろうと、今と変わらず人間不信を抱えることもあり得る。


 そう思うと反抗心からであっても、逃げることを良しとしなかったサクラの強さに感服する他ない。

 だからこそそんな彼女が今になって髪色を変えるのを受け入れたのか。

 結局その疑問に行き着くわけだ。


「今は違うのか?」

「はい。ちゃんと私を見てくれる人がいますから、意地を張るのは止めました」

「っ」

 

 俺の問いに対してサクラは自分の髪を摘まみながらニコッと明るい笑みを浮かべた。

 その憂いをった柔らかな微笑みを前にして堪らず胸が高鳴る。

 

「そ、それで伊鞘君。感想はどうでしょうか?」

「えっ!? あ、えぇっと……に、似合ってる。今までで一番、綺麗だって思った」

「っ、あ、ありがとうございます……」


 しどろもどろになりながらも感想を伝えると、サクラは顔を伏せながら礼を口にした。

 麦わら帽子で表情はよく見えないが、少なくとも不快には思われなかったようだと安堵する。


 まだ外に出てないのにやけに暑い。

 火照った顔を冷まそうと手で扇ぐ俺を、お嬢達がニヤニヤと面白そうに見つめているが無視だ無視。


 なんとも言えない気持ちを抱えたまま、俺達は異世界への出発するのだった。

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