例年より余裕と期待のある夏休みが来る



 ──七月二十一日。


 今日は一学期の終業式がある日。

 大半の学生が待ちに待ったであろう夏休みがついに訪れたのだ。


 先週の期末テストを終えた時でさえ大賑わいだっただけに、先生がホームルームの終了を告げた途端、ドッと歓喜の悲鳴が湧き上がった。

 思わず耳を押さえて顔を顰めたものの、俺も内心では夏休みの到来を楽しみにしていた方だ。


「白馬。今年の夏休みはどうするんだ?」

「好きに過ごすさ。もし用があればいつでも受け付けるぞ」

「サンキュ」

「礼には及ばん。今までの状態を思えば、親友の誘いを断る理由などないからな」


 そう語る白馬は実に楽しそうな面持ちを浮かべていた。


 去年までは異世界に行ってひたすら依頼をこなしていたが、今年はそんな必要は無くなっている。

 お嬢の奴隷になったことでバイト漬けの日々から解放されたからだ。

 もちろん一切働かなくて良いワケじゃないが、それでも例年より遙かに落ち着けるはずだろう。

 かつて羨んでは諦めていた、学生らしい青春を過ごせる期待で胸が踊っている。


 屋敷での仕事で貰った給料もあるし、遊ぼうと思えばどこへでも行けそうだ。

 しかしいざ考えると色々と選択肢が多くて迷う。


「伊鞘君、帰りましょうか」

「いっくん~お待たせぇ~!」


 そんな風に思考を張り巡らせていると、俺達の元にサクラとリリスがやって来た。


 体育祭以降こうやって彼女達が俺と接していても、やっかみが無くなってとても過ごしやすくなっている。

 その根本にあるのが恐怖っていうのが腑に落ちないものの、二人に対する無闇な誘いも無くなった点は良かったと思う。


 尤も夏休みも一緒だということに関しては羨望の眼差しが向けられているが。

 同じ職場に住み込みで働いているんだから、そんな目で見られても俺にはどうしようもない。

 ともあれ二人と合流したので帰るために席を立つ。


「じゃあな、白馬」

「あぁ。良い休みになることを願っている」


 親友に挨拶をしてからサクラ達と学校を後にする。


 右にサクラ、左にリリスが並んで俺と歩いて行く。

 そうして二大美少女と歩く様は、相変わらず周りから注目を集めている。

 落ち着かない肩身狭さを感じるが、両隣にいる彼女達に心配させないように平静を装う。


「明日から夏休みかぁ~。海に行ったり夏祭りに行ったりぃ~、あとはキャンプとかもしたいねぇ~」

「遊んでばかりじゃないですか。屋敷の仕事や課題もあるんですから、休みだからといって気を抜きすぎてはいけません」

「むぅ~サクちゃんったらノリ悪い~。そんなんじゃせっかくのチャンスを逃しちゃうよぉ~?」

「チャンス? 何か狙ってるのか?」

「い、伊鞘君には関係ありません!」


 何やら意味深なリリスの言葉を聞いてサクラへ問い掛けたが、当人は顔を真っ赤にして慌てながら口を閉ざしてしまう。

 俺には関係なくて、でもサクラにとっては大事なことか。


 少し逡巡してみたところ、程なく答えに行き着いた。


「あっ。分かった」

「えっ!?」

「もしかして月末にある、お嬢の誕生日プレゼントを選ぶとか?」

「──……そうですね」

「あれ?」


 これだと思ったのだが、サクラは一瞬だけ喜んだもののすぐ真顔になってしまった。

 屋敷に来たばかりの頃を思い出す冷たい表情だ。


 どうやら違うらしい。

 だが生憎とお嬢の誕生日以外で、サクラが気に掛けるようなことは思い浮かばなかった。


「うわぁ~……今のはリリも無いなぁって思うよぉ~」

「え。そんなに深刻なミスした?」

「いっくんってリリ達が落ち込んでる時は凄く察しが良いのにぃ~、乙女心に関してはすぅっごいおバカさんになるよねぇ~」

「間違えただけでそこまで言う?」

「女の子的には相応だよぉ~」

「理不尽だな……」


 呆れたようにジト目で見つめて来るリリスにこれでもかと罵られた。

 サクラも追い討つかの如く同感だという風に頷いてる。

 釈然としないが二対一では大人しく受け入れるしかないと肩を落とす。


「まぁいっくんの鈍さは置いておくとしてぇ~」

「うぉっ!?」


 リリスがそう言いながら俺の左腕を抱き寄せた。

 当然そんなにくっつけば、彼女の豊満な胸が押し当てられる姿勢になる。

 夏服という薄着なのも相まって、左腕に伝わる柔らかな感触がより鮮明になっていた。


 不意な接触に心臓が高鳴り、堪らず動揺から声を漏らしてしまう。

 いきなりなんだと目で訴えるが、リリスは素知らぬ笑みを浮かべたまま俺の耳へと顔を寄せていき……。


「リリの水着ぃ、楽しみにしててねぇ~。いっくんが思わず好きになっちゃうくらい可愛いの選んだからぁ~♡」

「~~っ!」


 なんとも想像を掻き立てるような宣言を口にした。


 甘い吐息による擽ったさと鼓膜を震わせる魅惑的な声音により、ゾクゾクと背筋に抗いがたい痺れが走る。

 一瞬でも気を抜けば腰が抜けそうな刺激に歯を食いしばって堪えた。 

 日々の吸精により俺の耳はリリスに囁かれるだけで、全身が弛緩するようになってしまっている。


 これでも一応S級冒険者なのに……サキュバスって怖。


「あはぁ~、いっくんったら顔真っ赤だねぇ~?」

「誰のせいだと……!」

「ちゃんとリリのことぉ、意識してくれて嬉しいなぁ~」

「ぐっ」


 動揺する俺をからかうリリスを睨むも、図星を衝かれたことで絶句してしまう。

 こうなると口で勝てる道筋は無い。

 人をイジることに関しては彼女の得意分野なのだ。


 黙って聞き流すのが精一杯の抵抗である。

 羞恥に悶えそうな心を支えていると、今度は右側に身体を引っ張られた。


「……」

「さ、サクラ?」


 腕を引いたのはサクラだった。

 何故か頬を膨らませて俺を睨んでおり、目に見えて不機嫌になっている。


 どうしてそんな表情をしているのか分からずに呼び掛けた。

 しかし彼女はキッと更に眼力を強くし、俺の腕を抱き締める力も込めるだけで何も言わない。

 腕の痛みはあるものの、リリスに勝るとも劣らない大きさの胸の感触が伝わって来る。

 内心でドギマギしながら平静を装いつつ、何やら機嫌の悪い彼女に声を掛けることにした。


「サクラさ~ん?」

「デレデレと鼻の下を伸ばして……だらしないです」

「うっ」


 呼び掛けに対して口を開いたと思った瞬間、鋭利な毒舌が放たれた。

 それはもう身体を貫通するくらい尖ったのが突き刺さる。

 リリスの言動にドキドキしたのは事実なので返す言葉が無い。


 胸を押さえたいが依然両腕が塞がってる状態なので、表情筋を引き締めることしか出来なかった。

 今さら繕ったところで意味は無いかもしれないが、少しでも機嫌を直して貰うにはこうするしかない。


「ゴメンって。今まで女子と遊ぶ機会って無かったし」

「言い訳は聞きたくありません」

「いや俺が悪いのは百も承知だけどさ……」

「許して欲しいですか?」

「そりゃもちろん。サクラと気まずいままなんて嫌に決まってる」

「でしたら──」


 許して貰いたいという俺の願いに対し、サクラはリリスと同じように耳元に顔を寄せてから言った。


「──伊鞘君の好きな水着を教えて頂けませんか?」

「はっ!?」


 一瞬、時間が止まったかと錯覚する程に動揺してしまう。

 あまりに意味深な問いに驚くなという方が無茶な話だ。


「そ、そんなこと言われても、水着の種類とか知らないし……」

「雰囲気だけでも良いんです。伊鞘君が私に似合っていると思った水着なら、その……多少は扇情的なデザインでも、着てみせます」

「待て待て待て待て、どんどん追い討ち掛けて来るな!!」


 明らかに恥ずかしがっていると分かるくらい真っ赤な顔で、大胆な宣言を口にするサクラを慌てて制止する。


 どういう意図があってそんなことを訊くのかまるで分からない。

 ファッションセンスなんて程遠い俺より、お嬢やリリスに訊いた方が似合いそうなのをパッと答えてくれそうなのに。


 視線でリリスに助けを乞うが、当人はニマニマと面白そうに眺めているだけで止めてくれそうにない。

 腹立つくらい俺の反応見て楽しんでやがる。


 そうして返答にもたついている間にサクラの表情には陰りが差していく。

 答えに窮しているのを不安に思ったのか紅の瞳が切なげに揺れている。

 たかが俺の好みを訊くだけでそこまで真剣にならなくても良いと思うが、きっと彼女にとっては大事なことなんだろう。


 言葉にされなくともなんとなく察せられる。

 別に意地悪をする趣味も無いし、機嫌を戻してもらうために答えないといけないのだからどのみち選択肢は一つだ。


「その、やっぱり俺には水着の種類とか分からないから、単純な印象になるんだけどさ……」


 身悶えそうな照れ臭さを堪えつつ、一旦前置きしてから答えた。


「サクラには、なんていうかこう……優雅とかエレガンスとか、いわゆる大人っぽいのが似合う、と思う……」

「大人っぽい……」


 答え終わった途端、沸騰しそうな程の熱が顔に集まって来る。

 なんだってこんな恥ずかしいことを言わなきゃいけないんだろうか。


 内心でそんな悪態をついていると、サクラは神妙な面持ちで答えを飲み込んでから、顔を上げてたおやかな笑みを浮かべる。


「では、伊鞘君のお言葉に沿った路線で選びますね!」

「お、おぅ……」


 どうやら機嫌を直してくれたようで、サクラは微笑みながら俺の肩に顔を擦り寄せる。

 思わず見惚れていたせいで曖昧な相槌しか打てなかったが、ひとまず状況が落ち着いたことに安堵した。


「良かったねぇ~いっくん♪」

「やかましい。もうキャパオーバーなんだよ……」


 要らない賛辞を送るリリスに言い返す気力は残っていなかった。


 体育祭が終わってからほぼ毎日に渡ってこんな調子だ。


 リリスが誘惑するような言動をする理由は、まぁ分からなくもない。

 約一ヶ月前、彼女から好きだと告白されているからだ。

 俺の気持ちが定まっていないこと、当人から何故かまだ付き合う気は無いと言われたことから、情けない一心だが返事は保留させて貰っている。


 人生で初めての告白に加えて、夢の中とはいえキスまでしたのだ。

 意識しない訳がないし、時折ドキドキさせられているのは違いない。


 けれども俺がリリスに向ける気持ちは、友愛じゃなく恋愛感情だと言える確信が無いままだ。

 だから告白から一ヶ月が経った今でも返事は出来ていない。


 一方で分からないのがサクラだ。

 色んな出来事を経て人間不信の彼女から信頼を得ることは出来た。

 人を寄せ付けない反動から身内には甘く、俺に対しては甘えて来ることが多くなっている。

 だがリリスが何かしらアプローチをする度に、さっきのように何かと対抗意識を燃やしての行動が増えていた。

 単に仲良くなった俺を取られたくないから……そう片付けるにはあまりにもサクラの距離感が近い。


 もしかして彼女も俺に好意を抱いているんじゃないか。

 そんな自惚れた勘違いすら起こしそうで、困惑を隠せないのが正直な気持ちだ。

 気になるなら直接問い質せば良いのだろうが、そうしたところでサクラの好意に応えられるかは分からない。

 意図せずとも期待させて裏切るなんて、彼女の古傷を抉るような真似はしたくなかった。


 だから確証を持てないまま踏み込めずにいる。


 リリスと同じくサクラも異性として意識してはいるが、友情なのか恋愛感情なのか判別出来ていない。

 バイト漬けの日々だったせいで、誰かに恋をしたことがないのが最たる原因だろう。


 いつまでも返事を保留にしたままじゃいられない。

 なんとか答えを出せるようにならないといけないな。


 そんな決意を秘めたまま、サクラ達と屋敷への帰路を歩んで行った。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る