リリだけの勇者様



 夢の中で温泉に浸かっていたら、リリスが潜り込んできた。

 サキュバスにそういう能力があるのは知っていたけど、魔封じの腕輪があるのにどうやって来たんだ?


 そんな疑問を悟ったのかリリスがクスクスと笑みを零す。


「なんで魔封じの腕輪を着けてるのに夢に入ってこれたのかって思うでしょ~? 身体が触れてる状態ならぁ~、能力は問題なく使えるんだよぉ~」

「なんつー抜け穴……」


 自由自在に入れる訳じゃないみたいだが、それでも夢の中に入られるのは恥ずかしい。

 自分だけの空間に土足で入り込まれたのだから当然だろう。


「と、とと、とにかく何か着てくれないか!? いくら吸精のためでも裸はマズい!」

「えぇ~お風呂は裸で入らなきゃダメなんだよぉ~? それにこっちの方がいっくんも嬉しいクセにぃ~♡」

「それ以前に理性が保ちそうにないんだよ!!」


 夢に入って来れた理由はよく分かったので、背中に抱き着いてくるリリスへ必死に訴えかけた。

 そりゃダイレクトに伝わって来る豊満な胸の感触は嬉しいに決まっている。


 ただそれ以上に照れや恥ずかしさが上回って冷静でいられない。


 普段と違って手足が自由な分、情欲に突き動かされた自分が何かしでかさないか不安でしかなかった。 

 いくら夢の中といえどお嬢の命令もあるし、理性のタガを外して彼女を傷付けるような真似はしたくない。


「むぅ~。しょ~がないなぁ~」


 そんな俺の気持ちが伝わったのか、リリスは渋々といった調子ながらも離れてくれた。

 程なくしてパチンと背後からフィンガースナップの音が聞こえる。


「はい、とりあえず水着になったよぉ~」

「ほ、ホントか? 実は何も着てないままとか、やたらと布面積が低いのを着たとかじゃないよな?」

「ウソじゃないよぉ~。警戒しすぎだってばぁ~」


 なおも疑念を捨てない俺にリリスが不満げに言う。

 警戒も何も、そうやって今までの吸精で何度も騙して来たせいだろうが。

 彼女のことは大事な友人だと思っているが、俺を辱める点においては油断してはならないと認識している。


 そうして一向に振り返らない俺に業を煮やしたのだろうか。

 リリスはハァ……と、小さくため息をついてから言った。


「リリのこと大事な友達だって言ったのぉ、ウソだったんだぁ~」

「! 嘘な訳ないだろ! ちゃんと大事に思ってるからこそ、万が一の間違いが起きないように配慮してるんだよ」

「ふぅ~ん……」


 交際していないのに関係を持つのは不誠実だ。

 そう返したものの、リリスは不満そうな声を漏らすだけだった。


 なんとか引き下がって貰えたかと胸を撫で下ろした瞬間、不意に首に白くて細い腕が回される。

 同時に背中から伝わる柔らかな感触で、リリスが再び抱き着いて来たのだと悟った。

 しかし今度は薄い何かが挟まったような感じがする。


「これでも分からない?」

「っ……た、確かに、さっきと違う感じがするけど……くっつく必要ないだろ」

「リリにはあるよぉ。こうやって誰かの夢に入ったのはぁ、いっくんが初めてなんだからぁ~」

「そ、そうなのか?」

「うん~」


 意外なことを打ち明けられて、少しだけ驚きを隠せなかった。

 いや、まぁリリスの恋愛観を考慮すれば当然か。


「夢の中ってサキュバスの独壇場扱いされてるけどぉ~、いっくんみたいに意識の強い人が相手だと抵抗レジストされちゃうことがあるのぉ。そうなったら戦闘力の無いリリじゃ逆に襲われちゃうから使わなかったんだよぉ~」

「なるほど……」


 そういうことなら無差別に夢へ侵入するのは避けるべきだと納得する。

 あれ、でもそれならおかしくないか?


「俺は良いのか?」

「……うん」


 顔だけ振り返りながら尋ねると、リリスは肩に顔を埋めながらコクリと首肯した。


「いっくんはリリにヒドいことしないって信じてるからぁ」

「……そう思うなら離れて欲しいんだけどなぁ」


 寄せられた信頼に気恥ずかしさを感じながらも、出来れば節度を保って欲しいと返す。

 それでも離れる気配はないので、俺が耐えればいいかと諦めることにした。 


 故に顔が熱いのは温泉のせいだ。

 夢で作られた幻であっても熱いのは温泉で温まっているからだと自己暗示する。


 そう念じながら目を閉じているとリリスが腕を解いた。

 やっと離れてくれたと思った矢先、何やらザブンと水面が揺れ始める。

 何が起きたんだと勘繰るより早く両頬にそっと温かい感触が伝わった。


 クイッと顎を上げられ、反射的に開けた視線の先にリリスの顔が映り込んだ。

 彼女は俺の前方に回り込んでいて、本人が言った通りに白いビキニを身に付けている。

 しかしそのことに動揺する余裕はなかった。


 上気してほんのりと赤く染まった頬、切なさを帯びた紫の瞳、湿気で潤いを帯びたピンクの柔らかそうな唇……普段とは異なる面持ちに思わず目を奪われてしまったからだ。

 茫然とする俺にリリスがゆっくりと口を開く。


「──そぉいえば借り物リレーの時のお題、教えてなかったねぇ~」

「ぇ、あ、あぁー……そういえばそんなのあったな」


 体調を崩して倒れたり決闘ゲームやらですっかり忘れていた。

 結局リリスはどんなお題を引いて、俺を選んだのか全く聞いていなかったな。

 それでも問題なくゴール出来たのだが……いざ思い出されると気になってしまう。


 疑問を察した彼女はいつになく柔らかい笑みを浮かべる。


「リリが引いたお題はねぇ~……──『勇者』だったんだぁ」

「え……?」


 あまりに予想外なお題の正体に、緊張やらドキドキやらが一斉に霧散した。


 勇者……?

 え、それってつまりリリスは俺のことをバカだと思ってたのか?


 ユートと同列に扱われたショックから項垂れそうになるが、リリスは何がおかしいのかクスクスと小さく笑い声を殺しながら続ける。


「おバカさんな方の勇者じゃないってばぁ~。ちゃんと言葉通りの意味だよぉ~」

「そ、それなら良かった……でも言葉通りって、別に俺は勇者らしいことした憶えないぞ?」


 バカの方じゃないと言われて安堵したものの、本来の意味であっても自分が勇者そうだとは頷けなかった。

 S級冒険者だけど二つ名は掃除屋スイーパーだし。

 単にお題を達成するなら、自称とはいえユートを選ぶ方がクリアは容易だったはずだ。

 そんな疑問をリリスは首を横に振って否定する。


「う~うん。勇者ってお題を見た時ねぇ~、真っ先にいっくんのことだなぁ~て思ったのぉ」

「どうしてだ?」

「リリが困った時にすぐに駆け付けて助けてくれる、強くて優しい素敵な勇者様がいっくんなんだよぉ」

「……っ」


 真摯な言葉に堪らず目を逸らしてしまう。

 密着された時とは違う胸の高鳴りを感じるせいで妙に落ち着かない。


 目の前にいるリリスがそれに気付かないはずもなく、にへら~っとだらしのない笑みを浮かべる。

 なんでそんな風に笑うんだと思った瞬間だった。


 不意にリリスの顔が近付いて来て──。


「ん」

「んっっ!!?」


 ──唇にしっとりとした温かい柔らかい感触が伝わった。


 遅れてリリスが俺にキスをしたのだと悟る。

 しかしそう理解したところで身体は依然として硬直したままだった。


 何せファーストキスなのだ。

 心臓が止まるかと錯覚するほどの驚きから立ち直れそうにない。


「ふふっ……ちゅる」

「っ!?」


 振り解かないのを良いことに、リリスは追撃と言わんばかりに俺の口内へ舌を潜り込ませた。

 にゅるりと艶めかしく蠢くそれは、器用に俺の舌と絡ませていく。


「んんっ、ふ、あむっ、んちゅっ……」


 ピチャピチャと淫靡な水音を響かせながら息継ぎをしては何度もキスを重ねる。

 ザラついた感触と共に甘い唾液が流し込まれたり吸われ続けていた。

 特に吸われた時は魂すら抜かれそうな程に強烈な快楽が押し寄せてくる。 


 ただでさえ動揺覚め止まない上、温泉の熱と酸欠でのぼせた頭では思考も覚束ない。

 どれくらい為すがままになっていただろうか。

 時間の感覚すら機能しなくなった俺を、リリスはようやく解放する。


 互いの唇を繋ぐ唾液の糸橋が切れた。

 口端に付いたそれを拭う気も起きない程、すっかり骨抜きにされてしまう。


「んっ、あはぁ~……♡」


 ボーッと火照った感覚に耽っていると、リリスが満足げな吐息を零す。

 たったそれですら魅惑的に思えてしまう。


 息を整えてやっと思考を取り戻してから彼女に呼び掛ける。


「な、なんでキスしたんだ……?」

「リリがしたかったからだよぉ~。精気もいつもより濃厚で美味しかったぁ~♡」

「やっぱり吸ってたのか……」


 キスでそれどころじゃなかったけど、吸精された後の脱力感があるのでそんな気はしていた。

 というか本来サキュバスが行う吸精方法の一つだ。

 今までの吸精は非効率的だと聞いていただけに、キスしただけで相当な量の精気を吸われた自覚があった。


 しかし聞きたいことは山程ある。


「その、俺……初めてキスしたんだけど」

「リリもだよぉ~。でも現実のいっくんとはキスしてないからノーカン♪」

「っ、いやがっつり感触残ってるのにそれは無理あるだろ」


 リリスも初めてだったと聞かされて動揺するも、ノーカンで済むはずがないと反論する。

 けれども彼女は首を傾げるだけだった。 


「ホントだよぉ~? 夢の中での体は魂そのものだからぁ~、直接精気を吸えるようになるのぉ~」


 それ抵抗レジスト出来なきゃ、生かすも殺すも自由って言われたのと同じじゃね?

 なんて思ったものの口には出さなかった。

 言ってしまえばリリスが俺を殺すつもりだと指摘するのと同じだからだ。


 彼女にそのつもりが無いのはこれまでの付き合いで十分に把握している。


「そ、それにだ。俺、お嬢の命令に逆らったはずのになんで何も起きないんだよ」

「あ~そのことかぁ~。いっくんからリリ達に手を出しちゃダメだけどぉ~……」


 リリスはそこで言葉を区切り、ソッと俺の耳元に顔を寄せてから言った。


「──リリ達手を出しちゃうのはセーフなのぉ~。だ・か・らぁ……夢の中でナニをしても良いんだよぉ~♡」

「っっ!」


 ぞわりと、背筋に悪寒とも快感とも定まらない刺激が走る。

 ただ分かるのは、リリスさえその気になれば俺の貞操は自由に出来るということだけだ。


 不覚ながらイヤだと思えなかった淡い期待感が恨めしい。


「んんっ、くっ」

「り、リリス?」


 なんとか煩悩を払おうとしていたら唐突にリリスが身体を震わせる。

 どうしたのかと声を掛けるよりも先に、ポワァっと彼女の腹部が淡いピンクの光を発した。


 水着故に露わになっているそこには、羽を広げたハートみたいな形をした印が浮かび上がっていたのだ。


「これって……」

「あはぁ~


 俺の呟きで自らの身に何が起きたのか察したリリスが嬉しそうに返す。

 どういうことなのか視線で尋ねると、彼女は愛おしそうに印を撫でながら口を開いた。


「これは『淫紋』ってゆってねぇ~、サキュバスがを見つけた時に出て来る貴重な印なんだよぉ~」

「つ、つがい?」

「そぉ~。この印が出るとぉ~、番って決めた人以外からは精気が吸えなくなるのぉ~」

「はぁっ!?」


 解説された詳細を聞いて、堪らず全身が沸騰するような熱を感じながら声を荒げてしまう。


 何故なら淫紋に込められた意味を悟ってしまったからだ。


 たかがキスでそんな代物が出て来るなんて思わないだろ。

 信じられない気持ちと、俺なんかがという戸惑いで愕然としてしまう。

 しかし現実として──今は夢の中だけど──リリスの身体に浮き出た印は主張するように光を発している。


 あぁどうしたらこのやかましい鼓動の音が大人しくなってくれるんだろうか。

 温泉でのぼせたからと言い訳出来ない程に顔が熱くて落ち着かなかった。


 勘違いだ、気のせいだ、そんな言い逃れが頭に浮かんで来ても口に出来ない。


 俺の表情から意味は伝わったのだと感じ取ったリリスが、サキュバスらしいしたり顔を浮かべる。


「あはぁ~♡ いっくんったらすぅっごくドキドキしてるぅ~」

「っ」


 図星を衝かれて反論すら窮してしまう。

 そんな状態にも構わず、リリスは俺の手を取って自らの左胸に押し当てた。


「ちょ、リリ──」

「しーっ」


 驚いて声を出しそうになった俺に空いた手で人差し指を立てながら制止する。

 一瞬どういうつもりなのかと訝しむが、すぐにとある事実に行き着いた。

 吸い付きそうなくらいフワフワで柔らかい巨乳を押し付けられた右手に、微かながらも早い振動が伝わって来るからだ。


 ──もしかして。


 その先の答えが浮かぶより先にリリスは頬を真っ赤に染めながら上目遣いで見やる。

 潤いを帯びた紫の瞳は緊張と共に確かな強い想いが宿っていて──。


「──リリはねぇ、いっくんのことが好き」

「っ!」


 悟った通りの意味を改めて言葉にして告げた。


「からかったら可愛いとこも、助けてくれた時のカッコイイとこも、いっくんの全部が大好き。淫紋これはねぇ、リリはいっくんが好きで堪らないって証なのぉ」

「リリ、ス……」


 真摯に恋心を告白するリリスから目を逸らせない。

 言葉を通して伝えられた想いが、これでもかと心を震わせていく。


 人生で初めてされた女子からの告白。

 その相手が突出した美少女のリリスからとあって嬉しくないはずがない。

 決して悪く思っていないし、むしろこんな可愛い恋人が出来るのだと歓喜したい程だ。


「俺は……」


 けれども、俺はリリスの告白に頷けなかった。


 本当に俺で良いのかとか、自分はリリスを異性として好きなのか、どう返事をすれば良いのかさえ決まらない始末だ。

 彼女が本心から想ってくれていると分かるからこそ、すぐに答えられない己が情けなくて不甲斐なかった。


 だったらいっそ断った方が良いんじゃないだろうか。

 そんな魔が差しそうな時だった。


「いっくん」

「なに──っ!?」


 リリスから呼び掛けられると同時に、またもキスをされる。

 触れるだけの簡素な口付けではあったが、それでも俺の意識を思考の坩堝から拾い上げるには十分だった。


 そっと顔を離す彼女の顔を茫然と眺めていると、ニコリと明るい笑みを浮かべる。


「いっくんの返事はゆっくりでいいよぉ~」

「っ、でもそれは……」


 勇気を出した彼女に不誠実じゃないか。

 そう返そうとするより先にリリスが続ける。


「そもそもいっくんは勘違いしてないかなぁ~?」

「勘違い?」

「そぉ~。リリは好きだって言ったけどぉ~、付き合ってぇ~って言ってないもぉん」

「えっ!? た、確かに言ってないけど……」


 告白ってそういうものなのでは?

 なんとも素直に頷けない屁理屈に首を傾げる。


 そんな俺の反応がおかしいのか、リリスはクスッと噴き出しながら口を開く。


「リリはいっくんが好きだよって知って欲しかっただけでぇ~、これ以上するつもりないんだよねぇ~」

「ぬ、抜け駆け? どういうことだ?」

「えへぇ~。それは内緒ぉ~♪」

「えぇ……」


 明らかに含みを持たせながら詳細を伏せるリリスに呆れを隠せない。


「もちろん付き合ってくれるなら嬉しいけどぉ~、いっくんはちゃんと自分も好きになってからって思ってるでしょぉ~? だから返事は答えが決まった時で良いよぉ~」

「……分かった。それならお言葉に甘えることにするよ」


 なんとも都合のいい話だと思うも、リリスの気遣いに甘えることにした。

 何せ告白なんて初めてなんだ。

 どんな答えを出すにせよ、時間を貰えるというのは素直にありがたい。


 ちゃんと考えないとなぁ……気まずくなったらお嬢に怒られそうだし。


「えへへぇ~。いっくん大好きぃ~♡」

「ぶっ!?」


 そう気を取り直した直後、またもやリリスからキスをされてしまう。

 告白の返事を保留した手前、制止を憚られた俺はされるがままとなる。


 そこからリリスが能力を切って夢から覚めるまで、何度もキスを重ね続けられた。

 それ以上のことはされなかったけど、すっかり精気を吸い尽くされた俺は文字通り骨抜きとなったが。

 精根尽き果てたため、次の日は丸一日寝込む羽目になるのだった……。

 


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