リリスの涙
保健室のベッドに寝かせてから一時間が経った。
「ん……あれぇ? ここはぁ~……?」
「リリス、良かった。目が覚めたんだな」
無事に目を覚ましたリリスを見て、ホッと胸を撫で下ろす。
そのまま彼女は起き上がろうとするが、俺は肩を押して制止した。
「まだ休んどけ」
「うん……ねぇいっくん。リリ、倒れちゃったのぉ?」
「あぁ。糸が切れたみたいにいきなりな」
「そっかぁ……体育祭はどうなってるのぉ?」
「第六種目まで終わって今は昼休憩中。サクラと交代しながらリリスの様子を見てたんだ」
「そうなんだぁ。心配掛けてごめんねぇ」
「気にすんな。倒れたのが傍に居る時で良かった」
「うん……」
改めて自分の身に起きたことを知ると、リリスは罪悪感を滲ませた居たたまれなさそうな面持ちを浮かべる。
倒れたせいでクラスの皆に迷惑掛けたと思ってるんだろう。
それに……倒れた原因に心当たりがあるからだ。
「先生が言うには寝不足と栄養不足だってさ。吸精、やっぱり足りてなかったんだろ?」
「……分かっちゃったぁ?」
「何十回も吸われてるし、感覚で少ないなとは思ってた。で、寝不足の方は最近悩んでることと関係あるんだろ?」
「あはぁ~。なんか色々とバレバレだねぇ~」
口調では軽いがリリスは苦笑していた。
その笑みを見ていると腹が立ってくる。
悩んでることに気付いていたのに、倒れるくらい深刻だと察してやれなかった自分の至らなさに。
サクラも自分が無理にでも聞き出せばって後悔していた。
だからもう……目を逸らすのは止めだ。
「リリス。何に悩んでたのか話してくれないか? こうなったら無視なんて出来ない。話せば少しは楽になるかもしれないぞ」
「いっくん……」
直接問い質した俺に、リリスは目を丸くして見つめる。
気休めにもならない無根拠な理由だが、知らない振りをして重荷を背負わせる方がもっとイヤだった。
彼女とはクラスメイトで、同じ職場で働く仲間で、友達だから。
何か思い悩んでるなら一緒に背負いたい。
そんな思いが伝わったのか分からないけど、リリスはゆっくりと窓の方へ顔を向ける。
「──もしかしたらねぇ、勇者君があーなったのはリリのせいなんじゃないかって思ったの」
「え?」
その告白に戸惑いを隠せなかった。
どうしていきなりユートの話になるんだ?
思いがけない疑問の答えを見つけるより先に、リリスが話を続ける。
「リリがサキュバスの力の使い方をママから教わったのはぁ、公爵家で働き出してからなんだぁ」
「……それとユートの勇者病がどう関係するんだよ」
「リリが憶えてないだけでぇ、昔会った勇者君を魔法で魅了しちゃったんじゃないかってことぉ」
「っ!」
自嘲気味に告げられた疑念の言葉で、ようやく彼女の言わんとすることを悟る。
サキュバスは生きるために男性の精気が必要だ。
魔法での催淫によって強制的に発情させたり、夢の中に潜り込んだり……精気を確保する方法は幾つもあるが、その中には対象を魔法で魅了するという手がある。
これらの魔法はサキュバスしか持ち得ない、固有魔法と称される能力だ。
地球生まれのリリスも例外なく同じ力を有している。
でも地球で過ごす限りは魔封じの腕輪を付けられるため、地球育ちの彼女には使うことが出来ないはずだ。
なのに魅了魔法を使ったかもしれないと疑っている理由は、リリスが力の使い方を学んだ時期に関係している。
「ユートと会ったのは五歳の頃。まだ力を扱えないから魔封じの腕輪は付けられていなかった」
「正解ぃ~。小さい頃から付けてると体に良くないって理由なんだよねぇ」
体が未発達な子供に魔封じの腕輪を付けると、血液のように流れる魔力の循環に異常を来すとかそんな理由だったはず。
つまり幼いリリスが無意識にユートへ魅了魔法を行使した可能性はある。
──ユート・ブレイブランの勇者病は、自らの魔法が原因で起こしたのかもしれないと。
記憶が無いから否定する根拠も無い。
そして実際に子爵様や俺達に多大な迷惑を被る結果を生んでしまった。
だから彼女はここまで悩んでいたんだ。
「だからぁ……リリのせいなんだよぉ」
溜め込んでいた憂いを吐き出したからだろうか、リリスは目に涙を浮かべてすすり泣きだした。
「リリがサキュバスだからぁ、勇者君の人生を台無しにしちゃったのぉ! いっくんや色んな人に迷惑掛けたんだって思ったらぁ、不安になって寝れなくなってぇ! こんなことになるならぁ、リリはサキュバスじゃなくて人間の女の子になりたかったぁっ!」
流れる涙を何度も手で拭いながら、自罰的な思いを発露していく。
いつも明るくて可愛い、誰とでも仲良くなれる社交的な性格で、容姿も相まって二大美少女と呼ばれる人気者。
ゆるふわなテンションに反して、サディストな一面があってフォローが下手くそ。
サキュバスらしく性的なことに忌避感はないけど、サキュバスらしくない普通の恋愛観を持っている。
そんな彼女が抱えていた悩みは、自らの生まれを呪う程に大きなモノだった。
魔王の使徒として被害を出していた故に、迫害され続ける
サクラの場合は髪を染めることすら敗北だと捉える程の強い反発心を持っていたから、半吸血鬼になった事自体は受け入れていた。
でもリリスは違う。
生まれた時から人間とは異なる体で、生きるためには異性からの精気が必要だ。
その身に秘める力の扱い方を知る前に、無意識に行使したかもしれない確証のない恐怖に苛まれていた。
それじゃ吸精量が少ないのも頷ける。
図太いようで、本当は誰よりも繊細な心の持ち主なんだ。
そんな彼女が泣く姿を見て、どうしようもない怒りが湧き上がる。
人間の俺には絶対に理解出来ないことが。
ここまで溜め込んで、泣かせてしまった不甲斐なさが。
泣くほどの悩みを抱かせる原因になったアイツが。
あぁ本当に腹が立つ。
でも今は怒るより先にやらなきゃいけないことがある。
俺はそっと泣き続けるリリスの頬に手を添えた。
突如触れられたことに、紫色の瞳が丸く見開かれる。
「いっくん……?」
「リリスのせいじゃない」
「え、でも──」
俺が口にした否定にそんなはずがないと返そうとしたんだろう。
けどそれを遮って無理やり続けた。
「俺もそんなに詳しくないけど、魅了魔法って自分に好感を持たせるだけで、相手を操ったり言うことを聞かせるようなモノじゃないんだろ?」
「そ、そうだけどぉ……」
「だったらユートの
「……」
優しく諭した言葉に、リリスは茫然と言葉を失くす。
そもそもユートは彼女と遊んだって話してたけど、もしかしたら遠目で見て一目惚れしただけなのを美化した可能性もある。
もちろん彼女の疑念も全くないとは言い切れない。
けれど少なくとも、俺にはリリスに原因があるとは思えなかった。
だって……。
「二大美少女だって憧れられてるなら選び放題なのに、リリスは無闇に人を誘惑したりしないだろ。サキュバスだからって自分を嫌いにならないでいいんだ。それも含めて、咲葉リリスっていう一人の女の子なんだからさ」
「あ……」
リリスはサキュバスに生まれただけの、恋に夢見る普通の女の子なのだ。
そんな彼女だからこそ、俺は仲良くなれたんだと思っている。
その思いが伝わったのか、リリスの涙がピタリと止んだ。
安心した俺はスッと立ち上がり、保健室の入り口まで進む。
「そろそろ昼休憩も終わるし、そしたら決闘ゲームだ」
「ぁ、えっと、頑張ってねぇ」
「もう少し回復したら見に来てくれよ。まぁ決勝まで残れるか分からないけどな」
「うん……ありがとねぇ、いっくん」
「あぁ」
多少は持ち直したであろう彼女からの礼に、微笑みながら返す。
そのまま保健室を出てグラウンドへ足を運ぶ。
正直に言うと、さっきまで決闘ゲームに対してやる気が湧かなかった。
お嬢の命令であっても、やっぱり人と戦うのはイヤだったからだ。
でも今はそんな日和ったことなんて言っていられない。
悩まなくても良いことで、倒れるくらい悩み抜いて泣いたあの子の涙を拭おう。
ただ、それだけを考えれば良い。
久しぶりに剣を取る理由としては十分だ。
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近況ノートに表紙イメージのイラストを載せています。
めっちゃ可愛いのでぜひ見て下さい!
https://kakuyomu.jp/users/aono0811/news/16817330653203843542
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