秘めたる想いを込めた吸血を
お願いして案内して貰った伊鞘君の部屋は、貧乏暮らしだった名残か必要最低限の家具しか置いていなかった。
屋敷に住み込みで働くようになって、もう二ヶ月は経っているのに異様にモノが少ない。
趣味らしい趣味も無いということから、節制を強いられて来たのもあって基本的に無欲だと察せられた。
それでも私にとっては好意を向けている異性の部屋に変わりはなく、入った瞬間から心臓がうるさいくらいに脈動してしまう。
「えっと、それじゃいつもみたいにベッドに座ろうか?」
「は、はい……」
何もそういった行為をする訳では無いのに、伊鞘君にベッドへ誘われた途端にドキリと心臓が跳ねる。
ただ首筋から吸血するだけ……それだけのことなのに。
最初は濃厚な味からつい酩酊状態になっていましたが、最近では安定して意識を保てるようになっている。
そうでないと私が困りますから。
もしうっかり伊鞘君への好意を明かしてしまったら、恥ずかしくて話せなくなるかもしれない。
絶対にそんな状態にならないよう細心の注意を払いつつ、私はベッドに腰掛けた彼に跨がる形で座る。
当然ですが伊鞘君と抱き合う格好になるため、平静を装う裏では今にも爆発しそうなくらいの羞恥で震えそうだった。
「では、し、失礼します」
「お、おぅ」
震えそうな喉で声を掛けてから燕尾服の胸元を開けて、右側の首筋を露わにしました。
そこには私が付けた吸血痕である二つの赤い点がある。
言葉にして伝える勇気の無い私が刻んだ、伊鞘君への想いの証だ。
屋敷に来てからの伊鞘君は、よく食べるのもあって随分と顔色と肉付きが良くなっている。
冒険者活動をしていない現在でも鍛錬は欠かしていないようで、すっかり男性らしい体つきになっていると言えるでしょう。
今までは異性の体に興味なんてなかったのに、伊鞘君の体を見るといつも心臓が破裂しそうなくらいにドキドキしていた。
特に鎖骨の筋は指でなぞりたくなる程に目を奪われてしまいそう……。
……ッハ?!
こ、このままだと何かいけません!
慌てて思考を取り戻した私は伊鞘君の両肩に手を置いて、おずおずと首筋に顔を埋める。
少しだけ漂う汗の匂いをスパイスに、牙を立てて血管に刺し込んだ。
「っ、くっ……!」
その瞬間、伊鞘君から小さな呻き声が漏れた。
未だに吸血が上達しないせいで、いつも彼に要らない負担を掛けてしまっている。
吸血しようとすると、脳裏に人を襲ってしまったあの時の罪悪感が過って止まない。
それでも吸わなければ私は人で無くなってしまう。
──ごめんなさい。
心の中で伊鞘君に謝りながら、牙で血を吸い上げていく。
「んくっ、ん、んん……」
少量ずつ飲み込む度に全身が甘く痺れて、体の奥底から熱が増していく。
温かくてコクがあって、それでいてなめらかなのど越し……私が記憶している限りでも、伊鞘君の血はかなり上質なモノだった。
もっと欲しい、もっと浸っていたい……。
そんな衝動に駆られそうになるけれど、今まで培った理性で以て堪える。
そうしないと、最悪の場合は伊鞘君を失血しさせてしまう。
自分から初めて好きになった人を、一時の快感に任せて失いたくなんてなかった。
だから私はいつも衝動に抗いながら彼の血を吸っていく。
いつも……伊鞘君を苦しめてしまっている罪悪感を抱えながら。
吸血をしながら自罰的な思考が頭の中を占める中、不意にそれは訪れた。
「──よしよし」
「……
伊鞘君が私の頭を撫で始めたのだ。
彼の大きい手に擦られていくと、無意識に強張っていた体に力が抜けていった。
暗くなりかけていた心が、あっという間に幸せな気持ちで満たされる。
「テストお疲れ様、サクラ」
「~~~~っ」
さらに優しい声音で名前を囁かれた私は、全身が発火しそうな程に熱くなってしまう。
恥ずかしさと嬉しさが湧き上がって、瞬く間に限界を迎えそうになる。
何かにしがみつかないと耐えられない。
そう悟ったと同時に、気付けば私は伊鞘君の体に抱き着いていた。
自分より大きな男の子の体……それも意中の相手となれば込み上げる愛おしさと幸せは膨大なモノになる。
淑女としてはしたない格好なのは百も承知だ。
それでも今だけは、身も心も伊鞘君に任せて甘えずにいられない。
──好き、好き、好き、好き……伊鞘君、大好き。
血と一緒に溢れ出そうな想いを飲み込んでいく。
好きだって告白をして、恋人として日々を過ごして、こうして甘えていたいと夢想する。
でもそれは伊鞘君が受け入れてくれた時の話だ。
もし振られてしまったらと思うと、どうしても恐くなって踏み出せなくなる。
そもそも恋を知ったところで、私が半吸血鬼であることに変わりない。
仮に交際できたとしても、彼が謂われの無い謗りを受けるのはイヤだ。
だから私はまだ、この気持ちを打ち明けるつもりはなかった。
ねぇ伊鞘君、私はあなたが思っている程いい子じゃないんです。
私だけを見て欲しい、他の女の子と顔を合わせて話して欲しくないと嫉妬してばかり。
首筋からの吸血が持つ意味を知らないことに漬け込んで、素知らぬ顔で甘える意地の悪い女の子なんですよ?
関係を進められない臆病者のクセに、独占欲を隠しきれないズルくてはしたない子だって呆れてしまいますか?
失望されたくない、けれども離れたくない。
伊鞘君の優しさに甘えられる時間がどうしようもなく好きだから。
「ぷはっ、はぁ、はぁ……」
やがてお腹が満たされたのを合図に、首筋へ突き刺していた牙を抜く。
つぷ、っとさっきまで牙が刺さっていた箇所から血が漏れ出る。
──あ、ダメ……勿体ない。
そう思った瞬間には、もう舌で舐め取っていた。
「うっ!? さ、サクラ?」
「ん、ちゅる、あむ……」
驚いた伊鞘君から呼び掛けられても、私は止まること無く一心不乱に舐め続ける。
顔が見られない姿勢で良かった。
だって今の私は、とんでもなく破廉恥な表情をしているはずだから。
傷口の血が固まるまで舐めた後、そっと抱き着いていた体を離す。
改めて伊鞘君の顔に目を向けると、困惑と羞恥で真っ赤な顔をして私を見ていた。
「いさやくん……」
当の私は熱に浮かされたように頭がぽわぽわとしていた。
酩酊している訳じゃない、けれども思考はまともに機能していない。
そんな状態で好きな人の顔を見つめていたら、自ずと唇に視線が向く。
気付けば両手は伊鞘君の頬に添えたまま、ゆっくりと顔を近付けていた。
キスがしたい、もっと彼に触れていたい、このまま堕ちるところまで堕ちたい。
グルグルと脳裏を渦巻く欲求に突き動かされて私は……。
「っ!」
寸でのところで理性を取り戻して、なけなしの抵抗で吸血痕へ口付けをした。
自分がしでかし掛けたことを思い返して心臓がうるさいくらいに騒ぐ。
あぁ、危なかった……。
安堵すると共に、今にも身が焦げそうな恥ずかしさが込み上げてくる。
「さ、サクラ? 大丈夫か?」
「っ、は、はい……ありがとうございました」
おずおずとした伊鞘君に呼び掛けられて、限界が近かった私はバッと立ち上がって距離を取った。
背を向けて一気に部屋の入り口まで駆けていき、ドアノブに手を掛けたところで動きを止める。
未だに落ち着かない心臓を抑えるように胸に手を置きながら、深呼吸を繰り返してから口を開いた。
「い、伊鞘、君……──おやすみなさい」
「お、おやすみ……」
「では、失礼します!」
就寝の挨拶を交わしてから部屋を出た私は、一刻も早く自室へと戻ろうと廊下を走る。
その間、頭の中は後悔と恥ずかしさで悶えていた。
いくらなんでも淑女として不健全過ぎる。
そう自らの行いを諫めていく。
それでも……私の頬はだらしなく緩んでしまっていた。
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