腹ごしらえしておやすみなさい




「お疲れ様。実際に吸血と吸精を受けてみてどうだったかしら?」

「疲れた以外の言葉が出てこねぇよ……」


 緋月さんと咲葉さんのエサになる初仕事(?)を終えて数分後、応接室に戻るなり出迎えてくれたお嬢から労りの言葉を受ける。

 実に重みが乗った声音で返しながら、ソファへ腰を降ろす。


 あぁ、ソファの柔らかさが疲れた身体に利くぅ~……ってあれ?


 ソファの前にあるテーブルの上には、様々な種類の料理が並べられていた。

 よく見ると湯気も立っているから作り立てなんだろう。

 すぐに分かるはずなのに気付かなかった辺り、吸血と吸精でよっぽど疲れていたみたいだ。


「お嬢、もしかして夕食の途中だった?」

「え? あぁ、これはイサヤの夕食よ」

「俺の!?」


 自分のために用意された料理だと聴かされて驚きを隠せなかった。


 だってこの夕食、スカーレット家の専属料理人が作ったんだよな?

 そうなると一般人には縁が無い高級食材が使われてるんだろ?

 味とか全く想像出来ないんだけど……。


「マジで良いの?」

「今日は色々あって疲れたでしょ? 明日からは学校と仕事があるんだし、たくさん食べて栄養を蓄えておきなさい」

「ゴチになります、お嬢!」

「なんだか語弊を招きそうな言い方ね……」


 イイ女すぎるお嬢の気遣いに感謝しつつ、目の前のご馳走を頂く。

 まずは肉だ!

 ステーキのように盛り付けられた肉の一切れを箸で掴み、一気に頬張った。 


「……美味い!」


 噛んだ瞬間、歯ごたえのある弾力と肉の旨みが口の中に広がる。

 あまりの美味さに涙さえ出そうだった。


 次は貝類が中心の海鮮スープ……これも美味い。

 ホタテは噛みやすい柔らかさで、スープも舌触りが良くシジミの風味が効いている。


 サラダの小松菜やニラはシャキシャキとしていて、しそで作られたドレッシングによるしょっぱさがアクセントとして引き立っていた。


 こんなに美味い料理を食べたのは初めてだ。


「貴族の食べる料理ってすげぇ……」

「ぷっ……」

「? お嬢?」


 感激のあまりに零れた感想を聞いたお嬢が、何故だか小さく噴き出した。

 どうして笑うのか聞き返すと、彼女は深紅の瞳を細めたまま告げる。


「それ、近所のスーパーで買った普通の食材で作られた料理よ」

「へ……?」

「あそこは品揃えが良い上に安いから、イサヤも行ったことがあるんじゃないかしら?」


 あるよ、その『スーパーやまびこ』なら常連客だし。

 なんならポイントカードも持ってる。


 ってそれよりもこの料理、あそこで買った食材で作られたの?

 母さんが作ったのと自炊したのとも全然違うんだけど?


「確かにお金に不自由はしてないけれど、いつも高級食材ばかり食べてるわけないじゃない。どんなに素材が良くても、作る人の腕が悪かったら何の意味も無いでしょ? 地球でも異世界でもそこは変わらないわよ」

「な、なるほど……」


 お嬢の言葉に頷くしか無かった。

 今まさにその証明が為されているのだから、間違っても否定なんて出来るはずもない。


「もっと言えば、そのメニューだってイサヤのために料理長が栄養バランスを考えて作ったのよ」

「マジか、ありがてぇ……」

「豚レバーとかホタテとか、鉄分と亜鉛を中心に組んだって言ってたわよ」

「へぇ鉄分と亜鉛……ん?」


 まだ見ぬ料理長の気遣いに感心していたが、詳細な栄養分を訊かされた途端に疑問符が浮かんだ。

 鉄分って確か血液に欠かせないヤツで、そもそも血が赤い要因でもあったよな?

 亜鉛は精力増強に繋がって……牡蠣とかニラに多く含まれてるって聴いたことあるぞ?


 点と点が線で繋がった瞬間、さっきまでの高揚感が嘘のように消えて全身が震えていた。


 あぁ……確かに今後も緋月さんと咲葉さんのエサを続けていくなら、食事の栄養バランスからそれらの摂取を心掛けるのは当然だろうよ。

 大事なことなんだっていうのは頭では分かってる。

 けどなぁ……。


「食生活を管理されてると思うと、家畜になった牛とか豚の気持ちがよぉく分かるなぁ……」

「大事なことなんだから仕方ないでしょ」

「まぁそうなんだけども……」

「むしろ過去の貧乏生活を思えば、イサヤはもっと積極的に食べた方が良いと思うわ」

「はい……」


 お嬢の言い分は至極尤もだ。

 十全な食生活を送っていなかったせいで、俺は同年代の男子と比べても細身なのである。

 これからも続くエサの役割に限らず、執事として働くのならもう少し肥えるべきかもしれない。

 皮肉なことだが衣食住は奴隷になる前より遙かにグレードアップしてるし、そう遠くない内にある程度の脂肪は付くだろう。


 なんて考えていると、お嬢は人差し指を立てながら笑みを浮かべる。


「そうそう。屋敷での業務はサクラに指導して貰うからそのつもりでね」

「えっ、緋月さんに!?」


 新人の俺に指導係が就くとは思っていたが、それが緋月さんだと考えもしなかったから驚愕してしまう。


「俺、緋月さんに嫌われてるんじゃないの……?」

「あの子の態度はイサヤを嫌ってるんじゃなくて、単純に人間不信なの」

「人間不信って……」


 腑に落ちはしたけど、サラッと重そうな背景を匂わせないで欲しい。

 不意打ちで乗っかった重みから返事に窮している俺を余所にお嬢は続ける。


「それでもギスギスしてるよりはマシでしょ? だからサクラにイサヤの指導役をお願いしたってワケ」

「お嬢の考えは分かったけど……肝心の緋月さんは受けてくれたのか?」

「えぇ。リリスの吸精中に頼んでおいたわ。あたしの命令ならって渋々だったけども」

「後半の情報は要らなかったなぁ」


 それを知ったところでどうしろと。

 まぁ仕事を通してゆっくりでも打ち解けていけってことだよな。

 お嬢の気遣いには本当に頭が上がらなくなる一方だ。


 緋月さんもそれが分かってるから、渋々で了承したんだろう。


 そうして食事を終えた俺はお嬢の案内の元、これから過ごすことになる部屋へと案内された。

 普通こういう案内は使用人に任せるようなモノだと思うんだが、お嬢としては特に気にしていないらしい。


 これはあれか、買って貰ったペットの世話を率先する子供みたいな感じか。

 なんとなく近い光景が浮かんで一人で納得していたら、お嬢に睨まれてしまった。 

 いい女扱いは喜んでも、お子様扱いは厳禁らしい。


 そんな一幕を挟みつつ目的の部屋へ着いた。


 使用人用として設けたそうで、豪奢な屋敷内では一番庶民的な内装になっている。

 しかもただの部屋じゃない。

 小さめだがキッチンや冷蔵庫があり、テレビはもちろんエアコンと洗濯機も取り付けられているのだ。

 下手な物件より破格の条件が整っている。


「ま、マジでこんな良い部屋で暮らして良いんすか……?」

「良いに決まってるじゃない。住み込みで働いて貰うんだから、雇い主としてこれくらいの福利厚生は用意しておくモノよ」


 いや簡単に言うけども、どこのホワイト企業でもここまで利かせてないって。

 奴隷になってなくても終身雇用を願い出たいレベルだよ。


 あ、もしかして……。


「執事の仕事って結構キツい感じ……?」

「イサヤはまだ学生でしょ? 一応バイト扱いだし、吸血と吸精のこともあるから業務内容はそんなに多くないわ。まぁ屋敷の掃除とかは大変でしょうけど……今まで色んなバイトを経験したあなたならすぐに慣れるはずよ」

「……うす」


 お嬢の人の良さに溢れた言葉を受けて、むず痒い気持ちを感じながら返す。 

 感激のあまり泣かなかっただけでも上出来だろう。


「そ、それで仕事はいつから?」

「明日の放課後からよ。今日はもう疲れてるでしょうし、詳しい仕事内容は当日にサクラから教わってちょうだい」

「色々とありがとな、お嬢」

「お礼なら、これからの働きで返してくれたら良いわ。あ、朝食は冷蔵庫に入ってるから合わせなくて良いわよ。それじゃおやすみ」

「おぅ、おやすみ」


 そうして必要な連絡事項を伝えると、お嬢は部屋を出て行った。


 一人になってようやく静けさが訪れる。

 荷解きは……また時間がある時でいいか。


 寝間着に着替えてベッドに横たわるものの、今日だけでも色んな出来事があり過ぎて寝付ける気がしない。

 今後のエサのこととか明日からの仕事とか考えることだらけだ。

 でも一つだけ理解出来ることはある。


 俺はまだ、地球で暮らしていけるということ。


 今はその事実だけで、胸を撫で下ろすには十分だ。

 改めて安堵したからか、程なくして訪れた微睡みに誘われるまま俺は眠るのだった。

 

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