もう少し遅く起きていれば、メイドさんに起こされる未来があったかもしれない



 たっぷりと熟睡した翌日の朝6時。

 お嬢の奴隷になったりエサとしての役割やらで疲れていた身体は、一晩休んだことで思いのほか回復していた。

 多分、ふかふかのベッドで寝たのが大きな要因だろう。

 おかげで過去最高に調子がいいかもしれない。


 冷蔵庫に入っていた朝食を済ませてから制服に着替える。

 白いシャツと紺色のブレザーに茶色のチェック柄ズボンというのが、俺が通っている泉凛せんりん高校の男子制服だ。

 学年毎にネクタイとリボンの色は違っていて、現高校二年生は赤色となっている。


 身柄を両親に売られた時はもう二度と着れないと思ったが、こうしてまた着られて良かったと頬が緩んでいく。

 俺を買ってくれたのがお嬢で本当に良かった。


 これからの働きでなんとか恩を返せていけたら良いなと思っていると、部屋のドアからノックの音が響く。

 誰だろうかとドアを開ければ、そこには緋月あかつきさんが立っていた。


 長い銀髪と紅の瞳はそのままに装いはメイド服じゃなくて俺と同じ学校の制服だ。

 膝下まであるスカートはメイド服の時と同様、とても様になっていて野暮ったさよりも気品を感じさせられる。

 学校で何度か見掛けたことはある姿なのに、妙な新鮮味を覚えてしまうのは同じ屋根の下で過ごすことになったせいだろうか。


「えっと、お、おはよう……?」

「おはようございます、辻園さん。幾つか連絡事項があるので伝えに来ました」


 思わぬ邂逅に驚きを感じながらも怖ず怖ずと挨拶すると、無表情のまま淀みなく返してくれた。

 てっきり無視されるかもしれないと思っていただけに、少しだけ予想外だと目を丸くしてしまう。


 お嬢曰く緋月さんは人間不信らしいが、仕事に私情を挟まないようで良かったと胸を撫で下ろす。


「朝、早いんすね」

「早朝の業務があるので使用人は朝5時起きです。辻園さんも明日からはそのつもりでお願いします」

「りょーかいっす」


 それくらいだったら問題ない。

 こちとら今まで新聞と牛乳を配達バイトのために3時起きはしてたからな。

 その稼ぎは全部家族の食費として消えていったんだけど。


 やめよう、これ以上思い出すと泣きそうになる。

 首を振って自制している内にも緋月さんは話を続けていく。


「辻園さんは奴隷になった際、地球上での戸籍を抹消されたのはご存じですよね?」

「お嬢から教えて貰いました」

「では簡潔に言いますと、辻園さんは書類上学校を退学してから復学したことになっています」

「はぁ!? そそ、それって経歴にがっつり残るヤツ……?」

「残ります。理由も含めて教師陣やクラスメイトに周知されているので留意してください」

「追い討つな! これから学校行くのにめちゃくちゃ憂鬱になるわ!!」


 そりゃ唐突に四日も学校に来なくなった事情説明はするつもりだったけど、既に諸事情が知れ渡ってるんじゃ言い訳する余地がない。

 出来れば隠したかっただけに、緋月さんから伝えられた情報はあまりにもありがたくなかった。


「はぁ……話変わりますけど、早朝の業務ってどんなことするんですか?」

「平日だと屋敷の巡回、洗濯物、エリナお嬢様の部屋へ朝食を配膳、食器洗い……学生の私達は基本的にはこれくらいです。用具の位置などは明日の朝に改めて説明します」

「なるほど……学校に行くまでに終わらせるなら何時が目安なんですか?」

「屋敷からは徒歩で20分程で着きます。ホームルームが9時からですので8時半には出られるようにしてください。では」


 伝えることを伝えきったからか、緋月さんはそそくさと去ってしまった。

 仕事の話なら質疑には答えるけど、それ以外の話をする気がないように感じられる。


 それにまだ8時過ぎなのに随分と早い登校だ。

 そんなに早く学校に行って何をしているのか気になるが、今聞いたところで答えてはくれないだろう。

 次の吸血まであと二日……それまでに多少なりとも打ち解けられると良いんだけど、この調子だとまだまだ道のりは長そうだ。


 高すぎる壁を前に肩を落としながら支度をして部屋を出る。

 あ、そういえば屋敷から学校までの道とか全然知らん。

 緋月さんに聞けば良かったと頭を抱えそうになった時……。


「辻園くん~おっはよぉ~」

「うぉっと。お、おはよう……咲葉さきばさん」


 不意に背中をドンと叩かれてよろめいてしまう。

 後ろに振り返ると、もう一人のメイドである咲葉さんと目が合った。


 彼女も制服姿なのだがキッチリと着込んでいた緋月さんとは違い、ブレザーの代わりにベージュのカーディガンを腰に巻いていて、スカートは太ももが露わになるくらいに短い。

 何より目を引くのがシャツをこれでもかと盛り上げる豊かな双丘で、第二ボタンまで開けているため谷間は丸見えだ。

 男子としてはこれ以上ないくらい目のやり場に困ってしまう。


「ふふっ。辻園くん。今リリのおっぱい見たでしょぉ~?」

「っ」


 しかし咄嗟に目を逸らしたところで、サキュバスである彼女には通用しない。

 むしろ俺の反応を面白がってわざわざ指摘する余裕すら見せる。


 分かってるなら少しは隠してくれよ。

 そう思っても口に出さない男心を察しているのか、咲葉さんはニコニコと良い笑みを崩さない。


「あはぁ~♡ 顔真っ赤でか~わいぃ~♡」

「からかうなよ……!」

「だぁ~めぇ~。次の吸精まで辻園くんにはたぁっくさん我慢して貰わないといけないもぉん~」


 実に活き活きしてて楽しそうだなオイ。

 エサとしての役割を思えば間違ってないけど、生き殺しにされることに変わりはないんだよなぁ。

 このままじゃ弄ばれるだけなので話題を逸らそう。


「そ、それで俺に何か用?」

「うん~。エリナ様から辻園くん用のスマホが届いたから渡してくれって~」

「え、マジか? もう契約出来たの?」


 言いながら咲葉さんが差し出したのは、背面が黒色のスマホだった。

 確かに昨日用意してくれるとは言っていたが、ここまで早いとは思っていなかったから驚きを隠せない。


「昨日の吸血中に頼んでたんだってぇ~。最低限のアプリとか私達の連絡先も入れてあるって言ってたよぉ~」

「お嬢、やっぱいい女だなぁ……」


 もう何回感謝してもしきれない。

 貰い過ぎて申し訳ないレベルだ。

 言ったところでお嬢はこれくらい当然だくらいは言いそうな気がする。

 せめて無駄遣いはしないように心掛けておこう。


 初めてのスマホに感激していると、咲葉さんは両手を合掌してある提案を口にした。 


「それとぉ~、一緒に学校行こうって誘いにきたんだぁ~」

「お。丁度屋敷から学校までの道を知りたかったから助かる!」

「わぁ~い」


 渡りに船とはこのことか。

 即座に了承すると咲葉さんは両手を合わせながら喜んだ。


 サディストではあるけど、基本的には付き合いやすい良い人なんだと実感する。

 そうして俺達は共に登校することになった。


 だがあることを完全に失念していた俺は、この時の承諾を大いに後悔する羽目になるとはまだ理解していなかった……。 


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