私(サクラ)を甘えさせて下さい、伊鞘君
吸血をするために厨房を出た俺達は、お茶会が続いている中庭を避けながら移動する。
向かった先はいくつもある空き部屋の一つだった。
誰も使っていない部屋ではあるが、来客に対応できるように清掃や寝具の準備は欠かしてしない。
後で片付けるのであれば吸血と吸精に使って良いとお嬢から許可も得ている。
だからここに来ることに関しては問題ない。
じゃあ何を気にしているのかというと……。
「──なぁ緋月さん。なんか近くない?」
「近付かないと吸血できませんよね?」
「いやまぁそうなんだけど……」
何も間違ったことは言ってないんだけど、俺が困惑しているのは今の状態だった。
いつもは向かい合って俺の手首を掴んで吸血している。
なのに現在はというとベッドで隣になって腰掛けているのだ。
部屋に入るなり言われるがままベッドに座ると、失礼しますって言いながら当たり前のように座ってきたんだぞ?
今にも右肩が触れそうで無性に意識してしまう。
彼女の過去を知ったことである程度の距離が縮まったとは実感した。
だがこうも急接近されると思春期男子としては非常にマズい。
その相手が高嶺の花である緋月さんとなれば尚のこと。
緊張で身体を強張らせる俺とは対照的に、隣の彼女はさほど警戒する素振りを見せないまま口を開いた。
「では辻園さん、吸血を始めましょうか。服を脱いで右肩を出して下さい」
「り、りょうか──え?」
今なんて言った?
右肩を出せ?
手首じゃなくて?
思わぬ言葉に茫然とする俺を余所に、緋月さんは少しだけ不満げな面持ちを浮かべる。
「何をボーッとしているんですか? それとも女性に脱がされたい願望のある変態なのでしょうか?」
「そんな特殊性癖は持ってねぇよ!」
あらぬ誤解をされたことで思考を取り戻した俺は咄嗟に否定する。
人前で服を脱いだり自分の手で脱がしたいというのは聞いたことあるけど、脱がされたいってなんだ。
赤ちゃんかと突っ込まざるを得ないし、もし実在したら絶対に関わりたくないわ、そんなヤツ。
「そうじゃなくて、右肩を出せってつまり首筋から吸うつもりなのか?」
「分かってるなら早くして下さい」
「いや何も分からないままだわ。首筋からの吸血って吸血鬼女子的にセンシティブなことなんだろ?」
「そう、ですが……とにかく、今回は首筋から吸いたい気分なんです! あまりデリカシーのないこと言わないでくれませんか?」
「わ、分かったって……」
気分で吸う箇所を変えるのかと訝しみながらも胸元のボタンを外していく。
右肩を出すだけとはいえ、女子が隣に居る状況で脱ぐのはどうにも恥ずかしいし緊張してしまう。
変態なのはむしろ緋月さんの方じゃないかと思えて来る程だ。
そんな内心を秘めつつ襟を降ろして右肩を露わにした。
「ほら、これでいいか?」
「はい。では失礼します」
「ちょっ!?」
準備が整ったと見るや、緋月さんが向かう合う形で俺に跨がる。
ズボン越しに伝わる柔らかな太ももの感触、鼻を擽る女子特有の良い香り、姿勢故にこちらを見下ろす目鼻立ちの整った綺麗な顔、俺の持つ意識の全てが彼女のみに向けられてしまう。
これまでにない密着度合いに動揺を隠せない。
待て待て待て待て!!
この体勢はなんか色々とマズいだろ!
ベッドの上なのもあって、如何にもそういうのを始めそうな感じになってない!?
急速する鼓動がうるさいくらいに騒ぎ立てて、全身が火傷しそうなくらい熱くなって来た。
俺の表情を見て何を思ったのか、緋月さんが頬を赤く染めながらキッと睨む。
その赤み具合は瞳の色にも負けないくらい濃くなっていた。
「か、勘違いしないで下さい。首筋から吸血するには、この体勢が一番楽だというだけですから」
「あ、あぁ。お、お手柔らかに頼む……」
有無を言わさない弁明にこっちも頷くしなかった。
恥ずかしいのは俺だけじゃないと分かって安心、なはずもなくむしろ余計に心臓が忙しくなっている。
普段の緋月さんからは想像も付かないギャップがヤバい……!
なんとか冷静になりたいが、密着している状況ではどうしても緋月さんを意識してしまう。
「失礼します」
「っ!」
気を取り直す間もなく緋月さんが首筋へと顔を寄せる。
牙が突き刺さった途端、さっきまであった動揺が激痛で意図も簡単に塗り潰された。
手首とは違う痛みに堪らず顔を顰めてしまう。
痛い、けれど今までみたいに声を出さないよう歯を食いしばって抑える。
俺が痛がった分だけ緋月さんを傷付けてしまう。
吸血が苦手な彼女のために、ただ耐え忍んで受け入れることが俺に出来る最善なんだ。
それでもほとんど抱き着いてる姿勢だから、一瞬だけ身動ぎしたことは彼女にも伝わっているだろう。
まだ血を吸われてないことから俺を慮っているのは明らかだ。
大丈夫だと言いたいが、少しでも声を出したら気が緩みそうだった。
ジャミングのように鬱陶しい痛みが続く中で逡巡した末に、緋月さんの背中に手を回してゆっくりと叩く。
「! んくっ、ん、ぅん……」
問題ないというのが伝わったようで、緋月さんが喉を鳴らしながら血を吸い上げていく。
手足の指先は冷たいのに牙を刺されている辺りは温かい、いつもの吸血される感覚が訪れた。
少量ずつ吸っているのは、半吸血鬼特有の強過ぎる吸血衝動に抗っているからだ。
意識的に抑制していないと対象の血を吸い尽くしてしまうらしい。
何気に今までも危なかった訳だが、こうして生きてるのは緋月さんが頑張っている証拠でもある。
本当に優しい人だと思う。
思えば彼女の人間不信は自分を守るためだけじゃなく、誰かを傷付けないためでもあったのかもしれない。
さっき撫でたばかりだというのに、またいじらしい気持ちになってしまう。
だからだろうか、少しでも痛みから逃れようともう片方の手で緋月さんの後頭部へ軽く触れた。
「んんっ! む、んぅ……」
突如触れられたことに驚いたみたいだが、すぐに甘い吐息が漏れる。
抵抗しない様子からこのまま撫でて良いらしい。
希望に応えるためにソッとサラサラな銀髪を梳かすように撫でていく。
異世界の人は損しているなぁ、なんて場違いな感想が浮かぶ。
だってこんな綺麗で触り心地の髪が恐いとか、損以外にどう思えばいいというのか。
紅の眼だってそうだ。
つい吸い込まれそうなくらいに煌びやかなのに勿体ないと感じてしまう。
隙間なく触れている身体も同じだ。
柔らかくて抱き締めたら折れそうな程に華奢で、跨がられているのに軽い。
それら全てを通して実感する……緋月さんは血が吸えるだけの女の子なんだと。
庶民ですらない貧乏人で、今や奴隷の俺に何か大それたことが出来るなんて思わない。
けれど叶うことなら、彼女を傷付けようとするヤツから守っていきたい。
「ん、ぷはぁ……」
「っ! 緋月さん、大丈夫か?」
思考に耽っていたら緋月さんが吸血を終えたみたいで、刺さっていた牙を抜いた痛みで逸れていた意識が戻される。
少しだけ身体を離してから見やると、キリッとしていた紅の瞳が蕩けたように脱力していて、口から漏れる吐息はどことなく扇情的だった。
初めて見る表情に一瞬だけ釘付けになっていると、緋月さんはふにゃりと柔らかな微笑みを浮かべる。
「はぃ……とっても美味しかったです……」
「そ、そっか……」
凜とした声がどこへ行ったやら、甘く囁くような声音に心臓が高鳴る。
俺の動揺に構わず、緋月さんが人差し指で鎖骨を撫で始めた。
「辻園さん……いいえ、
「え、そうなのか?」
「そうですよ。初めの頃は薄かったんですが、今日のはとてもコクがあって頭がフワフワするんです。毎日美味しいモノを食べてる証拠ですねぇ……」
「ジャジムさんの料理美味しいからなぁ」
名前呼びの上に自分の血の批評をされるとは思わず、戸惑いを覚えながらも相槌を返す。
一体、緋月さんはどうしたんだ?
吸血前といい今のポワポワな状態といい、あまりにも無防備過ぎないか?
心開いてくれたと見れば良いかもしれないけど、それにしたって度が過ぎている気がする。
とりあえず呼び掛けて正気を戻すしかない。
「緋月さん、水でも飲むか?」
「ヤです」
「言い方かわいいなオイ。じゃなくて、なんか様子がおかしいぞ?」
「おかしくないです。それに私のことはサクラって呼んで欲しいです……」
「え、お、おぉ分かったよ。さ、サクラ」
困惑の最中へ追撃するように名前呼びを求められ、頬が引き攣りそうな照れ臭さを感じながらもサクラの名前を告げた。
満足のいく返答を聞いたからか、サクラはにへら~とだらしのない笑みを浮かべる。
「ふふっ。男の子に名前で呼ばれるの、ちょっと恥ずかしいですね……」
「ねぇホントにどうしたのサクラ? 俺のこと悶え殺す気なのか?」
吸血する前のツンツンっぷりはどこに行ったんだよ。
別人レベルで放たれ続ける可愛いの連続に、痛みで消えていたはずの甘い感覚が上塗りされていた。
色々と目まぐるしい状況に頭が痛くなる一方だったが、彼女の様子には見覚えある気がして止まない。
…………もしかしてだけど、俺の血で酔っ払ってる?
あり得ないと思いたいが、このフニャフニャな感じはどう見ても酔っ払いのソレだ。
異世界で冒険者のバイトをしてる時によく見掛けたから分かった。
いよいよ頭を抱えて俯きたい気持ちを堪えつつ、サクラの頬を軽く叩きながら呼び掛ける。
「サクラ、酔ってるならちゃんと水飲んで頭冷やせ。だからまずは降りてくれないか?」
「むぅ~私、あのメイドに酷いこと言われたんですよ? 伊鞘君によしよしって慰めて欲しいです」
「ぐっ!!」
上目遣いかつ頬を膨らませて甘えたいと言われ、これ以上ないくらいに庇護欲を刺激されてしまう。
それはレッドカード級の反則だろうがぁぁぁぁ!!
もうギャップって言葉じゃ収まらない凄まじい温度差で、もうノックアウト寸前に追い詰められてしまう。
これは要求通りにしないと動いてくれないと観念した俺は、再びサクラを抱き寄せてから頭を撫でた。
自分から実行した分、尋常じゃない羞恥が留まることなく押し寄せて来る。
慰めて欲しいならとことん甘やかしてやろう。
そんな思いと共に口を開く。
「今日はお疲れ様、サクラ。ゆっくり休んで良いぞ」
「──うん」
満たされたような、子供っぽい声音で返される。
そうしてしばらく沈黙したまま撫で続けていたのだが、ふとあることに気付いた。
「すぅ……すぅ……」
「寝てる……」
酔いから眠気が来たのか、張り詰めていた気持ちが落ち着いたからか、サクラは俺の胸の中で眠ってしまったのだ。
少し様子を見てみたが熟睡しているようで、無邪気な寝顔には一切の陰りは見えなかった。
やっと解放されようで胸を撫で下ろした半面、抱き寄せた温もりを手放さなきゃいけない寂しさを覚えてしまう。
とりあえずベッドへ横たわらせるが、サクラはメイド服を着たままだった。
寝ているとはいえ男の俺が着替えさせる訳にいかないので、後でリリスにでも頼んでおこう。
起こさないように部屋を出た後、俺は長い息を吐きながら手で顔を覆う。
掌には焼けそうなくらいの熱が伝わり、自分の顔が真っ赤になっていると自覚させされる。
違う、サクラはそんなつもりで俺に甘えた訳じゃない。
勘違いしそうな心を何度も諫める。
自惚れはしないものの、今度は別の不安が過って止まない。
「──理性、持つかなぁ」
リリスの吸精もそうだが、手を出してもおかしくない状況で耐えるしかないのはかなりの生き殺しだろう。
思い出すだけで心臓がけたたましくなりそうなのに、何一つ悪い気がしないのが何より厄介だ。
そんな一抹の不安と期待を感じている裏で、お茶会は無事に終えるのだった……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます