首筋からの吸血が持つ意味
あたし──エリナレーゼ・ルナ・スカーレットは執務室である用事を済ませていた。
お茶会から二日が経った今日、二通の手紙が送られて来たからだ。
一通目はフェネーシェス侯爵家から非礼を詫びるという内容だった。
サクラを、お姉ちゃんを罵ったあのメイドはクビになった上に奴隷へと堕とされたらしい。
まぁ妥当な落としどころでしょうね。
こっちとしては始末してもよかったのだけれど、向こうに処遇を任せた以上は特に言うことはないわ。
半吸血鬼への迫害は未だに根深いとはいえ、攻撃せずに見て見ぬ振りをするのが一番穏便に済む方法だった。
っま、そんな判断が出来ないくらい怯えていたというのもあったんでしょうけど、もう気に留める必要はない。
二通目……個人的にはこっちが本命、お母様から送られたヴェルゼルド王の謝罪が書かれた手紙だ。
向こうの人選で招待した令嬢の従者がお姉ちゃんに暴言を放ったことは、かの王といえど無関係じゃ済まされない。
お茶会後に事の詳細を知ったお母様が直接赴いて報告した結果、顔を真っ青にして謝られたんだとか。
今後も似たような企画を行う時は、厳選を重ねるとも綴られている。
お母様はそのまま異世界での仕事に戻るみたいで、次に会える日はいつかなぁと思いながら読み終えた。
そんなタイミングを見計らっていたのか、部屋のドアがノックされる。
「入って良いわよ」
『失礼します』
入室を許可すると、ノックの主であるイサヤが入って来た。
話したいことがあるから、仕事が一段落したらここへ来るように言い付けてあったのよね。
ふと机を挟んで立つイサヤを見やる。
買ったばかりの頃は痩せてて顔色もよくなかったけど、一ヶ月経った今じゃ肉付きも肌つやもたいぶ改善していた。
仕事の方も手際が良いみたいだし、我ながら買い物上手だと自賛したいくらい。
「お嬢、それで話したいことってなんだ?」
「えぇ。二つあるんだけど、まずはこれね」
イサヤの問いに答えるために、机の上にあるモノを置いた。
それを見た彼がキョトンと目を丸くする。
「銀行口座の通帳とキャッシュカード?」
「ほら、前まで使ってた口座の貯金は両親が全部持って行ったでしょ? そこにそのまま給料を入れるとまた同じことが起きるだろうから、こっちで新しく作っておいたのよ。今後も新しい口座に振り込んでいくから無駄遣いはしないでよね」
「マジか、すげぇ嬉しい! 前はどれだけ稼いでも引き落とせなかったから、自分用の口座を持てるなんて夢みたいだ!」
「そんな悲しい喜ばれ方は知りたくなかったわ……」
サンタからプレゼントを貰った子供みたいに喜ぶイサヤが可哀想に思えてしまう。
碌でもない親元で育った弊害がこんなところにもあったなんて切なすぎる。
まぁ貧乏暮らしが長かったイサヤなら、無駄遣いとは程遠いでしょうね。
「あまり人様のご両親に言いたくないけど、イサヤの親は人として見れる気がしないわ」
「向こうは人を金になるかどうかでしか見てないから、そこんとこは全然気にしなくていいぞ」
「息子から正気を疑うような話しか出てこない親なんて相当よ? 絶対に関わりたくないわね」
搾取され続けたせいで深刻に受け止めてないみたいだけど、イサヤが置かれていた環境はどう考えても虐待だ。
苦労させるどころか危険の多い冒険者業に就かせて、果ては奴隷にして売り飛ばす人でなしっぷりは不愉快極まりない。
本当だったらイサヤは奴隷としてじゃなくて……ううん、過ぎたことを考えても仕方ないわ。
この話題は止めて次の話に行こうと咳払いをする。
「んっん。それで二つめの話なんだけど……サクラの様子が変な理由に心当たりある?」
「あ~……」
投げ掛けた問いに対して、イサヤが気まずそうな顔を浮かべる。
そう、あたしがイサヤを呼び付けた一番の理由はこのこと。
お茶会の後から、二人揃って妙にそわそわするようになったのよねぇ。
お姉ちゃんが壁を作ってる感じじゃなくて、お互いに意識し合って逆に落ち着かないみたいな、イサヤが話し掛けたらお姉ちゃんがあたふたして逃げちゃうの繰り返し。
あからさまに避けてるから、お姉ちゃんにイサヤと何かあったのか訊いてみたんだけど……。
『い、伊鞘君は、何も悪くありません。私の問題ですのでご心配は無用です……』
明らかに何かあったと分かるくらい、顔を赤くしながらはぐらかされたのだ。
名前で呼び合ってるから、あたしの目論み通りに仲良くなってるはずなんだけどなぁ。
釈然としない気持ちを解消するためにも、こうして当事者のイサヤに問い質すことにした訳である。
まぁこの反応を見る限り、心当たりくらいはあるみたいね。
呆れを感じながらも表面上は平静を装いながら続ける。
「何かあるのね? 怒らないから教えなさい。これは命令よ」
「それ怒る前振り……」
「ん? 文句でもあるの?」
「いえ、ないッス。正直に話させて頂きます!」
余計なことを口走る前に機先を制すれば、イサヤはシャキッと姿勢を正す。
うん、よろしい。
首肯して先を促すと、彼はどう話したものかという風に視線を彷徨わせながら口を開く。
「その、サクラの過去を聞いた後で吸血させることになって……」
「あぁ、丁度インターバルが明けた頃だったわよね。それで?」
「えぇっと……」
イサヤはモゴモゴと言い淀むけれど、程なくして意を決したのか愛想笑いを浮かべながら言った。
「サクラが首筋から吸いたいって言ったんで、その通りにしました」
……。
……。
「は?」
思いがけないカミングアウトに、一瞬だけ頭が真っ白になる。
お姉ちゃんが、イサヤの首筋から、吸血した?
山彦みたいに脳裏を反芻すること数回、ようやく言葉を呑み込んで……。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!?!?」
驚愕から椅子を倒す勢いで立ち上がってしまう。
令嬢としてはしたないけれど、そんなことを気にしてられる場合じゃない。
「ホントに言ってる!? お姉ちゃっ、サクラが、首筋から吸ったの!!?」
「お、おぅ。いつもより治りが遅いからまだ痕が残ってるぞ。そのせいで体育の着替え中に勘違いされてリンチされ掛かったし……信じられないなら見てみる?」
「見ないわよバカ! 吸血痕なんて、吸血鬼社会じゃ裸見せるのと同じなんだから!」
「ええっ!? ご、ごめんなさい!」
デリカシーないことを言う
はぁ~っと大きなため息をつきながら頭を抱えてしまう。
だってこんなの埒外の異常事態だし。
よりにもよって首筋から吸うなんて、あの後で何があったの?
そりゃお姉ちゃんでもはぐらかすに決まってるわ……。
「えっと、お嬢? 前に聞いた時も言ってたけど、首筋からの吸血ってそんなにヤバいのか?」
「ヤバいなんてモノじゃないわよ、むしろ憤死するレベルでとんでもないことなんだけどぉ……」
「ちなみにどういう意味なのかは──」
「言えるワケないでしょ、アホ! 言っとくけど調べるのも聞くのも禁止! 分かった!?」
「ら、ラジャー!!」
ドアホなこと言うより先に釘を刺しておく。
この鈍感バカなら最悪、お姉ちゃんに直談判しかねないしキツく言っておかないといけない。
あ~頭が痛い、まだ現実を受け入れられそうになくてクラクラして来た。
夢とか幻聴であって欲しいけど、嘘を言ってる様子がないから十中八九で真実なんだろうなぁ。
こうなった以上、あたしに出来るのはバランスを取ることだけだ。
悔しいけどそれがお姉ちゃんの幸せに繋がるなら腹を括るしかない。
「はぁ~……イサヤ」
「は、はい」
眉間のシワを解しつつ呼び掛けると、イサヤは恐縮した様子で聞き返す。
「サクラのことはしばらくソッとしてあげて。あの子の方で整理を着けたらきっと話してくれるはず。その時が来たら聞き逃さず、しっかりと応えてあげて。仮に悲しませたり泣かせたりしたら……ただじゃおかないわよ?」
「……肝に銘じます」
「そうして頂戴。じゃ、出て良いわよ」
「失礼しましたぁ~……」
引き攣った笑みのままイサヤは退室していった。
とりあえず、後でもう一度お姉ちゃんと話すのが先決かしらね。
それにしても、本当に……。
「確かに仲良くなって欲しかったけど、そこまでいくなんて思わないでしょぉ……」
机に突っ伏しながら、なんとも言えない複雑な心境を吐露する。
吸血鬼にとって、どの部位から吸血したのかは大きな意味を持つ。
それは命令や嘘で誤魔化すことの出来ない、吸血対象へ向けた正真正銘の本心として表れる。
要はその意味を把握すると、吸血鬼の心を読めるようになってしまう。
例えば手首からの吸血は『嫌い』とか『どうでもいい』という良く思ってない感情。
二の腕からだと『頼りにしてる』や『仲良くしていこう』といった信頼。
そして首筋は──『全てを捧げる代わりにあなたの身も心も欲しい』または『あなたが愛おしくて堪らない』という意味になる。
つまり首筋から吸血したってことは、お姉ちゃんはイサヤに告白したのも同然なのだ。
その想いの強さは凄まじく、相手が好きで好きで仕方がなくて誘惑も厭わない。
人間における首へのキスでさえ似たような意味を持っているのだから、吸血鬼となれば内に秘める執着心はもう言葉じゃ言い表せないわ。
なんなら首筋への吸血を受けた時点で、イサヤは告白を了承したと受け止められてしまっている。
アイツ自身はどう見ても気付いてないだろうし、お姉ちゃんもそれが分かってるから避けてるんだと思う。
というか好き過ぎて照れるから避けてる。
可愛い。
それに痕が消えないって言ってたけど、消えるワケないでしょ。
だって『この人は私のモノ』ってマーキングした証拠だし。
だから意味を聞かれても言えるわけない。
こっちが恥ずかしいし何より……お姉ちゃんがイサヤに恋をしてるなんてバラすようなモノなんだから。
それでも……あの人間不信のお姉ちゃんが人を好きになった事実が、どうしても嬉しく思えてしまう。
願わくば、姉の初恋が叶いますように。
誰に言うでもなく、心の中であたしはそう祈るのだった……。
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