頑張って来た彼女への送る称賛
「辻園さんは私が無闇に人を傷付けるような人じゃないと言ってくれましたよね? でも本当はずっと前から手遅れだったんです」
そう話を締め括った緋月さんの表情は、悲壮な内容に違わず形容出来ない憂いを帯びている。
地球でさえ二千年以上経っても迫害は無くなっていないのに、たった三十年で募ってしまった悔恨を無くせるはずがない。
理性の無い状態の姿しか知られていないから、緋月さんもそうだろうと過剰に警戒されるんだ。
彼女がどう冷静に対話を試みようとも、もしかしたら今にも吸血衝動で理性が消えてしまうしれないという疑念が拭えない。
だからセリーエ様みたいに怯える人がいて、あのメイドのように排除に走ろうとしたり、突き放して遠ざけることで自分達を守ろうとする。
強いて言えば悪いのは魔王だ。
それでも半吸血鬼は何も悪くないって言われて、素直に分かりましたなんて頷ける人は極々少数だろう。
人と同じ感情を持っているのにその心を見向きもしないで、かつて人を脅かした存在だからと蔑まされる。
半吸血鬼にならなければ生きられなかった彼女は、罵倒を受ける度に二重の意味で自分の命を否定され続けていた。
きっと話に挙がらなかっただけで、今日に至るまでに何度もそんな理不尽に遭って来たんだと察してしまう。
「エリナお嬢様が私を思って激怒して下さったことは感謝しています。けれど同時に、どうしようもなく自分が嫌いになるんです。公爵家の権威で守って貰ってばかりで、結局八年前から何も変わっていない私があの人達に愛されて良いはずがないって……」
紅の瞳から今にも零れそうな涙が溜まっている。
お嬢達への罪悪感、周囲から齎される疎外感、自らに対する嫌悪感……それらの感情が込められているように見えた。
緋月さんの人間不信は自分を守るための鎧なんだ。
けれどもそれは決して何も寄せ付けないくらい頑丈な訳じゃない。
やっと見せてくれた心の鎧の内側は、触れたら崩れ落ちそうなくらいボロボロに傷付いていた。
建前も繕いも無い素の緋月さんの表情は、世界の外でひとりぼっちになった子供みたいに思えてしまう。
スカーレット家の人達以外の誰もが彼女を人として見てくれない。
そんな状況にどこか見覚えがある気がする。
記憶を遡って思い返していって……。
「あ」
瞬間、心の中でずっと引っ掛かっていたピースがカチリと嵌まったような感覚を懐く。
どうして緋月さんのことが気になっていたのか、お嬢やリリスから問い掛けに対する答えがようやく分かったからだ。
モヤモヤと燻っていた迷いが晴れた途端、居ても立ってもいられなくなった俺は俯いていた緋月さんの頭へゆっくりと手を乗せた。
もしドラマの主人公とかだったら、気の利いた言葉を投げ掛けたり出来るんだろうな。
でも生憎と俺にはそんな余裕もスマートさも無い。
「つ、辻園さん? どうして撫でるんですか?」
突然触れられた緋月さんは戸惑いを露わにして、俺に行動の意図を尋ねる。
過去を話してくれる前だったら問答無用でぶっ飛ばされていただけに、そうなっていない今の距離感が少し嬉しく思えてしまう。
確かな前進を噛み締めつつ、彼女の質問に答えようと口を開く。
「頑張ってる緋月さんへのご褒美みたいなもの」
「意味が分かりません。子供扱いの上に頑張ってるって馬鹿にしているんですか?」
「そのままの意味ですって。俺が同じ立場だったら絶対に折れてたけど、緋月さんはふて腐れずに努力を続けて来た。それ誰にも真似できないことだから偉いなって褒めてるんです」
「っ、なんですかそれ! 理解したような慰めの言葉なんて止めて下さい!」
俺の言葉に緋月さんは安い同情なんて要らないとばかりに激昂する。
半吸血鬼として迫害され続けた末に人間不信になった彼女にとって、安易な慰めが逆鱗に触れるくらい分かっていた。
でも俺には緋月さんの抱えた孤独と疎外感が痛いほど伝わってしまう。
「分かるんだよ。俺も似たような気持ちになったことがあるから」
「え?」
敬語を止めて素の口調で重ねて告げると、緋月さんは紅の目を丸くして聞き返す。
「お嬢が俺を買ったのは闇オークションだったって聞いたことはあるよな?」
「は、はい……」
「競りに出された俺を見る貴族とか商人の目がさ、人じゃなくてオモチャか物珍しい動物を見るような目だったんだよ」
「!」
そう言った途端、緋月さんの目が大きく見開かれる。
今になって思い出しても、あの時の孤独感は最悪だった。
買ってからどう遊んでどうこき使おうか企む嗜虐に満ちた眼差しに、奴隷になった俺を慮るような情は見当たらない。
ただでさえ両親に売られた直後で立ち直れていなかった心を、絶望のどん底へ追い討つには十分過ぎる仕打ちだった。
生まれた時から借金塗れで、皆が遊んでる間にも身を粉にして働いて、なのにちっとも暮らしは良くならないまま両親に切り捨てられて……もはや生きる意味を見出せなくなっていたなぁ。
お嬢に買われた時でさえ悲観に暮れたままだったっけ。
だからこそ奴隷でも人として扱ってくれるお嬢にこれ以上無いくらい救われたんだ。
人として見られない孤独を抱えていて、同じ人に救われたことがある。
無意識に共感していたから、緋月さんのことが気になっていたんだと分かった。
それに……。
「周りの侮蔑に負けずに立ち向かい続けた緋月さんは強くなってるよ。俺もそうあれたら、もっと早く親と縁を切れていたかもしれない。だからそうやって頑張って来た緋月さんは凄く偉いんだって本気で思ってる」
「……辻園さんの言いたいことは、分かりました。でもやっぱり私は自分が強いとは思えません。どうしても誰かを信じられないんです」
「別にそのままで良いよ。無理に歩み寄ろうとしても疲れるだけだし、何より自分を人扱いしないヤツより、お嬢達みたいに大事にしてくれる人と過ごす方がずっと楽しいだろ」
「それは……」
あっけらかんと言ってのけられた緋月さんが言葉に詰まる。
まさか人間不信を治さなくて良いなんて言われると思ってなかったんだろう。
治せるなら治せるに越したことは無いと思うけど、緋月さんの場合はそんな範疇を超えている。
だったら思い切って開き直るほうが楽だ。
「誰とどう関わっていくのか決めるのは自由なんだから、他人にとやかく言われる筋合いなんてないだろ? 俺は貧乏だからってバカにする人とは関わりたくない。緋月さんは無闇に人と関わりたくない。その上で大事な人達と付き合っていけるなら、普通の人生より恵まれてると思えてこないか?」
「普通の人生より、恵まれてる……」
目から鱗という風に緋月さんが呟く。
確かに彼女が歩んで来た道のりは幸せで満ちていたとは言えない。
でもお嬢がいてシルディニア様がいて、リリスやジャジムさんみたいに暖かく接してくれる人がいる。
「愛されて良いはずがないって言ってたけど、俺から見ても緋月さんは大事に愛されているし、そうされるくらい頑張って来たんだから褒められてもおかしくないだろ」
「……」
そう締め括りながら、再び彼女の頭に乗せていた手を動かして撫でる。
頑張り続けて傷付いた心を、こんなことで癒やせるとは微塵も思っていない。
それでも、少しだけでも傷を軽く出来ればいいなと願う。
一分くらいそうしていると、緋月さんが唐突に俺の肩に頭を乗せて来た。
唐突な接近に思わずドキッとしてしまう。
「あ、緋月さん……?」
「──こうした方が撫でやすいと思っただけです。他意はありませんから」
「……そっか」
有無を言わさない語気とは裏腹に声は微かに震えていた。
気にはなるが、本人がそういうことならそうなんだろうと納得しておこう。
どのくらいそうしていただろうか。
やがて緋月さんが身体を離した機に撫でるのを止める。
改めて見やった彼女の表情は、恥ずかしそうに顔を赤くしていた。
でもどこかスッキリしたみたいで、全く無駄になってなくて良かったと内心で胸を撫で下ろす。
一方で若干この後の対応に困ってしまう。
勢いに任せたとはいえ女子の頭を撫でるという、セクハラで訴えられてもおかしくない真似をしたせいだ。
幸い緋月さんが怒ってる様子はないから通報されないとは思うけど、それはそれとして前とは違う気まずさを感じる。
もう厨房から出ようかな?
なんて考えていると不意に『辻園さん』と緋月さんから呼び掛けられる。
「話を聞いて貰うだけのはずが、お手数を掛けてしまい申し訳ありませんでした」
「い、いや大丈夫ですよ。少しでも緋月さんの抱える気持ちが軽くなったなら気にしないですから」
「……」
「緋月さん?」
何故か向こうから謝られたので、咄嗟に問題ないと返す。
だが緋月さんは何か言いたげな面持ちで俺を見つめる。
「……口調」
「え?」
「敬語で話す必要はありませんよ。私は染み付いているので崩せませんが、あまり畏まられるのは堅苦しいので……」
「あ、緋月さんが良いならそうさせて貰うけど……」
「はい。そうして下さい」
思わぬ距離の縮まりに動揺しながらも受け入れる。
俺の返答に満足がいったのか、心なしか彼女の纏う雰囲気が軽くなったような気がした。
なんだこれちょっと恥ずかしい。
リリスにいっくんって呼ばれた時と同じくらいドキドキするんだが。
妙な気恥ずかしさが耐え切れそうになくて、話題を切り替えようと思って立ち上がった時だった。
不意に何かに手を引かれる。
何の気なしに目を向ければ、なんと緋月さんが服の袖を掴んでいたのだ。
「あ、緋月さん……?」
予想外の動きに思い切り困惑していると、彼女は何か意を決したかのように俺と顔を合わせる。
「辻園さん。今から時間を頂けますか?」
「今から?」
「はい。──吸血を、させて欲しいんです」
「!」
そのお願いを聞いた瞬間に悟る。
人間不信の緋月さんが俺を信じてくれるかどうかの分水嶺はこの時だと。
彼女が異世界で嫌悪される半吸血鬼だと知って、今に至るまでの過去も聞いた。
その上で吸血をしたいと告げるのは、きっと言葉以上に大きな勇気が必要だったはずだ。
何より緋月さんから歩み寄ってくれた事実が嬉しくて、堪らず笑みを零してから答えを口にする。
「当たり前だろ。俺は緋月さんのエサなんだから」
「! ……ありがとうございます」
元より俺の役目は彼女のエサなのだ。
断る選択肢なんて最初から存在しない。
要求が通ったと悟った瞬間、緋月さんはたおやかな笑みを浮かべる。
そうして初めて見た彼女の笑顔は──あまりに綺麗でつい見惚れてしまいそうだった。
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