彼女がメイド服を纏う理由


 あれは九歳になった頃のことです。

 先程も言った通り、当時の私は半吸血鬼となった事実を深刻に受け止めていませんでした。

 今となっては心の底から愚かだったと自嘲します。


 なんでもない晴れた日でした。

 貴族教育を受けているエリナ様を待つために部屋で本を読んでいると、メイドが下げようとした空のカップを落としてしまったんです。

 床に落ちたカップは呆気なく大きな音を立てて割れました。


「申し訳ございません、サクラ様! いたっ!」

「だ、大丈夫!?」


 目の前で失態を犯して慌てた彼女は、破片を拾おうとして手を切ってしまう。

 怪我をしてしまったと不安になったので、咄嗟に駆け寄った瞬間でした。


「──っ!」


 ドクン、と不意に胸が大きく高鳴ったのです。

 私の視線はメイドの指先に流れる血に釘付けになり、急激に喉が渇いたような飢餓感に襲われてしまう。

 口からだばだばと唾が零れるのにも構わず、誘われるがままメイドの手を取って傷口のある人差し指を舐めました。


 そこからの記憶はハッキリと覚えていません。

 身体中を蝕む飢餓感から逃れようとしていた気も、喉を潤わすような幸福感に酔いしれていたような気もします。

 いずれにせよ私はまともな状態ではなかったことだけは確かでした。


「あれ……?」

「サクラ、意識が戻ったのか!?」

「こう、しゃく様……?」


 どれくらいの時間が経ったか定かではありませんが、意識を取り戻した私は公爵様の魔法で拘束されていました。

 公爵様だけでなくシルディニア様とエリナお嬢様も居て、何故だか揃って神妙な面持ちを浮かべていたのです。

 一体どうしてそんな表情をするのか、その答えはすぐ目の前にありました。


「ぅ、ぐす……っ」


 メイドが血塗れの首を押さえながら泣いていたのです。

 怪我をしたのは指先だけだったはずなのに、メイド服が真っ赤に染まる程の出血が痛々しさを物語っていて、私自身も着ていた服が血塗れでした。

 その時の私を見る彼女の恐怖に満ちた眼差しは、今になって鮮明に思い出せるくらい記憶しています。

 

 これらの状況を見て、私はようやく事態を察しました。


 ──吸血衝動を抑えきれず彼女を襲ってしまったのだと。

 

 吸血鬼の身体へと変貌した代償なのか、半吸血鬼ヴァンピールは純種より強烈な吸血衝動が起きる体質を持つのが原因でした。

 衝動による凄絶な空腹感と口渇感から、大抵の人は半吸血鬼化して程なく理性を失い、生き血を求めて暴れ狂う怪物へと成り果ててしまう。

 他の生命を殺し、死体からも血を啜り、極めつけは同族にすら牙を向く。

 異世界の人々が魔王の使徒と呼んで恐れるのも無理もありません。


 私の吸血が下手なのは人から吸うことに対する忌避感による経験不足と、吸血衝動に抗うことに意識を割いているのが最大の理由です。

 辻園さんには負担を掛けてばかりで申し訳ありませんでした。


 話を戻しますとその時までは適度な吸血と自覚の足りなさから、衝動は抑えられていましたが、新鮮な血の匂いと味を間近に感じただけで無に帰してしまったのです。


 幸い悲鳴を聞きつけた公爵様のおかげで、出血こそしたもののメイドの命に別状はありませんでした。

 けれども心はそうもいきません。

 理性を無くした私に襲われたトラウマから復職は叶わず、騒動から一か月も経たない内に辞めてしまいました。

 今はどのように過ごしているのかは知りませんが、せめて健康で居て欲しいとは思っています。


 一方の私は公爵様から半吸血鬼の話を聞いて、その悍ましさに身を震わせるしかありませんでした。

 自分がそのような存在に変化した事実を否定したい気持ちは山々でしたが、理性を失くして人を襲ってしまった以上、目を逸らすことなんて出来ません。


 シルディニア様達がこの時まで詳しく話さなかったのは、私がこんな風にショックを受けないよう配慮して下さったおかげです。

 半吸血鬼にならなければとっくの昔に死んでいたのは理解していましたから、夫人を責めるつもりはありません。


 ただあんなことがあった故に、輸血パックから血を吸う際に吐き戻してしまうようになりました。

 新鮮な血の味を知ったことで舌が肥えたことと、怪物を見つめる眼差しが頭を過るトラウマから来る拒絶反応が原因です。

 でも吸わないと吸血衝動でまた暴れてしまうかもしれない。

 もしかしたらエリナお嬢様やシルディニア様を傷付けてしまうと思うと、吐いても無理やり吸うしかなかったんです。


 普通であれば塞ぎ込んでいたのかもしれませんが、そうならなかったのはエリナお嬢様を始めとした公爵家の皆さんでした。


 あんな事件を起こして罪に問われてもおかしくない私を、あの人達は家族だと言ってくれましたから。

 その暖かさこそ、身体は半吸血鬼でも心だけは人でいられる証だと感じたのです。


 ですが他の人がそうだとは限りません。

 いくらヴェルゼルド王が訴えたところで、半吸血鬼の恐怖を知る人々から疎まれない訳ではないからです。


 エリナお嬢様の教育を担っていた家庭教師が辞めることになり、新しい教師がやって来ました。

 明るくて愛想の良い女性だったのですが、誰も見ていないところで私を怪物と蔑みながら暴力を振るわれたことがあります。

 かつて住んでいた村が半吸血鬼の集団に滅ぼされたことを恨んでいて、私が公爵家の養子としてのうのうと暮らしているのが気にくわない等と色々言われました。


 半吸血鬼というだけで全く身に覚えの無い憎悪をぶつけられ、他の人には笑みを振り撒く彼女の方が私にはよっぽど怪物だとしか思えません。

 後に虐待の場を見掛けたエリナお嬢様が公爵様へ知らせたため、彼女は拘束されることになりました。


 その後ですか?

 養子とはいえ公爵家の人間に暴力を振るった以上、解雇だけで済むような単純な罰ではないとだけ伝えておきます。


 ただこんな事件が起きた以上、異世界で過ごせないと判断された公爵様の案により地球の別邸へと移り住むことになりました。

 地球なら半吸血鬼への迫害がありませんし、学校へ通えるようにしたかったという心遣いはありがたかったです。


 元々地球人だったので地球での生活は心地良くて、大手を振るって外を歩けるのはとても気楽でした。

 学校の授業は家庭教師から教わっていたので問題ありませんでしたし、何人もの友達が出来て順風満帆だったと言えます。


 ですがある日を境に友人達と距離が空きました。

 理由は分かりますよね?

 私が半吸血鬼だと知ったからです。


 親が異世界人の子供が地球の学校へ通うのは不思議ではありませんので、子供を守ろうと遠ざける分にはおかしくはないでしょう。

 表立っていじめや迫害が行われないだけマシと言えます。


 尤も公爵家の子供をいじめたり悪評を流したりすれば、刑罰は避けられないというだけの理由なのですが。


 それでも私は仲の良かった友人と離れたくない一心から直接伝えました。。


 いくら半吸血鬼とはいえ、元々は人間なのだから避けなくても良いよ、と。

 そう言ったらなんと返されたと思います?



 ──人間扱いされて欲しいなら、半吸血鬼にならなきゃよかったでしょ?



 足場が崩れる程にショックでした。

 私が死に掛けたことを知らないとはいえ、その言葉は私を否定するにはあまりにも深く刺さったのです。

 寄せていた友情の分だけ、その傷は大きく刻まれました。


 異世界では魔王の使徒と恐れられ、地球でも人間じゃないからと距離を置かれる。

 そんな状況が続いた私は、もう他人に期待するのは止めました。

 であればいっそのこと、家族以外は誰も信じず突き放した方が賢明です。


 公爵家での振る舞いも変えることにしました。

 命を救われ、養子として引き取って家族として接して下さったスカーレット家に仕えようと。

 

 エリナお嬢様やシルディニア様達からは、そんな必要は無いと言われました。

 それでも私が意志を曲げないと察して以降、メイドとして屋敷に身を置かせて頂くこととなったのです。


 実を言ってしまいますと、ある程度の稼ぎを得たら一人立ちしようと考えていました。

 いつまでも私という半吸血鬼を抱え続けるのは、公爵家にとって不利益にしかならないと思っていましたから。

 今はもう出ていくつもりはありませんよ。

 スカーレット家の皆様から大事にされていると理解しているのに、わざわざ悲しませるような真似はしたくないので。


 そうしてメイドとして公爵家に仕える傍ら学業もこなす日々が始まり、今の私へと至る訳です。

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