お嬢の母親が帰って来た




 屋敷の正門前で出会ったシルディニア様の後に俺とリリスが続く。

 雇い主の親から一緒に行こうかと誘われた奴隷と使用人が断れるはずがない。


 従者らしく静かに付いていくだけでも緊張で身体が強張る。


「イサヤちゃんのことはエリナちゃんから聴いてるわよぉ。ご両親に売られて奴隷にさせられちゃったって。月並みだけれど、大変だったでしょう?」

「そ、それなりには……」

「屋敷での生活はどうかしら? 吸血鬼とサキュバスを同時に相手するのって、異世界でも滅多に聞かないから心配してたのよぉ」

「変な話ですけど、奴隷になる前よりは充実してる方です。買ってくれたのがおじょ、エリナ様で良かったって思ってますよ」


 固くなった俺に対してシルディニア様は気さくに話し掛けてくれる。

 気持ちは大変ありがたいけど、出来れば放っておいて欲しい。

 とはいえお嬢の母親にそんなこと言えるわけがなかった。


 失礼がないように言葉を選びながら発した返事に、シルディニア様は満足げに微笑みながら頷く。


「なら良かったわぁ。そうそう、エリナちゃんの奴隷ってことは、イサヤちゃんはもう我が家の一員も同然よ。畏まらずにワタクシをママだと思って甘えて頂戴ね? うふふ~実は男の子も欲しかったのよね~!」

「は、ははは……恐縮です……」


 あまりに飛躍した話に愛想笑いで流すのが精一杯だった。

 ご主人様の親に甘える奴隷とか前代未聞だろ。


 まぁ……家族だって言ってくれるのは嬉しかったけどさ。

 お嬢の懐の広さは母親譲りなのだと実感させられる。

 それでも主従を越えて親子として接するのはちょっと遠慮させてほしい。


 貴族らしくない距離感に戸惑っていると、何故だかシルディニア様がこそっと顔を寄せて来た。


「それで話は変わるんだけれど~……さっきリリスちゃんと一緒に歩いてたわよね? イサヤちゃんってあぁいう女の子が好みなの?」

「同じ職場のよしみで一緒に下校してただけで、そういうんじゃないです……」

「あらそうなの? だったらサクラちゃんみたいなクールなのが良いの? あ、それともまさかエリナちゃんの方がタイプかしら!?」

「色々と畏れ多いんでノーコメントでお願いします!」


 恐い恐い恐い恐い!

 距離を詰める一歩が大きすぎるって!

 なんでそんな恋愛に結び付けたがるんですか!?


 中学生のお嬢がタイプとか不敬にも程があるし、言うほど話変わってないし!

 それに緋月あかつきさんとはただでさえギクシャクしてるのに、職場恋愛なんてしたら余計に避けられるに決まってる!


 一体何が奥様の琴線に触れたのか全く分からねぇ……。


「リリスちゃんはどう? イサヤちゃんから吸精してるなら、それなりに気に入っているんじゃない?」

「いっくんのことですかぁ~?」


 うぉぉいっ、ホントに躊躇無いな!


 唐突に話を振られたにも関わらず、リリスは普段通りに緩やかなテンションで聞き返す。

 頼むから変なことだけは言わないでくれ。

 心の中でそう念じながら彼女の答えに耳を傾けていると……。


「とぉっても気に入ってますよぉ~♡ 少なくとも今はいっくん以外の精気は要らないくらいですぅ~」

「っ!」


 人前にも関わらず俺の腕に抱き着きながら満面の笑みでそう言い切った。

 腕を包む柔らかな感触にドキドキしつつも、思っていたよりも好意的な答えがそれ以上に胸を高鳴らせる。


「まぁまぁ! サキュバスにそこまで言わせるだなんて、イサヤちゃんってば見掛けによらず優良物件なのね!」

「さ、さぁ? 自分じゃよく分からないッス……」


 リリスの答えを聞いたシルディニア様は嬉しそうにはしゃぐ。

 一言多い褒め言葉を向けられるが、照れくささから顔を逸らしてはぐらかすのが精一杯だ。


 もしかしてそういうことなのか?


 いや勘違いするなって俺。

 リリスのことだから、弄り甲斐のあるオモチャみたいな愛着だろう。

 恋愛的に捉えて調子に乗った途端、水を得た魚のようにからかって来るに決まってる。


 自分の中でそう結論付けている内に、俺達は玄関前まで辿り着く。 

 流石にお嬢達と会えば解放されるだろうと胸を撫で下ろす。


 屋敷の中に入るとシルディニア様の帰宅を知っていたかのようにお嬢と緋月さんが待ち構えていた。

 二人だけじゃなくて、普段は厨房から出てこないジャジムさんもいる。

 別邸の使用人全員での出迎えとは、シルディニア様の登場は俺の想像以上に大事なんだと思い知らされた。


「おかえりなさい。お母様」

「ただいまエリナちゃん。二ヶ月振りねぇ♪」

「わ、人前で抱き着かないでよ」


 公爵令嬢らしく恭しい挨拶をするお嬢だったが、シルディニア様は愛おしさを隠しもせずにいきなり抱き着いた。

 お嬢は驚きながら母親の態度を諫めるものの表情は満更でもなさそうだ。


「少し背が伸びたかしら?」

「成長期だから当然よ。お母様みたいな淑女になるんだから、まだまだ伸びてくれないと困るわ」

「うんうん、エリナちゃんなら絶対になれるわよぉ」


 娘の成長にシルディニア様は微笑ましそうに頷く。

 年相応なお嬢はレアだから、なんとなく共感出来る。


 話も程々に抱擁を解いたシルディニア様は、お嬢の後ろに控えていたジャジムさんに目を向ける。


「ジャジムも久しぶりねぇ。子供達の保護者役は大変だったでしょう?」

「労いのお言葉、至極恐悦でございます。しかし皆しっかりしていた故、我が輩がしたことなど数える程度しかありませんでした。楽をしていた分、本日の夕食は奥様のために存分に腕を振るう所存であります」

「ありがとう。楽しみにしてるわ」


 こっちは如何にも主従らしい会話だ。

 いつも尊大な口調のジャジムさんが敬語で話すとこなんて初めて見た。


 お嬢のことを姫様って呼んでたし、ジャジムさんってもしかしたらスカーレット家に仕えてかなり長いのか?

 どんな経緯なのか気になるけど、シルディニア様との話を遮るのは流石に無礼だよな。

 そう思って疑問は呑み込むことにした。


 そしてシルディニア様が緋月さんへと目を合わせる。

 自分の番だと気付いた彼女はゆっくりとお辞儀をした。


「おかえりなさいませ奥様」

「ただいま、サクラちゃん。あとでお土産をあげるわね」

「ご配慮、感謝致します」

「イサヤちゃんから吸血してるって聞いたけれど、調子はどうかしら?」

「エリナお嬢様のご命令に従っているだけで、特別なことは何もございません。ご心配なさらずとも至って普段通りです」


 会話の内容自体はジャジムさんの時と同じ、主従として相応しいモノだと思う。

 なのになんというか、二人の間にどこか見えない溝があるように感じた。

 シルディニア様が家族として話し掛けているのに対して、緋月さんが主従として返しているからだろうか?


 その温度差に気付いているのは俺だけじゃなくて、お嬢やリリスの表情には歯痒さを滲ませていた。

 彼女達がこんな反応をしているのは、緋月さんが使用人らしい態度を取る原因を知っているから?

 もしくはお嬢が言っていた緋月さんの秘密に関係している気がする。


 漠然とそんな予感が浮かぶ。


「そういう訳にはいかないわ。サクラちゃんはワタクシの娘だもの」

「お言葉はありがたいですが、一使用人の私には不相応です」

「……もう」


 頑なな緋月さんの態度に、シルディニア様は煮え切らない面持ちながらも引き下がる。

 いくら人間不信だからって公爵夫人にも距離を取るなんて些か異常だ。


 けれども気付いたところで奴隷でしかない俺にはどうすることも出来ない。

 どうしようもないやるせなさを抱えていると、パンパンっと沈んだ空気を晴らすようにお嬢が手拍子をした。

 その音で場にいた全員が彼女へ視線を向ける。


「挨拶はこの辺にしましょ。それでお母様、今日帰って来たのには理由があるんでしょ?」

「あら、そうだったわ」


 幼さを感じさせない気配りを見せつつ、本題を話すように母親へ促す。

 話を振られたシルディニア様は苦笑を浮かべて咳払いをする。


「実は異世界での仕事中、ちょっとだけ面倒な案件を受けなきゃいけなくなったのよ」

「面倒な案件ですか?」

「公爵家の立場上、断ると余計な角が立ちそうだったから仕方なくね」

「世界を隔てようとも俗世のしがらみは絶えぬ。むしろ奥様はよくご決断なされた方でしょう」

「ありがと。それで肝心な案件の中身なんだけれど……」


 よほど面倒事らしく、シルディニア様は右手を頬に添えながら嘆息する。

 ジャジムさんのフォローに礼を返して、改めて内容を明かす。


「十日後のゴールデンウィークに、この屋敷で異世界の貴族令嬢を招いたお茶会を開くことなのよ」


 それは如何にも貴族らしい催しだ。

 会場が地球で、しかもこの屋敷という点を除けば。


 シルディニア様の姿を見た時に過ったイヤな予感が的中した瞬間だった。


 最近こんなんばっかだなぁ。

 サボっちゃだめですかね?

 ダメっすか、そうっすか……。

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