マナー講習を終えてから



 来たるお茶会に向けて使用人としてのマナーを緋月あかつきさんに教わるように、シルディニア様から指示を受けた。

 よりにもよってギクシャクしたままの緋月さんとペアである。


 めちゃくちゃ気まずいけれど、公爵夫人の命令とあっては断れる訳がない。

 むしろこれは仲直りするチャンスだと前向きに捉えることにした。

 マナーを身に付けるのとは別の目標を設けて、緋月さんからの指導が始まったんだが……。


 一週間経った今も尚、緋月さんとの間には壁が築かれたままだ。

 その理由は彼女に避けられているから……じゃない。

 至極単純、指導が厳しすぎて私語を口にした途端殺されそうだったから。


 大袈裟だと思うかもしれないけど緋月さんの執った教鞭は、それはもう容赦ないスパルタだったのだ。

 手に持った靴ベラで何度叩かれたのかは覚えていない。

 痛かったのは痛かったけど、正直に言うと彼女に吸血される時の方が痛いんだよなぁ。

 血管に牙を突き立てられるのに比べたら、あれくらい蚊に刺されたようなもんだ。


 まぁ痛みに強くなったことはともかく、肝心のマナーに関しては短期間でかなり身が付いたと言える。

 流石に熟練メイドである緋月さんには及ばないが、付け焼き刃ながら及第点を貰えるくらいにはなった。


 それでも本番で失敗しないようにと、お茶会当日まで練習を続けるつもりだ。

 特に注意したいのは、来賓の貴族がどういった家柄なのか知らないまま接すること。

 公爵家の使用人が招いた客人を知りませんでしたじゃ、教育不足だとしてお嬢の面目を潰してしまう。


 他には好みのお菓子や飲み物を間違って提供しない事前防止にもなる。

 紅茶が飲めないのに出してしまったら、もう俺のクビが飛ぶだけでは済まないらしい。


 そういった貴族社会で暗黙されている了解も、マナー学習に併せて緋月さんから教わったからこそ、今も来賓者のリストと資料に目を通している訳だ。

 幸いにも今回のお茶会に訪れる貴族は片手で足りる人数に留まっているため、名前や好物を記憶するのは大した問題じゃない。

 むしろ気になるとすれば……。


「あの、緋月さん。ちょっと質問して良いですか?」

「なんでしょうか?」


 リストを見ている俺を余所に、お茶会で使う品々の最終チェックを行っている緋月さんへ呼び掛けた。

 仕事の話だから無視されることもなく、相も変わらず冷静な声で先を促される。


 もう慣れたのでリストに記載されている伯爵家令嬢の項目を指しながら続けた。


「グルヴィス伯爵家の情報欄に種族:吸血鬼ってあるんだけど、血が欲しいとか言われたらどうしたら良いんですかね?」


 お茶会に招く貴族は人間だけじゃなく緋月さんと同じ吸血鬼の他、エルフといった風に種族が分かれている。

 スカーレット家と同格の公爵家は無いけど、男爵家やら侯爵家やら庶民の俺からすれば雲の上の人達ばかりだ。


 そもそも人間以外の種族に貴族としての地位が与えられてる理由は、ヴェルゼルド王が異世界を救ったことが起因している。

 というのも魔王の支配によって異世界の政治体制は崩壊していたのだ。

 魔王を倒した後に復興の旗印として異世界を統べる主君となった王様は、各地を治める領主を決めるにあたって種族を問わなかった。 


 体制崩壊前から生き残っていた貴族や王族だった人達からは不満があったものの、任命された新領主達は見事な手腕で以て、地球と交流を始められる程に立て直した実績を前に黙らせたのである。

 三十年以上も経った今じゃ、人間以外の種族が貴族でもなんら疑問を持たれなくなった。


 閑話休題。


 今回のお茶会で招く貴族の中で特に気になったのが、吸血鬼であるグルヴィス家のレネイア様。

 侍らせてる複数の執事から毎日、おやつ代わりに吸血しているとリストに書かれているのである。

 無いとは思いたいけど、なんかの気まぐれで俺の血を吸わせろ……なんて言われたらどう対処すれば良いのか困ってしまう。

 だからこそ先輩である緋月さんに尋ねた。


 俺の不安を悟ったのか、緋月さんは目を伏せながら口を開く。


「あぁ、そんなこと。仮に辻園さんの血を要求されたとしても、実際に吸血させるようなことにはなりませんよ」

「え、そうなのか?」


 返された答えに驚きを隠せず聞き返してしまう。

 どういった根拠で断言されたのか首を傾げていると、緋月さんは無言で俺の左胸を指す。


 不意な接触に思わずドキリと反応してしまうが、彼女は大して気にした素振りを見せないのまま続ける。


「辻園さんはエリナお嬢様の奴隷……即ち所有物です。公爵家の私物に触れて傷を付けてしまえば無礼と見なされますから」

「奴隷って身分が身の保障にもなるってことか」

「そういうことです。そもそもスカーレット家の不興を買いたい家なんて、異世界には存在しないという部分も大きいですが」

「公爵家様々だな……」


 身分云々というより、スカーレット公爵家の威光で守られてる感じだ。

 緋月さんとリリスが俺をエサにしてるのはお嬢の許可があるので咎められないけど、余所の人は例外なく制裁される訳か。


 理由はどうあれ俺が血を差し出すことは無いようで、内心でホッと胸を撫で下ろす。


「はぁ~良かったぁ。なら後は本番で失敗しないだけか」

「そうですね」

「緋月さんやリリスもいるからって甘えないように気を付けます」

「そうして下さい。当日、

「はは、責任重大じゃないですか──……え?」


 憂いを絶てた軽はずみで調子に乗ったことを口走った途端、予想だにしなかった返答を聞かされて脳がフリーズしてしまう。

 ねぇ緋月さん、裏方に徹するって何のこと?

 そんな話初耳なんですが?


 茫然と立ち尽くす俺の反応に呆れたのか、緋月さんは重いため息をつきながらこちらへジト目を向ける。

 なんかいっつもそういう目で見られてる気がするなぁ。


「私が給仕として参加するのであれば、まだ新人の辻園さんにスパルタ式でマナーを指導したりしませんよ。代役は無理でも急ごしらえで動けるようになって貰わないといけなかったんです。幸い、予想よりも覚えが良かったので何とかなりそうですが」

「それはどうも……って、シルディニア様は初めからそのつもりで?」

「お茶会やパーティーの時は裏方で従事したい、と以前から願い出ていたのでその通りにして頂けただけです」

「は、はぁ……」


 明らかに仕事が出来るのになんでだろう。

 もしかして彼女の人間不信と関係あるのか?

 疑問は尽きないけれど、言外にこれ以上訊くなと目を逸らされている。


 普通ならメイド失格とも捉えられかねない要望だが、シルディニア様も緋月さんの秘密を把握してるかもしれない。

 どんな内容なのかまるで想像が付かないけど、そっちに気を取られてお茶会でしくじったら全部台無しだ。


「とにかく俺、緋月さんの分まで頑張ります」

「……好きにして下さい」


 そうならないように疑問は片隅に追いやって、改めて緋月さんへ呼び掛ける。

 やはり素っ気ない返事だったが、心なしか声音が柔らかくなった気がした。


 気のせい、だよな?


 そうしていよいよ、お茶会の日が訪れようとしていた……。


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