二回目の吸血は意外とやさしめ?



 美人メイドさんに壁ドンされた。

 これだけならある種の夢のシチュエーションだろうが、生憎と現実はそんな優しい状況じゃない。


「き、吸血って、昨日したばかりですよね!?」


 三日おきで行うはずの吸血を要求され、咄嗟に緋月さんへ聞き返す。

 そもそも彼女は俺の血を吸うのは否定的だったのに、インターバルを無視して決行してくるなんて明らかに変だ。


 困惑を隠せない俺とは反対に、緋月さんは冷たい目を浮かべたまま頷く。


「えぇ。ですが辻園さんの体調次第では厳守する必要はありません。それに……あなたの浅ましい勘違いを正すには、吸血をして私との違いを見せつける方が早いですから」

「勘違いって──」

「人間と吸血鬼という、決して越えられない種族の違いです」


 そう言い切った緋月さんの表情には、どこか自嘲するような諦観が垣間見える。

 一番気にしている自分に対して、自己暗示のために敢えて言葉にした感じだ。


 どうしてそんな行動に出たのかは分からない。

 分かるのは俺が彼女の地雷を踏み抜いたことと、このまま吸血が始まることだけだ。 

 昨日の激痛に苛まれた時間が頭を過り、まだ吸われていないのに全身から血の気が引いていく感覚が走る。


「お、落ち着いてくれ緋月さん。どうせ吸血するならせめて仕事が終わってからにしません?」

「事が済めば私が片付けますし、いちいちエサのあなたが指図しないで下さい。がら空きの頸動脈を裂いて、血の噴水を浴びながら吸血しても構わないんですよ?」

「発想と絵面が猟奇的だな!? お、お願いだから普通に吸血してくれませんか?」

「最初からそのつもりですのでご安心を。では失礼します」

「いだだだだだだ!!?」


 不意打ちで噛み付かれた手首から凄まじい激痛が走った。

 麻酔無しで虫歯治療を進めたような痛みを前に、二度目と言えど耐えられるはずもなく悶絶する。

 残念ながら昨日の今日で、緋月さんの吸血テクは成長していない。


 逃げたいのは山々だが人間と吸血鬼の膂力差は圧倒的で、女子相手にも関わらずビクともしなかった。

 むしろ抵抗させないように足を絡めて来る始末で、見てくれだけで言えば美少女と密着している嬉しい状況だが、強烈な苦痛を伴うせいで扇情的な気持ちは一切湧かない。


「ぷはっ……」


 だが始まって五分も経たない内に、緋月さんは何故か吸血を中断した。


「痛いですよね? これでもまだ私が優しいなんて思えますか?」

「い、痛いけど……緋月さんなら練習を重ねたら上手くなると思う……」

「っまだそんな余裕が……! 辻園さんは痛くされて喜ぶ変態なんでしょうか?」

「なんか変な誤解してない!? 俺にそんな趣味は──あだだだだだ! だからいきなり噛むなって!!?」


 あらぬ誤解を訂正するより先に、緋月さんが再び俺の手首に牙を刺す。


 痛すぎて涙出てきた……。

 ってかさっきまでいかにもシリアス入りますって空気感だったのに、吸血されると痛いってだけで台無しになることってある?

 俺が我慢すれば良いだけかもしれないけど、緋月さんが上達しない限り絶対無理だって。

 すぐに上手くならないならせめて麻酔をくれ麻酔を!


 歯を食いしばって激痛を堪えながら心の中でそう懇願する。

 当然、吸血に集中している緋月さんに届くはずもなく、無情にも手首から尋常じゃない痛みは続くばかりだ。


 こうなったら他の考え事をして、少しでも意識を逸らすしかない。


 チラリと吸血中の緋月さんの顔を見やる。

 美少女が目を閉じて手首に齧り付く様子は、密着度も合わさって無性に情欲を煽られそうだ。

 時々挟まれる息継ぎは色っぽく、むしろ暖かい吐息が手に触れるせいでこちらの理性をゴリゴリに削って来る。

 彼女にそんな意図は微塵もないと理解していても、男心故に否応なく意識してしまう。


 ……ってなんか変な方に逸れていってない!?


 あまり良くない方向に向かい掛けていた思考を慌てて戻す。

 一瞬だけ痛みが和らいだ気がしたけど、あのまま行くと確実に痛いだけじゃ済まなくなっていた。


「ぃ、つぅ~……!」


 そうして逸れた意識を戻したせいで、思い出したかのように手首から脳へ激痛が訴えられる。

 だからといって吸血は継続中であるため、振り払えるはずもなく黙って耐えるしなかった。


「は、ふぅ……」


 やがて満足したらしい緋月さんは手首から顔を離してから数歩下がった。

 串刺しの刑から解放されたような安心感と、吸血されたことによる疲労感がドッと押し寄せてくる。


 やっぱ二日連続はキツかった……。

 まだ仕事を覚えなきゃいけないのにしんどい……。


「──すみません。カッとなって勤務中なのに、辻園さんに負担を強いてしまいました」

「え?」 


 ふらつきそうな身体を壁についた手で支えていると、恭しく頭を下げた緋月さんから謝罪された。

 カッとさせた俺なのにどうして彼女が謝るんだろうか?

 予想外のことに思わず茫然としてしまうが、すぐに頭を働かせて口を開く。


「い、いや怒らせた俺が悪いし、元々血を吸わせるためにお嬢に買って貰えたんだから文句なんてないっすよ」

「……許して頂けて何よりです。ですが少なくとも、私はあなたが思うような性格ではありません」

「ん~それはまだ分かんないでしょ? だって俺は緋月さんのこと全然知らないですし。これから知っていけば良いだけの話じゃないですか」

「……」


 尚も自分は優しくないと言う彼女にそう返した。

 学校で見た限りでは緋月さんはクールで周囲とあまり関わらない高嶺の花で、今だって人間不信なことと少し毒舌という僅かな一面しか知らない。

 こうして同じ職場で働くことにならなかったら、特に知ろうとしないまま過ごしていたとすら思う。


 けれども俺は何の偶然か彼女から仕事を教わっている。

 だったら知らないよりは知っておく方が良いに決まっているだろう。


 そんな思いから発した言葉に、緋月さんは紅の目を丸くして呆けた。


 何を感じているのは気になるけど、そろそろ仕事に戻った方が良いだろうと俺はまだ拭いていない壺の方へ歩みを進める。


「っうぇ、あ……れ?」


 が、一歩進んだ瞬間、立ち眩みから視界がぐるりと反転した。

 踏ん張ろうにも足に力が入らなくて、身体は無防備にも床へ倒れていってしまう。


 あ、これはヤバいヤツだ。

 そう思っても手足がピクリとも動かない中、不意に倒れそうだった身体が止まった。

 いや、止まったんじゃなくて支えられたみたいだ。


 霞む視界には深刻な表情で俺を見つめる緋月さんの顔が映った。

 慌てた様子で何かを言っているが、どうしてか全く聞き取れない。


 ただ薄れていく意識の中で理解できたのは、やっぱり彼女は優しい人なんだということだけだった。

 


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