リリスって呼んでいいよぉ~、いっくん♡




 パパとママは私──咲葉リリスにとって理想の夫婦だ。 


 結婚して十八年目でも挨拶代わりに愛してるって言い合ってるし、なんなら私が居てもお構いなしにキスをするくらい。

 流石に高校生にもなった今だと恥ずかしいなって思うけど、いつか私も二人みたいにお互いを想い合える人と結婚したいと思ってる。


 地球に来たばかりで道に迷っていたママを助けてくれたのがパパだった。

 当時は地球人と異世界人での結婚ブームだった中でも、人間とサキュバスっていう組み合わせは珍しかったらしい。

 そんな二人の間に生まれた私は、地球生まれ地球育ちのサキュバスなのだ。


 まぁ何もかも平穏だったワケじゃないけれどね。

 サキュバスは生きていく上で異性の精気が必要だから、パパはそのために飼い慣らされたとか邪推や勘繰りが多かったってママは言ってた。


 なんでそんな酷いことを言うんだろうって小さい頃は理解出来なかったっけ。

 分かるようになったのは私が中学生になった時だ。


『サキュバスってエッチなことするんだよね?』

『もう何回したの?』

『サキュバスは精気が要るんだろ? なら俺が相手になろうか?』

『男なら誰でも良いなら僕でいいじゃん!』


 思春期を経て性に興味を持ち始めた色んな人達から、サキュバスという色眼鏡を通して見られることが増えていった。

 サキュバスだから、サキュバスなのに、サキュバスのくせに、サキュバスらしくない……うんざりするくらいたくさん言われたなぁ。

 誰も私自身のことを見てくれなくて、断ったら逆ギレされた回数なんて数え切れないくらいだ。


 エッチなことへの忌避感はなくても、自分を人扱いしない人に対する嫌悪感は着実に募っていった。


 極めつけは自分自身の身体。


 子供のサキュバスは母親から精気を分けて貰ってるんだけど、初潮を迎えたら自分で精気を確保していかないといけない決まりになっている。

 けれども私は自分の憧れのために処女のままでいた。

 その結果、お腹が空いて喉が渇いたような飢餓感で死にそうな目に遭ってしまった。


 あの時の苦しみは一生忘れられない。

 ただ飢餓感に苛まれるだけじゃなく、精気を求めるあまり身体が疼いてエッチな気分になってしまうのだ。

 生命力を保つために精気が必要な関係上、本能から最も効率的に精気を得ようとするためなんだとか。


 そのままだとやがて理性を失って目についた異性を襲って、最悪の場合は殺してしまうと聴かされても私は憧れを捨てられなかった。

 でもママから分けて貰ってる精気だけじゃ全然足りなくて、かといって血が繋がってるパパから吸精することも出来ない。


 誰かを襲うより先に死んでしまうかもしれない……そんな私のためにパパとママは色んな伝手を頼ってくれた。

 そんな私達一家に手を差し伸べてくれたのがスカーレット公爵家だったのだ。


 公爵様はヴェルゼルド王の親友として、地球の生活で困ってる異世界人を援助する役目を担っているんだって。

 だからこそ精気不足で苦しんでるサキュバスも支援対象なのだ。

 献血ならぬ献精けんせいのおかげで一命は取り留めたけれど、やっぱり吸精させてくれる異性は必要だと言われてしまった。


 その仲介をしてくれる代わりに、公爵家でアルバイトのメイドとして働くことになったのである。

 これ以上パパとママに迷惑を掛けたくなかったし、自分でもどうにかしないといけないと思い至ったから都合が良かった。


 そうして始めたアルバイトはとっても充実している。

 エリナ様は優しいし、同い年の先輩であるサクちゃんの指導も凄く分かりやすかった。

 ジャジムさんの賄いも絶品で、吸精問題が解決してからも続けたいと思える程だ。


 一方バイトの傍らで仲介された人達にママから教わった、エッチしない方法での吸精を実践していったんだけど……こっちの結果は散々だった。

 私が失敗したんじゃなくて、上手すぎて相手の方から我慢出来そうにないと辞退されてしまったのである。

 皮肉なことに私はサキュバスとしてこの上ない天才らしい。

 信じたくなかったけど、辞退者が三十人目に達した頃にはイヤでも認めざるを得なかった。


 今はまだ辞められるだけで済んでるけど、いずれ我慢出来ずに襲い出してしまうかもしれない。

 私がやり過ぎたせいでそうなったら、せっかく仲介してくれてる公爵様やエリナ様に申し訳なかった。


 だからといって安易に募集も掛けられない。

 私もサクちゃんも自分の容姿が優れている自覚はある。

 仲介されてきた人と違って、下心で近付いてるのが目に見えていたから警戒してしまう。

 けれどもこのままじゃ良くないのも分かってる。


 そんな時だ。

 吸血に問題を抱えているサクちゃんと私の吸精のために、エリナ様が奴隷を買うと宣言したのは。


 確かに魔法紋で命令させられる奴隷なら、私達を襲うことは決してない。


 けどスカーレット公爵家に向けられる数々の称賛の中には、奴隷を持っていない異世界貴族というモノがある。

 その看板に泥を塗りかねない行為に、私より動揺していたサクちゃんが必死にエリナ様を説得していた。

 でもエリナ様の決意は固かったから渋々受け入れるしかなかったけどねぇ。


 というわけで連れて来られた奴隷がまさか辻園くんだとは思わなかった。

 黒髪黒目の大人しそうな顔立ちで細身な、放課後になるとすぐにバイトに行ってたクラスメイトが奴隷になっていたなんて、顔には出さなかったけどとっても驚いたっけ。


 エリナ様は本来の経緯いきさつを隠して、それっぽい事情をでっち上げて彼へ語る。

 吸精と吸血が上手くいかなくて困ってるのは本当だから、私とサクちゃんも嘘を付いていない。


 辻園くんとはあまり話したことはなかったけど、交流してみたら思いの外付き合いやすい人だった。


 打てば響くというか、反応が面白くてついついからかってしまいたくなる。

 ムッツリさんで童貞だけど、年頃の男子よりどこか大人びているのが好ましい。

 バイト歴が長い分、社会経験を積んでるからかな?


 異世界で冒険者をやってたって言われてビックリしたけど、バイト感覚で言えちゃうくらいにはベテランなんだと思う。

 だったら引退した冒険者なんて相手にもならないよね。


「サキュバスだから普通の恋をしちゃダメならぁ、リリはサキュバスじゃない方が良かったのかなぁって。思いたくないのに、つい思っちゃうんだぁ……」


 そんな辻園くんに助けられて安心しちゃったからか、ついポロッと溜まってた悩みを言ってしまった。

 別に答えを求めたワケでも、慰めを期待したワケでもない。

 ただ聴いて欲しかっただけ。


 自分勝手でゴメンねって内心で謝っていた時だった。


「咲葉さんがそうありたいって思うなら何も間違ってないだろ」

「え?」


 辻園くんは私に対する偏見に怒ってくれた。

 私はサキュバス以前に人間と変わらない心を持ってる女の子だって。

 そんな簡単なことも分からない奴らなんか無視した方が良いに決まってるって。


 パパとママもエリナ様も私を心配して励ましてくれてたけど、こうやって怒ってくれた人は初めてだった。

 とってもビックリしたけど、それがなんだかとっても嬉しく思える。


 怒ってるのは彼も過去に偏見で傷付いたことがあったからだ。

 その理不尽な話を聞いて、自分の悩みなんかどうでも良くなるくらいにムカついちゃった。

 バイトをいっぱい頑張ってる辻園くんが、人のお金を盗むワケないのにって。


 話すようになって三日しか経ってない私でもそう思える人なのに。


 それでも彼は周りの偏見に負けずに真っ直ぐな目で言う。


「偏見なんて勝手なイメージで悩む必要なんてないんだよ。咲葉さん自身が選んだことなら、それがサキュバスらしくなくたって全然良い。少なくとも俺はそう思ってる」

「辻園くん……」


 そう言われた瞬間、今まで悩んでいたことがちっぽけに感じた。

 心のモヤが晴れていくような清々しさがとても心地良い。

 押し付けられた印象と違うって言われても、わざわざ私が辟易する必要はどこにもなかったんだ。


 ずっとのし掛かっていた重荷を降ろしてくれるなんて思いもしなかった。

 内心で感動していると、辻園くんは手で顔を覆ってそわそわし出す。


 どうしたのって聞くより先に彼が告げた。


「ゴメン、好き勝手言い過ぎた……」


 少し震えていた声での謝罪に、私は遅れて恥ずかしがっているのだと悟る。

 察した瞬間、堪らず笑みを零してしまう。


 どうしよう……辻園くんが可愛くて仕方がない。

 胸の奥がキュンキュンして、今すぐにでも頭を撫でてもっと照れさせたいって思っちゃう。

 けれど焦る必要は無い。


 昂ぶる気持ちを抑えつつ、ひとまずお礼だけは言っておこうと彼に呼び掛ける。 


「童貞臭いし最後は締まらなかったけどぉ……ありがと、嬉しいよぉ」

「……素直に受け取ってくれたらこっちも喜べたんだけどなぁ~」


 辻園くんは肩透かしを食らったようにガクリと項垂れる。

 受け取ったからこそ、素直に言えないんだよねぇ~。

 そんな様子も可愛いと思いつつ、私はもう一回彼の名前を呼ぶ。


「ねぇ辻園くん。今日は吸精させてくれるんだよね?」

「っ、そう……だな」


 あはっ。

 吸精って言われた途端に身体を硬くしちゃってる。

 口元がニヤけそうになるのを堪えながら続けた。


「助けてくれたお礼に今日はたっぷりサービスしてあげるね、♡」

「お、お手柔らかに──って、いっくん?」


 あだ名で呼ばれると思ってなかったからか、いっくんは目を丸くして驚いていた。


「うん~。せっかく仲良くなったのに苗字呼びは固いでしょぉ~? いっくんもリリのことはリリスって呼んで良いからねぇ~」

「え、あ、わ、分かったよ──リリス」

「! えへへ~」


 いっくんと一歩仲良くなれたことに、嬉しくて笑みを抑えきれない。


 そうして三日ぶりの吸精のために、私といっくんは一緒に屋敷まで歩みを進めた。

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