童貞の匂いには良いのと臭いのがあるらしい



 貧血で倒れてから二日が経った。

 昨日の放課後に復帰したが緋月さんから始業前に謝罪されたっきり、仕事の話以外は一切の会話がなかった。

 俺からそれとなく話し掛けても、強引に仕事へ結びつける徹底ぶりだ。


 学校でも緋月さんと話す機会は無いし、なんなら屋敷以上に顔を合わせないので尚のこと会話が起きない。

 そもそもクラスメイトの前で声を掛けようものなら、ただでさえ咲葉さん関係で目立ってる現状がさらに悪化してしまうだろう。

 高嶺の花は眺めるに限るとつくづく思い知らされる。


 それだけ気まずくてもガン無視しない辺り、確かに彼女はお人好しなのかもしれない。

 もっと温かい場面で実感したかった……。


 そんなこんなで何も改善しないまま放課後を迎えた。

 週末なので明日と明後日は学校が休みだ。

 この土日でどうにかギクシャクする前の状態に戻れたら良いんだけどなぁ……。


 今日も今日とて嫉妬に狂う男子達の目を避けるため、裏門から出ようと駐輪場を通り抜けた直後だった。


「え、マジ? それじゃリリスはアイツとヤったワケじゃないってこと?」

「そうですよぉ~」


 知らない声に返事をした聞き覚えしか無い咲葉さんの声が聞こえた。


 驚きのあまり咄嗟に駐輪場に停められていた自転車の影に身を隠す。

 一度隠れた手前なんとなく出辛い気持ちのままそっと状況を見やれば、そこには確かに桃色の髪を揺らす咲葉さんの後ろ姿が見えた。

 幸い、俺の存在には気付いていないらしい。


 そしてもう一方はというと黒い巻き角と先端がハート型の尻尾を生やし、これ見よがしに胸元と太ももを曝け出す二人組の女子が居た。

 なるほど、どうやら咲葉さんの話し相手である彼女達は同じサキュバスみたいだ。 

 敬語で話してるってことは、向こうの二人は先輩らしい。


 先輩である二人は椅子の代わりなのか、上半身裸で四つん這いになった男の背中に座っている。

 女子とはいえ二人分の体重を容易に支えられている辺り、よく躾けられていることが窺えた。

 一つでも歯車を掛け違えていれば俺もあんな風になっていたかと思うと、また一つお嬢への感謝の念が積み重なりそうだ。


 しかしひっでぇ絵面だなぁ……。

 無性にツッコミたくなる気持ちを抑えていると、片方のサキュバスが何やら重たいため息をついた。 


「ハァ……リリスさぁ、いつまでも処女のままでサキュバスとして恥ずかしくないワケ?」

「ウチの高校で処女なのリリスだけだよ?」

「ん~先輩達の気持ちはありがたいですけど、初めては好きな人としたいのでぇ~」


 さすがサキュバス、持ってる辞書にオブラートという概念はないらしい。

 聞き耳立ててるこっちの方が動揺してしまいそうだ。


 そんな中で咲葉さんはというと、意外にも乙女チックな返答を口にしていた。

 ドSな攻め方をする割に貞操観念はまともとか、ギャップが凄まじいな。


「ウチらサキュバスは精気搾取出来ないと生きていけないんだから、いい加減そんな子供っぽい夢は止めてよ」

「経験人数ゼロとか、ぶっちゃけダサいし恥曝しだよね」

「男なんてちょっと誘えばすぐに合意させられるでしょ?」

「そうじゃなきゃサキュバス失格だし」


 なんてことを悠長に考えていたら、何やら剣呑な空気が漂い始めた。

 先輩達には咲葉さんの価値観が理解出来ないような反応を見せる。

 人間の俺からすれば良いように聞こえるが、性に奔放なサキュバスからすると非常識なことなのかもしれない。 


「同胞が舐められてるとウチらもバカにされるって思わないわけぇ?」

「つーかなんで処女のアンタが私らよりモテるの? マジでありえない」

「り、リリに言われてもぉ~……」


 その証拠というべきなのか、苛立ちを隠さなくなった二人は咲葉さんを責め立て始めた。

 おいおい、これもうサキュバスの沽券を盾にして彼女を詰ってるだけじゃねぇか。


 種族柄とそぐわない価値観があるってだけで排他的になるのは、人間と変わらないなんて皮肉にしては笑えないな。

 その対象がちゃんと接してまだ二日も経っていない咲葉さんであっても、見ていて不愉快極まりない。


「サキュバスとして自信が無いならウチらのペットを貸したげよっかぁ。ほら、立ってリリスの相手してあげなさいよ」

「キャハハ! 良かったね~ポチ!」

「ブヒ……」


 まるで名案だという風に、先輩達は座っていた男の背から降りて命令する。

 男は逆らう素振りを見せずにのっそりと立ち上がった。


「え、えと、リリは──」

「コラ逃げんなっての。一回でもヤれば後は楽チンだから」

「いい、ポチ? ちゃぁんと優しくするんだよぉ?」

「ブヒッヒ」


 了承もしていないのに勝手に決められた咲葉さんは、困惑を隠せないまま先輩に手を掴まれて逃げられない。

 明らかにピンチなのは分かってる。

 分かってるんだけど…………名前がポチなのに鳴き声はブタなのが気になって仕方がない。

 えぇい、要らんこと気にすんな!!


 どうでもいい疑問を振り払って、俺は自転車の影に隠れるのを止めて立ち上がった。

 わざと足音を立てながら咲葉さん達の方へ近付くと、程なく三人揃って俺の存在を認識する。


 ……ポチを入れて四人だろって?

 アレは人としてカウントしてはいけない気がする。


 ともかく俺が現れたことに、咲葉さんは驚きから紫の瞳がこれでもかと見開かれていた。

 大方、どうしてここにって思っているんだろうか?

 説明しようにも偶然としか言い様ないが、今はそんなことを話す場合じゃない。


「咲葉さん、こんな所にいたんだな。早く帰らないと仕事に遅れるぞ~」

「え、えっと……」


 さも今来たばかりを装い、敢えて空気を読まない言葉を投げ掛けた。

 状況が呑み込めないらしい彼女は言葉に詰まる。

 でも不安げな表情にはどこか安堵が滲んでいた。


 一方で唐突に割って入ってきた俺の態度が気に食わないのか、先輩達からキッと射殺さんばかりに睨まれる。


「ちょっとアンタ。今盛り上がってるとこなんだから邪魔しないでよ」

「それともリリスの前だからってカッコつけてんの? ッハ、そんなくっせぇ童貞の匂い垂れ流してる時点で台無しなんですけど?」

「ワンチャン狙いってこと? キッモ~」

「は、ははは……」


 思っていたよりもエッジの効いた罵詈雑言に苦笑いするしかない。


 何もそこまで言わなくても良くないですか?

 当然のように人の貞操を察知されるのはまだ良いとして、童貞の匂いが垂れ流しってどういうことなんだよ。

 しかも臭いって言われるレベルとか普通に傷付くし、逆にどうしたら良い匂いになるのか知りたい。


「ブップヒッ、カッコつけといて童貞とかw」

「テメェ何笑ってんだよ」


 噴き出したポチに思わずキレかかる。


 みっともないと思うことなかれ。

 サキュバスからならまだ流せるけど、野郎から童貞で笑われたらキレるに決まってんだろ。


 とりあえず一発ぶん殴ろう。

 そうして右手に握り拳を作ろうとするが……。


「おいポチ! 勝手に人の言葉話してんじゃねぇよ!!」

「この前も話してたよねぇ? もう一週間『待て』を増やして欲しいのかな~?」

「ぶ、ブヒッ! ブヒィーーッ!!」 


 先輩達に叱られたポチは目に見えて怯えた表情を浮かべた。

 特に『待て』を増やすと言われた途端、今にも泣きそうになったのが更に悲哀を感じさせられる。


 え、こっっっわ何コレぇ……?


 アイツ、人前ではブタの鳴き声でしか話せないのか?

 終始ポチ呼びってことは、アレはもう人としての尊厳を悉く奪われてるのに等しいのかもしれない。

 もし俺を買ったのがお嬢じゃなかったら、あんな未来もあったかと思うとゾッとする。


 また一つ、お嬢への忠誠ポイントが積み上がった。


 そんなお嬢を悲しませないためにも咲葉さんを助けないと。


「ダメだよぉ~、辻園くん!」

「大丈夫だ咲葉さん。すぐに終わらせる」

「辻園くん……!」


 そう改めて決意した俺に咲葉さんが悲痛な声で制止する。

 俺の身を案じているんだろうか?

 だとしても心配は要らないと返す。


 それでも咲葉さんは不安げな面持ちのまま……。




「──エサより格上のペットに喧嘩売っちゃダメだよぉ!」

「俺アレより立場下なの!!?」


 物凄い勢いで助けたくなくなる制止の理由に、俺は奴隷として売られた時以上のショックを隠せなかった。


 庇った相手に背中から刺されるなんてことある?

 せめて助けられる間くらいは味方であってくれよ。

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