第39話:惨劇の範囲

 ―――話はリリが屋上から跳躍した10分程度前に巻き戻る。



(…今のところ、天野におかしな点はないわね)



 中学校の裏手に停まる白いセダン、その運転席にはリリが何を隠しているのか暴こうと公安の名瀬がリリの居る教室を見張っていた。登下校時もリリから距離を取り、観察していたが行動には不審な点は見られずにズルズルと授業まで外から見張るハメになっていた。



(校舎の中に入るわけにもいかないし、どうしようかしら)



 名瀬はハンドルに身を預けながら、空を見る。空には真っ黒で厚い雲が掛かり、今にも荒れそうな天気模様であった。そんな空を眺めながら名瀬は氷室に定時連絡をしようと携帯を取ったときに、校舎の壁に張り付く真っ黒な人型を見て絶句する。



「なんなの、あれ」



 窓ガラスが割れる音、子供たちの叫び声が一気に上がる。名瀬には何が起きているかわからなかったが、腰の拳銃を手に取ると氷室に電話を掛けながら車外へと飛び出す。



 1コール、2コール、3コール。

たかだが数秒の待ち時間であったが、名瀬にとっては永遠にも感じられる時間であった。そして4コールに入る直前で氷室が電話へと出る。



「氷室さん、大変です! 天野の中学校が例のテロリストに襲撃されました!」



「名瀬さん! そこから離れてください!」



 電話口から聞こえる氷室の声は、今まで名瀬が一度も聞いたことがないほど慌てていた。名瀬は拳銃で真っ黒な人型、戦闘員シャドウに狙いをつけながら氷室の意図が掴めずに反論する。



「子供が襲われているんですよっ!?」



「知ってますよ! …市内の中学校8箇所、高校3箇所、小学校1箇所から通報がありましたから! "真っ黒な人間に襲われました"と!」



「えっ?」



「まずはそこから離れてください! 貴女まで巻き込まれてしまいます!」


 名瀬は理解が追いつかない。

だが目の前で起きている光景は"壁に張り付いた真っ黒な人がガラスをぶち破って校内から生徒を拉致してる"ものであった。名瀬は自身を必死に止めようとする氷室からの電話を切ると、地面へと降りてきた戦闘員シャドウへと拳銃を向ける。



「その子供たちを地面に下ろして、膝をつけ! 今すぐ!」



 戦闘員シャドウは立ち止まってゆらゆらと上半身を揺らしていたが、傍に抱えた生徒を地面へと投げ捨てる。そして名瀬の静止を意に介さずにしゃがみ込むと、一気に名瀬へと飛び込んでくる。



「え」


 あまりの速さに発砲をすることすら出来なかった。

名瀬は戦闘員シャドウにこめかみを殴られて地面へと崩れ落ちる。ぐるぐると目が回り、立つことすらできない。そして名瀬の横を生徒を抱えた戦闘員シャドウが悠々と歩いて行く。




(…失敗、した)



 名瀬なせは朦朧とする意識でぼんやりと考える。戦闘員シャドウの1人が戻ってくると、名瀬を抱きかかえて運ぶ。そしてマンホールの中へと連れて行かれ、ゆっくりとマンホールの蓋が閉められるのを見ながら真っ暗な下水道へと降りていく。



(氷室、さん…)



灯りの差さない真っ暗闇で、名瀬は信頼できる上司の名前をポツリと頭に浮かべるのだった。





 

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