第42話 42 勇者と人狼

 夏休みも終わり、秋の始まりの肌寒さはまだ感じさせない始業式の朝。

 ローランは一ヶ月以上振りに温室へと足を運んだ。


 勿論、温室の手入れは待機していた教員の手によって卒なく世話されていて、中庭から見えるその花園は秋に向けて少しずつ花びらが顔を見せようとしていた。


 しかし、温室に一歩足を足を踏み入れると、相変わらずの湿度の高さであった。

 久々の蒸し暑さに懐かしさも感じる。


 流石の二学期初日から温室へ直行するお嬢様はいなかったようで、中のカフェテリアは閑散としている。

 ただ、ローランが思っていた通り、一人だけ、いつもの場所で読書に励む彼女を見つける。


 ルーガルー族らしい紺鼠色の髪が朝日を浴びて明るく煌めく。

 金色の双眸は柔らかく、その本を見つめている。


「おはよう、ルナ」

「おはよう」


 ルナとは夏休み、ルームメイトぐるみでよく遊んだ。

 そのため、久しぶりという感覚は一切感じられなかった。


 ルナは本から目を離した、ローランを見つめて挨拶を返す。

 にこりと破顔する様子は親しみを感じさせる。


「何を読んでいるんだ?」

「ん?え?あぁ、東国の詩集だよ。市場で見つけたんだ」

「へぇ!珍しいな、どんな内容が書かれているんだ?」


 ローランは本を覗き込む。眉を顰めながらその内容を読む。


「かくとだにえやに……。これ何?」

「百人一首っていうんだけどね、意味がわかると面白いんだよ」

「どんな意味?」


 ローランはチラリとルナの顔を見る。

 すると、きょとんと目を丸くしていて、ローランは何故そんな顔をしているか分からなかった。

 因みに、ローランが読んだところは、好きな気持ちは強くあるが、打ち明けることができないという内容だったため、ルナはとてつも無く恥ずかしい気持ちに襲われていた。


「この話はやめよう」


 ルナの目がローランから明後日の方向へ逃げ、見つめる対象を失った視線はゆらゆらと彷徨っている。

 本はぱたりと閉じられ、ローランはあっと声を出す。


「なんか、無理矢理話逸らしてない?」

「逸らしてないよ。今ちょうど話に飽きたところなんだ」


 ルナには珍しい、ローランにもわかる嘘であった。

 ローランは目を眇める。

 無理矢理本を奪ってしまっても良いのだが、内容的に意味は分からないし、強行に出て本を傷つけても申し訳ない。


「そ、そうだ。今日からだろう、たしか」

「ん、あぁ。もう、職員室に行っていたな」


 ルナは知っていた。

 今日から魔王が学生にジョブチェンジすることを。

 魔王は朝の支度を整えるとそそくさと部屋を出ていった。

 どうにも、セシル先生から早めに来るように言われているようであった。


「召喚獣が学生になるとは前代未聞だから、楽しみだな」


 ローランはまるで楽しみに思えなかった。

 召喚獣が学生になるというよりも、魔王がいたいけな学生を扇動して暴動を起こさないか。

 まぁ、出会ってからの素行を見る限りは考えにくいが、前世が前世だから。


「大人しくはいてくれないだろうな」


 ローランはボソリと呟く。

 ルナはそうだねと肯定する。


「そういえば、生徒会選挙もあるだろう。マオさんが立候補したりして」

「いや、流石に転入してすぐそんな事はないだろ?それに、生徒会長はライラが立候補するんじゃないか?」


 火砲科二年、現生徒会書記のライラ。三年の生徒会長および副会長が卒業した後も生徒会が運営できるように日々学んでいる。


 ローランは生徒会長はライラがなると思っていた。


「ライラは副会長を目指すそうだ。実は副会長の方が業務が多いそうで、今学んでいることはマルクさんの業務らしい。それに、生徒会長ほどの顔は無いとか、謙遜しすぎだと思うけどね」


 ライラも美人に入ると思うが、現生徒会長が帝国のお姫様で、その人形のような容姿と比べてしまうと見劣りしてしまう。

 まぁ、それを言い出したらこの学校で立候補できるのは指折りしかいない事になるが。


「まぁ、生徒会長は就活にも影響するから倍率は高くなるかもね」

「え、そうなのか?じゃあ、俺も立候補」

「ローラン君はそもそも、魔術の勉強を頑張らないと」


 ルナは苦い笑いを見せながら言い、ローランは不服げに抗議する。

 しかし、それは真実であるので強く抗議はできなかった。


「魔導騎士団を目指している人なら必ず通る道だしね」


 ルナの言葉にローランは眉を顰める。

 何処かで聞いた騎士団の名前。そうだ、マーリンが目指している最高の国家公務員。

 つまり、マーリンが生徒会長。

 ローランは堪えられず吹き出し、ルナは不思議そうに首を傾げた。


「ルナは生徒会長にならないのか?」

「私はならないよ。ローラン君がもしなるって言ったら、私が推薦人になるけどね」

「それは、嘘だらけの経歴を並べられそうだな」

「せーかい」


 ルナはふふっと小さく笑って答えた。


「さて、そろそろ時間だね。マオさんにはよろしく言っておいて。よかったら放課後連れてきてもいいよ」

「まぁ、それは魔王次第だが、連れてくるつもりはないよ、……ルナのためにね」


 ここに連れてくると、魔王はまるで農奴の血が騒ぐと言わんが如く、あれこれルナに質問するので、彼女の読書の時間を煩わせてしまう。

 そういった意味で言ったつもりだったが、ルナの顔は真っ赤に染まっていた。

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