第5話

 仄暗い室内に望は足を踏み入れ、開きっぱなしの窓と濡れたベッドを真っ先に注視した。あそこから飛び降りたのかもしれない。望は一直線に窓に向かって歩き、その下にある森中家の庭を見た。

 庭は手入れがあまり行き届いていないのか雑草が自由に生え散らかしていた。望は期待していた証拠を見つけることができず、軽い不満を覚えながら窓を閉めた。


「森中さん。その血痕は?」


 窓を閉めて振り返った先、ドアの入り口付近にまだ新しい血痕を見つけた。その質問に対し、洋平は躊躇うことなく自分の血であること述べる。


「つまり、あなたは森中聡が吸血鬼であることを知っていたわけですね?」


 洋平は望の瞳の奥で再燃している悔恨の炎に気づき、数秒目を閉じた後に望が来るまでの出来事を話し始めた。

 扉を開けたら吸血鬼化していた聡に噛みつかれたこと、聡がどこか罪の意識を持ったまま窓の外へ落ちていったこと、そのあとインターホンが鳴るまでベッドの上でッ絶望していたこと。すべてを簡潔に話し終えた時、望は訝し気な顔をしながらメモ帳に記入していた。


 望はちらりとメモ帳に書かれている過去に調べ上げた出来事を顧みる。そして、ある項目に目が留まった。『吸血鬼は家族を泣きながら喰い殺していた』。その記述を見て望は部屋を見渡す。部屋中の引き出しを開け、タンス、本棚の奥、何かを隠せそうなスペースがある場所を徹底的に開け放ち、何か物が出てこないか漁った。


「ない、ない、ない!」


 吸血鬼の生態は未だにわかっていないことが多い。どのような理由から人を喰い殺す化け物になったのかは勿論、食性や知能レベル、その他諸々に関してもだ。しかし、そう言った不明な点の多い彼らにもいくつかの共通点がある。そのうちのひとつが、家族は皆、捕食の対象であるという点だ。

 けれども、森中家は誰も殺されていない。襲われたのは森中聡の吸血鬼化に気づいた洋平だけ。それも喰われたというよりも噛みつかれただけだ。


「長年吸血鬼でいることで人を喰わなくなったのか?」


 自分の推論を望は口にする。やはり聡は吸血鬼の特殊な個体なんだ。望は今までの自分の仮説が証明された気がして思わず笑みをこぼした。

 笑みをその顔に貼り付けたまま、望は入り口付近にあったパソコンデスクもついでとばかりに引き開けようとする。その望の視界に、電源の入ったままのパソコンの画面一面に打たれた文字列がなだれ込んできた。


「これは、なんだ?」

「聡の、パソコンです。書かれている内容はよくわからないので、おそらく正気を保つための一つの手法なんだと思っています」


 不規則に平仮名とローマ字が並ぶその画面は、幼稚園児にキーボードを入力させたのかと錯覚してしまうような絵面だった。大した情報は得らないと判断し、望は目を離そうとするが、一瞬映った画面下の文字数に、望は目を見張った。そこには一万を超える文字数が打たれていることが示されていたのだ。

 すぐに望はマウスを手に持ち、画面を上にスクロールさせていく。不規則だった文字列に規則性が生まれ。ローマ字が消え、平仮名が連続し、そこに打たれた文字がはっきりとしてくる。


『ごめん』


 パソコンに打たれた文字はその三文字が連続していた。何に対してのごめんなんだ。望はさらに上にスクロールしていく。


『生きていて、ごめんなさい』

『親不孝でごめんなさい』

『食事を用意してもらっているのに手を付けないでごめんなさい』

『学校に行かなくてごめんなさい』

『連絡返せなくてごめん』

『最終学歴中卒になるかもしれない。ごめんなさい』


――――『瞬、俺が、いつものやつをやらなければ、お前は死ななかったのに......。ごめん、ごめん。俺のせいだ。ごめんごめん』


 いつの間にか、望のマウスを動かす手は止まっていた。その手に水滴が落ちる。見れば、望の頬を瞳から溢れ出した涙が大量に伝い落ちていた。望の背後でその画面を見ていた洋平も、歯を食いしばり、肩を震わせていた。


 数分後、望は零れ落ちる涙を拭い、パソコンに打ちこまれた大量の文字群を旧吸血鬼特別対策課の知人へ転送した。


「望君。聡は......あの日の事件に関わってい」

「今日は、もう帰ることにします」


 洋平の言葉を遮り、望は森中家を後にした。身勝手な行動だと自身で理解していても、望はそう行動するしかなかった。静かに降り注ぐ雨の中を望は傘もささずに歩いていった。

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