第4話
「中畑......望」
玄関の黒い扉を開け泣いた跡の残る顔を出してきた男は視線を落とし、顎に手を当て、暫し黙考し、望君か、と望のことを思い出した。覚えていてくれたことに少しばかり嬉しさを感じる望だったが、首を振って感情が表に出ないよう無表情を取り繕う。
「覚えていてくれたのですね、森中洋平さん」
当然だ、という表情で頬をかきながら、洋平の視線が望の手にある警察手帳へと向かっていく。望はそれを察し、一呼吸おいてからこの家に訪問した理由を端的に説明した。森中聡が吸血鬼となったこと、彼を排除したことを隠し、『あの日』のことについて彼から話を聞きたい、と。
「望君、それは無理なんだ」
返ってきた言葉は望の予想通りの言葉だった。洋平が言うには、聡は『あの日』以降家族とも顔を合わせず、何をするでもない無駄な時間を過ごしているらしい。
その言葉を心のメモ帳に深く記録する。森中聡の話をする洋平の視線は、時々二階のある場所へと向けられる。
「今、この場にいないわけではないんですね? お部屋のドア越しにでもお話をさせてください」
望は、少し強引に家の中へ入ろうとする。だが、首を振る洋平に行く手を阻まれてしまう。私的理由で勝手に人の家に上がろうとしないでください、彼はそう言った。
望は一瞬目を伏せ、洋平の言い分がもっともだと冷静に判断する。望は腰を折って急に押し掛けたことを謝罪し、玄関の扉に手をかけた。
「速報です。本日10時30分ごろ、札幌駅近辺にて吸血鬼の目撃情報がありましたが、たった今その吸血鬼の死亡が警察によって報告されました。」
テレビの電源が付いたままだったのか、ニュース速報が流れた。急いでテレビの電源を落としに行こうとする洋平の手を望はつかみ、真剣な表情で、これで業務になったのでお話を聞かせてくださいと言った。観念したように洋平は俯き、小さく手招きをした。望は躊躇なく玄関で一礼し森中家の家内へとあがる。
綺麗に整えられたリビングには、今日の事件をピックアップした画像が流れるテレビ、テーブルの上に乱雑に投げ捨てられた新聞紙、沸かしたてのポット、電源が付いたままのパソコンが出ているだけだった。洋平にうながされるままに望はリビングのテーブルに洋平と向かい合うように座る。
「妻を呼んでくるので少し待っていてください」
暗い表情を見せながら立ち上がり、洋平はリビングを出ていく。その後姿を見て、やはり親子なのだな、と望は思う。目は口程に物を言う、けれども森中家の男は心の奥が背中に漏れ出ていた。
「妻の佐代子です」
数分後、洋平は五十代前半の女性を連れてきた。彼女の顔は蒼白で病気でもしているのではないかと思わせるほどに覇気がなかった。それが何を起因としたものなのか望はおおよそ見当をつけ、その傷を抉るように会話を切り出す。
「中畑望です。本日は森中聡、お二人のお子さんについてお話を伺いに来ました」
その言葉にリビングの空気がより一層張り詰めた。先ほどまで浮かない顔をしていた洋平の顔は体格に見合った威圧感のある精悍な顔つきなっている。しかし、佐代子は小さく首を横に振り、嘘よ......と呟くだけだった。
「単刀直入にお聞きします。聡さんが吸血鬼であったこと、お二人は知っておられましたか」
佐代子と洋平、二人の表情が強張る。その反応を見た瞬間、望は警察官であるということを忘れ、思いっきりテーブルを叩いた。彼の顔は小さく無邪気な顔で遊んでいた頃からは想像もできないほどに鬼気迫るものだった。
知ってたんだな。その腹の底から唸るように絞り出した声に、二人は気圧される。
「兄さんを殺した吸血鬼は、森中聡だろ」
断定的な声音を帯びて発された言葉に洋平は首を横に振る。その行動に望はさらに噛みつく。テーブルの上に足を乗せ、洋平の胸倉をつかみ、至近距離で睨み合う。
「聡が吸血鬼だったことは言うまでもない事実だ」
洋平の言葉に佐代子が目に涙を浮かべ、テーブルに突っ伏す。
「だが、あいつは瞬君を殺していない。それは断言する」
望は聡が死ぬ直前に瞬を殺したと言ったことを吐く。その言葉に、瞳の奥が一瞬揺れる洋平。しかし、彼は一瞬のうちに動揺を隠しそんなことを聡が言うはずがないと言い放った。彼の背中には、子の尊厳を守ろうとする親としてのプライドがあった。
「本人からの証言だ。嘘でもなんでもない」
積もりに積もった恨みが望の心の奥底で怒りの炎に薪をくべる。望は全力で自身の考えていた仮説を提唱した。森中聡は唯一吸血鬼状態と人間の状態を変えられる特異個体で、瞬を殺した際には吸血鬼、葬式に来た時には人間の姿になっていた。
「残念だが、その仮説は間違いであるとしかいうことができない。聡はあの葬式の後、一度たりとも自分の部屋から出てこなかった。吸血鬼は人の血がなければ生きられないはずだ。聡は葬式の後から一度も人の血を吸っていない。特異個体だと? ふざけるな。君の戯言を発表する場ではないんだ。妄想ではなく、事実を述べてくれ」
その望の仮説を洋平はバッサリと切って捨てた。その言葉に望の顔が歪む。両手に血管が浮かび、眉間に皺が寄る。望の脳は正常な判断ができないほどに妄執に思考が捻じ曲げられ犯人と自白したものを犯人と断定することしかできなくなっていた。
その様子を見て、洋平は席を立った。妻の佐代子が見上げる。それに軽く会釈を返し、洋平は望に提案する。聡の部屋を見に来ないか、と。
望はタイムラグなくうなずき、連れられるままに二階へと向かっていった。
「ここが、聡の部屋です」
ドアが開けられ、眩いブルーライトを放つパソコンが聖域への入場を拒むように光を放ち小さく唸っていた。強烈な光に一瞬怯みながらも望は森中聡のへやに踏み入った。
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