第53話 抜いて抜かれて抜き返されて
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寝不足と体の節々の痛みのせいで、今日の学校生活は最悪だった。
本当であれば速攻でアパートに戻ってベッドに倒れこんで、一眠りしたいところだけど、そういかない、いかせてくれない事情があった。
「次はカンナだね。リーサの新曲
「来たっ、脳内リピート必至の神曲。マラカスいる?」
「うん、よろしく」
ピアノによる落ち着いたトーンのイントロから入り、Aメロで歌い始める柑奈。
その声を聞く限り、アニソン歌手リーサにうまく似せているなと僕は思う。
ちなみに《エレメンタラー》は今季最高と言われる神アニメのテーマソングだ。
そのアニメの原作も元々神マンガ認定されていたので、歌も併せてトリプルゴッドである。
「サビキターっ。Aメロから一転して激しいロック調になるサビキターっ。おい、いっちゃん、しんみりとポテトかじってる場合じゃなくね。柑奈氏のイケボに合わせて一緒に盛り上がらんと」
「あ、ああ、ごめん」
正直、体調はよろしくないが、僕と柑奈の仲直りを記念したカラオケパーティーで場を冷めさせるような態度はNGだろう。
この会を取り持ってくれた信之にも失礼というものだ。
僕は信之からタンバリンを受け取ると、カンナの歌声に合わせて叩き始めた。
その後の三時間、僕は弾けに弾けた。
終わったときには体調不良はどこかに行っていた。
「なあ、この小便したときのブルブルって何? 知ってる、いっちゃん」
「そんなこと僕が知るかよ。あとでググればいいだろ」
僕はチャックを閉めるとトイレを出る。
ロビーに向かうと柑奈がソファに座って、大画面の備え付けテレビを見ていた。
彼女は僕を見つけて手を振る。
傍に行って、あれこの曲って……とテレビに視線を向けるとドリブンガール達が唄っていた。
「これってイッキーの推しメンだよね。ホント、イッキーってこういう可愛らしいのが好きだよねー」
相好を崩す柑奈。
言外の意味などないかのように、それはどこまでも無邪気だった。
外に出ると一雨振ったのか地面が濡れていた。
天気予報では終日晴れだったはずだけど、ゲリラ豪雨でも振ったのかもしれない。
誰も傘を持っていないので助かった。
「なあ、この雨が降ったあとの懐かしい匂い何? 知ってる、いっちゃん」
「そんなこと僕が知るかよ。あとでググればいいだろ」
僕達三人は帰路へと就く。
カラオケパーティーの余韻に浸りアニメやゲームの話をしながら和気あいあいと。
そこには柑奈との喧嘩が発端となった決まずさは一切ない。
僕はそこにほっとしつつ、歩み寄ってくれた柑奈、仲直り会を開いてくれた信之に感謝する。
ならば僕だって行動しなきゃいけないんだと思う。
柑奈や信之が後押ししてくれた僕の気持ちに、自分自身でケジメを付けなければいけないんだと思う。
そうだ、もう迷わない。
T字路で信之だけがが右に折れる。
自転車に乗りながらアニメソングを大声で歌い始めた彼に、傍を通った若い女性二人がくつくつと笑い声を上げていた。
宵闇の中、周囲から聞こえてくる車の走行音とささやかな生活音。
それらを耳にしながら僕は、颯爽とペダルを漕ぐ柑奈の後ろについて走る。
なんとなく思う。
いつだって柑奈が先頭を走っているけど、たまには僕が先導する形だっていいだろうと。
僕は柑奈の前に出る。
「あ」
と柑奈が漏らす。
すると再び彼女が僕の前に来る。
その幼馴染を追い上げて僕はもう一度、先頭に立つ。
と思ったらアイドルコスプレイヤーにまた抜かされた。
「おい、柑奈。何やってんだよ」
「負けないんだかんねっ」
「いや……」
別に競争じゃないんだけど。
と思いつつ、だったら受けてやろうじゃないかと僕は立ち漕ぎを始めて、柑奈を抜き去る。丁度緩やかな傾斜だったこともあり。
「あ、ずる。じゃあカンナも」
と、僕と同じく立ち漕ぎ、及び前傾姿勢で競走馬のように差してくる柑奈。
差し切られてたまるかと僕も同様の姿勢で風を切る。
横並びになる二人。
「ゴールはカエルの公園。いいか?」
「オッケー。負けたらジュース、奢ることっ」
柑奈がギアを上げたかのように加速する。
負けじとエアギアを3速にして猛追する僕。
抜いて抜かれて抜き返されてのデッドヒートが続き、お互いの呼吸が空気を切り裂く。
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