第52話 手紙


 僕のベッドで黄瀬さんが寝息を立てている。

 体を丸めてスヤスヤと。胎児のポジションのように。

 

 黄瀬さんから全てを聞いたあと、彼女から疲れたので少し横になっていいですかと言われ、僕はベッドを貸してあげた。

 比較的綺麗なベッドとはいえ、男である僕のベッドである。

 すぐにでも不快感が生じて止めると思っていたのだけど、まさかの熟睡。

 

 黄瀬さんがベッドに横になってから歯を磨きに行って戻ってきた僕だけど、こんなにも瞬く間に寝落ちするとは思わなかった。

 ベランダ越しの退避に続き、秘めたる過去を僕に話すという行為のあとで、緊張の糸がぷっつりと切れたのだろう。

 

 僕は我に返ったように黄瀬さんの顔から目を逸らす。

 寝ている女の子の顔を熟視するなんて趣味がいいとは言えない。

 

 そういえば三〇五号室から物音が一切聞こえない。

 壁に顔を寄せて十数秒耳を澄ましたけど、やっぱり聞こえなかった。

 どうやらDQN連中はいつの間にか退散したようだ。

 黄瀬さんを探しに行ったのか、あるいは諦めて帰ったのか、どちらにせよ奴らが隣室にいないというだけで気分がいい。

 

 僕は狭苦しい浴室でシャワーを浴びる。

 程よい熱さに疲れが癒されるのを感じながら、黄瀬さんから聞いた話を過らせた。

 

 父親への想い。

 母親との確執。

 オトウサンを求めた自暴自棄。

 シビッカとの出会い。

 自分を救うために生み出したまるちぃ。

《にくきゅーフレンズ》での充実した日々。

 まるちぃがまるちぃでなくなった理由――。


 多分、四十分くらいだったと思う。

 そこまで話す必要なんてないと思いながらも、彼女がそうしたいのであれば止めるべきではないと僕は結局、耳を傾け続けた。

 その結果、僕の中で黄瀬さんとまるちぃは完全に融合した。

 まるちぃはまるちぃ、黄瀬さんは黄瀬さんなどと分けて考えるなど、もはや不可能だったのだ。

 

 あれ? じゃあ、僕……。

 

 シャワーを止めて頭を整理する。数秒で結論がでた。

 僕は黄瀬さんのことが好きなんだ、と。


 僕はそっとリビングに戻る。

 黄瀬さんはシャワーを浴びる前と同じ格好のままだ。

 余計なお世話かと思いつつ、掛布団をその体の上にそっと掛けてあげる。

 

 時計を見れば、時刻は夜の十一時四十二分。

 まさかの突発的な大イベントがあったからとはいえ、かなりいい時間になってしまった。

 睡眠時間八時間を厳守してきた僕は、果たして明日は寝過ごさずに起きれるのだろうか。

 最悪、学校に遅刻するかもしれない。


 学校といえば黄瀬さんだってそうだ。

 制服を着たままだからそのまま行くのだろうか。

 それとも今日は休んで部屋でゆっくりするのだろうか。

 DQNが戻ってくるかもしれないのに?

 登校するとして学校はどこなのだろうか。

 ところで朝は僕と一緒に外に出るのだろうか。

「おはよう、須藤君」と、寝坊しそうな僕を起こしてくれるだろうか。

 そんな思考は怒涛の如く襲ってくる眠気によって、風に吹かれたように掻き消えていった。


 僕は電気を消して床に寝転がる。

 ノンレム睡眠に入ったのはすぐだったような気がする。

 やたらと濃かった一日が終わりを告げる。



 

 スマートフォンのアラーム音が聞こえる。

 僕は寝るときいつも置いている枕元の棚に手を伸ばす。

 でも棚がない。それと体中が痛い。

 そこで僕は気づく。

 ベッドではなく床に寝ていたことを。

 そのベッドには黄瀬さんが寝ていることも。

 

 僕は鮮明でない意識の中、勢いよく上体を起こしてベッドを見る。

 ベッドはもぬけの殻だった。

 トイレにでも行っているのだろうか。

 しかし気配は感じられない。


「黄瀬さん?」


 僕は呼びかけてみる。

 どこからも返事はなかった。

 怪訝に思う僕がふと机に目を向けると、一枚のA6サイズほどの紙が置いてあった。

 

 花柄のかわいらしい便箋。

 丸文字で書かれているそれはどうやら、黄瀬さんから僕に対する手紙のようだった。

 僕は手に取って読んでみる。

 


【須藤君へ。

 昨日は私を助けてくれてありがとうございました。

 ベランダ越しの移動は怖かったけど、

 須藤君がはげましてくれたのでがんばれました。

 あんな状況であんなふうに助けてくれるって、まるでヒーローですね。

 とてもカッコよかったです。

 それと私の話を真剣に聞いてくれたのもありがとうございました。

 誰にも話したことがないけど、話す気もなかったのだけど、どうしても須藤君には聞いてもらいたくて話してしまいました。

 嫌われていなければうれしいな。

 あ、そういえば私、ずっと須藤君って書いてました。

 なので今度から会ったときも須藤君って呼びますね。

 そんな須藤君に私の最後のにゃんメイド姿を見てもらいたいです。

 次の土曜日に《にくきゅーフレンズ》で待ってます。

 ご主人様が推してくれていたまるちぃで待ってます。

 来てくれると嬉しいです。

 それと私のことは心配しないでください。

 仲の良い友達の家に泊まらせてもらうことになったので。

 最後に。

 ベッド借りちゃってごめんなさい。

 寝心地がよくでぐっすり寝ちゃってました】

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