第51話 決意と覚悟
窓が締まる音が聞こえる。
もうほかの誰かがベランダに出てくる気配はない。
僕は止めていた息を吐き出すと、物音を立てないように黄瀬さんと共に部屋の中へ入る。
彼女に黙っているように指でジェスチャーする僕は、ゆっくり窓と鍵、そしてカーテンを閉めた。
これで全ミッションコンプリートである。
「はあぁぁ。良かった、うまくいきました。は、ははは」
僕は制服姿の黄瀬さんに笑いかけながらベッドに腰掛ける。
彼女の制服の胸元には僕のあげたシビッカのピンバッジが付けてあったけど、それに言及するような雰囲気じゃない。
ふと自分を見ると手足が震えている。
ミッション中は黄瀬さんを助けなくてはと終始、気を張っていて大丈夫だったのだけど、終わった瞬間、その張っていた気が全て霧散したようだ。
立っている黄瀬さんにベッドか椅子かに座ってくださいと伝えようとした矢先、
「う、ううぅ……」
彼女は突然、泣き崩れるようにして床に座った。
顔を手で覆い、嗚咽を漏らす黄瀬さん。
溢れる涙が両手の間から滴り落ちて制服のスカートを濡らす。
「き、黄瀬さん!? あの、も、もう大丈夫ですからっ」
僕はふらつく足で黄瀬さんの元へ行く。
肩に両手を置こうとしてでもまずいかなと空中で待機させる。
「……怖かった。本当に怖かったんです」
「そ、そうですよね、あんなやり方でベランダ越しの部屋に行くなんてそりゃ怖いですもんね」
「はい。でもそれ以上に、もし須藤さんが壁を叩いて呼びかけてくれなかったらと思ったら……もしベランダの移動中に諦めていたらと思ったら……本当に怖かった」
バッと顔を上げる黄瀬さん。
涙でぐしゃぐしゃになった彼女の顔が僕に迫る。
え? っと思ったときには、僕は彼女のタックルめいた抱擁を貧弱な胸板で受け止めていた。
尻と両手を床に当て、なんとか倒れずに済んでいる僕。
その間も黄瀬さんは僕の胸に顔をうずめて涙に咽ぶ。
多分、このままでいたほうがいいんだろうなと、僕は黄瀬さんが落ち着くのをずっと待った。
やがて五分ほど経ったのち、泣き止んだ彼女はゆっくりと僕から離れた。
俯いたままの顔にある円らな瞳が左右へと揺動する。
「すいません。あの、なんか、すいません」
抱きついて泣いたことに対してなのだろう。
「いえ、気にしないでください。泣きたいときは思いっきり泣いた方がいいですから」
「でも、服とかもびしょびしょにしちゃって」
確かに僕のTシャツは黄瀬さんの涙でビチョビチョである。
でも不快感は一切ない。
「いいんです、いいんです、どうせ、シャワー浴びるときに脱ぐんですから」
「そう、ですか……。あ、それと、遅くなっちゃいましたけど、助けてくれてありがとうございました」
頬を染めて上目遣いの黄瀬さん。
子犬のようなそれに今度は僕が両目を揺り動かしていた。
「あー、は、はい。その感謝に僕は逆にありがとうございますというか、感激と言いますか――って感激っておかしいですね、はは。あ、あのっ、ちょっとお茶でも入れますね。ベランダからとはいえ、お客様ですからっ」
どんだけテンパってんだよ、お前は。
自分自身に情けなくなる僕は立ち上がってキッチンへ足を向ける。
そこで僕は気づく。お茶なんてないことを。
冷蔵庫を開けるとオレンジジュースがあったのでコップに注ぐ。
「すいません。お茶ないんでオレンジジュースでいいですか」
呼びかけるが反応がない。
僕はオレンジジュースの入ったコップを持ってリビングに戻る。
黄瀬さんは立って横顔をこちらに向けている。
ドリブンガールが全員集合してポーズを取っているポスターが貼ってあるのだけど、それを眺めているようだ。
「あの、オレンジ……」
「……シビッカだけなんですよね」
「え?」
「《DEBURIな逆境えぶりでぃ》はシビッカが自分自身に向けた応援歌なんです。唯一彼女だけなんです。自らに対する曲というのは。それは彼女のプロフィールを知ったうえで歌詞を読めばすぐに分かることなんです。だからなんですよね。私がシビッカを好きになったのは。自分が嫌で、でもそんな自分を救いたくてもう一人のシビッカを作り出して、そのもう一人のシビッカという光が闇に沈んだ本当の自分に手を差し伸べて救う……。そんな彼女のように私も自分自身を救いたかったんです」
「……だから、まるちぃ、なんですか?」
「はい」
黄瀬さんが振り向く。
どこかすっきりとしたような面持ちの彼女。
そこに垣間見える決意と覚悟。
僕はオレンジジュースを机に置くと、言った。
「話してくれますか」
これだけで伝わったのだろう、黄瀬さんはこくりと頷いた。
「全てをお話します。私がまるちぃを生み出した理由を。その経緯を。そして須藤さんを避けていた訳を。例えあなたに嫌われようともシビッカならそうすると思うから――」
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