第49話 迫るリミット


 三人のDQNとの距離が縮まっていく。 

 五メートル、四メートル、三メートル、二メートル……。

 車の横に来ると、三人が同時に振り向く。

 

 見るな。

 強張るな。

 疑念を抱かせるな。

 関わるだけ時間の無駄なオタクだと思わせろ。

 

 一歩、一歩進むたび後方に流れていくDQN。やたらと長く感じた三、四秒ののち、最後の一人のヤンキーが視界から消えた。

 わずかに足がもつれたが、大丈夫、問題はない。

 あとはアパートの中に入ったら全力ダッシュで三〇五号室へ。

 気持ちが逸る僕は思わず早歩きを始める。

 その瞬間。


「おいっ」


 と、DQNが声を上げた。

 びくんと体を微動させる僕は恐る恐る背後に目を向ける。


 ちょっと早歩きしただけなのに、なんで、そんな――。


「お前、ネックレス当たってんだろ。傷付いたらどうすんだよ、バカ」


「す、すんません。マジですんません」


 赤髪のDQNが怒鳴り、後輩らしきDQNが謝罪する。

 絶望の淵から復帰した僕はさっと顔を前に戻してアパートの入口へ再び向かう。

 たどり着くと震える指で暗証番号を押して中へ入り、一度深呼吸をしたのち走り出した。


 そうだ。まるちぃのあの変わりようは、全て赤髪DQNのせいだったのだ。

 先の会話から推測すれば、にゃんメイドの制服を着せられたまるちぃが無理やり赤髪の男に襲われたということになる。

 仮に黄瀬さんがまるちぃを自己の存在証明アイデンティティとして確立しているならば、こんなにも外道で卑劣な行為はない。

 にゃんメイドのご奉仕に支障が出たって不思議ではない。


 僕は一段飛ばしで上階へと昇る。

 二階へ上がったところで踊り場から下を覗くと、DQNがすでにアパートの入口へと来ていた。

 僕がアパートの中に入った時点で奴らはすでに傷の確認を終えていたらしい。

 焦る僕は振り向きざまに上った階段の一段目を踏み外す。

 前方へと倒れる僕は階段の角に強か脛を打つ。


「いっつぅぅぅッ」


 やばい。マジで痛い。


 しかしその苦痛が軽減されるのを待っている時間なんてない。

 僕はびっこを引いたような走り方でなんとか三階へ。

 あとは気力で三〇五号室まで駆けた。

 

 息せき切った状態で、僕は黄瀬さんの部屋のインターホンを三回連続で鳴らす。

 五秒待った。

 部屋に動きはない。


 そりゃそうだ。

 夜の十時近くにインターホンを連打されれば警戒して物音だって立てないだろう。 

 あるいはトイレかシャワーで出れない。

 そもそも寝ていて気づいていないか。


 だめだっ。悪い方に考えるなッ。


 僕は、あるいはから始まる可能性を消去するとノックをしようと拳を握る。

 ノックして黄瀬さんの名を呼べば出てきてくれるかもしれない。

 その可能性だって正直、今日の《にくきゅーフレンズ》での一件、且つ時間的に非常識な来訪を考えれば限りなく低い。でもそれでも僅かでも――


 階段のほうから笑い声が聞こえた。

 DQN三人組だ。

 すぐにでも廊下に現れるだろう。

 見られるわけにはいかない。

 僕はノックを諦めると急いで部屋へと入る。

 ゆっくり扉を閉めて、第三のプランへと即座に以降する。


 僕は窓側へと行くと、自室と黄瀬さんの部屋を遮る壁を思い切り叩く。

 何度も何度も何度も何度も容赦なく、穴が開くんじゃないかと思えるほどに。


「黄瀬さんっ、黄瀬さんっ、いたらベランダに出てくださいっ、黄瀬さんっ、お願いしますっ、ベランダへ出てくださいッ」


 僕は壁に耳を押し付けて反応を確かめる。

 物音が聞こえた。

 すぐそこに黄瀬さんがいる。


「黄瀬さんっ、聞こえていたらベランダへ出てくさいっ、お願いですからベランダへ出てくださいっ お願いしますッ 伝えたいことがあるんですッ!」


 あらんかぎりの声を張り上げる僕は窓に手を掛けると、敢えて乱暴にその窓を開いた。

 サッシが右端のたて枠に当たり、派手な音が鳴る。

 黄瀬さんが同じ場所にいれば今の音も確実に聞こえたはずだ。

 あとはもう黄瀬さんがベランダに出てくることを祈るしかない。

 僕は靴下のままベランダへと飛び出た。 


 頼む、出てきてくれ――ッ!




 突然、壁を叩かれてまどかの心臓が跳ね上がる。


 とても大きな音でそれは何度も続いた。

 さきほどのインターホンにも驚いたが、それ以上に。

 どうやら須藤樹が叩いているようだ。

 ということはインターホンも彼だったのかもしれない。

 呆然とするまどかだったが、引き寄せられるようにベランダ側の音が発生した場所へと移動した。


 三〇六号室から声が聞こえたような気がする。

 それも叫ぶような大きな声。

 まどかは壁に頬を寄せると耳を澄ました。


「黄瀬……んっ、聞こえて……らベラン……へ…………さいっ、お願いで……から…………ンダへ出て……いっ。お願い……ますッ 伝えたい……が……すッ!」


 明らかに須藤樹の声。

 その直後、ベランダの窓を開ける音が響いた。

 かなり思い切り開け放ったようで自分の部屋の窓が開いたと思ったくらいだ。

 まどかは断片的に聞こえた言葉を整えて並べる。


 黄瀬

 聞こえて

 ベランダ

 お願い

 伝えたい


 ――私にベランダで伝えたいことがある……?


 そういうことなのだろうか。

 ついさっき三〇六号室のベランダの窓が空いたが、須藤樹はすでにベランダに出て待っているのだろうか。


 しかし釈然としない。

 須藤樹の人間性を考慮すれば、例えまどかにどうしても伝えたいことがあっても、こんな常識外れで乱暴で自己中心的な方法を使うとは思えない。

 それこそまどかのように手紙という方法を用いそうなのに。

 しかし須藤樹をらしくない行動へと向かわせたのは事実。


 突と湧く、胸騒ぎ。

 先ほどの須藤樹の行動が切実な感情の現れだとして、しかも自分のためではないとするとその対象はもしかして――。


 まどかは窓を開けベランダへと出る。

 同時にインターホンが鳴った。

 振り向くまどかだったが、となりのベランダから呼びかける須藤樹の声が聞こえて、意識にそちらに向いた。

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