第48話 人生最大の分岐点


「……実家に戻ろうかな」

 

 何もかもが面倒さくなりそう独り言ちてしまったところで、僕は公道を大音量で走る一台の車を目にした。

 下品にカスタムされたのを見る限り、間違いなくDQN(ヤンキー)だろう。

 事故って死ねばいいのにと舌打ちしながら僕は《ひだまりハイム》へと歩を進める。

 

 アパートに着いた僕はそのまま部屋に戻ればいいものを、ベランダ側の道路へと出て三〇五号室を見上げる。

 ライトが付いていた。黄瀬さんは部屋にいるらしい。


 私は……私はもう、あなたの知っているまるちぃじゃないから――……。


 まるちぃの言った、あの言葉の意味はなんなのだろうか。

 確かに今日とその前の土曜日のまるちぃは、僕の知っているまるちぃではなかった。

 

 いや、それはいい。分かっている。

 そうではなくて、冷静になってその言葉を反芻すれば、まるちぃの変わりようの原因が僕ではないとしか思えないのだ。

 避けられていることがイコール嫌われている、つまり僕のせいという思考に凝り固まっていたけれど、やはり違うような気がする。

 

 今日、《にくきゅーフレンズ》のドアが閉まる際に見せたまるちぃの悲痛の表情だって、僕が原因なら見せるわけもない。

 流した涙だってそうだ。

 何らかの原因により、いつものまるちぃを僕に見せることができなくなって、それが辛くて申し訳なかったから――というのが正解なのかもしれない。


 いや、それは自惚れが過ぎるってもんだろ。


 僕は自嘲気味に笑うと、ゴミ集積所に足を向ける。

 例の居住の条件の一つをクリアするためだ。

 一週間に一回と言われているので丁度いいかもしれない。

 そのとき、爆音が聞こえて僕は後ろを見向いた。

 

 一台の車。

 それはコンビニから出たときに見かけたDQN仕様であり、その真っ黒いセダンは徐行しながら《ひだまりハイム》の横へと車を止めた。

《ひだまりハイム》に知り合いでもいるのだろうか。

 それはともかく、一体どんな糞DQNが出てくるのかとゴミ集積所の横に隠れて見ていると、運転席から出てきたのは例の赤髪の男だった。


 フラッシュバックする赤髪と黄瀬さんの濃厚なキスシーンが、チクリと胸を刺す。

 助手席、そして後部座席からも二人、男が出てきた。

 どちらも僕の知らない野郎だけど赤髪と一緒に行動している以上、DQNに違いない。

 赤髪がいて、今ここに来たということは黄瀬さんに用事があるのだろう。

 黄瀬さんを呼び出すのかあるいは部屋にいくのか。

 どちらか分からないが、僕の胸中を過るのは得体のしれない不安だった。


「あいつ、また電話無視しやがって、家にいるんだろうな」


 赤髪が咥えていたタバコを《ひだまりハイム》の敷地内に投げ捨てる。

 注意はもちろんしない。

 あとで拾ってゴミ箱に捨てておこう。


「へー、いいアパートに住んでんじゃん。家賃いくらなの」


「知らねーよ。俺が住んでるわけじゃねーし」


「でも直樹さん、本当にいいんすか?」


「何がだよ」


 エンジンを切って喧しい音楽がなくなったのもあり、声が夜風に乗って届いてくる。

 僕は引き続き奴らの声に集中して耳を欹てる。

 無論、隠れたままでだ。


「直樹さんの女を抱いちまってってことですよ」


「別に。ただ、お前はうまくビデオを回せたらだからな。メイドとやってる俺と拓哉をしっかり撮影しろよ」


「うっす。ばっちり撮影してばっちり犯します。テイク3までいきますんで」


「なら俺はテイク4だよ。で、直哉。服は? メイド服」


「持ってきた。まどかが持ってなかったらこれ着せるわ」


「嫌がるんじゃねーの? 前回そうだったんだろ」


「ああ、メイド服だけはだめとかぬかしやがったな。でもよ、その抵抗がけっこういいスパイスになったぜ」


「直樹さん、クズっすね」


「うるせーよ。やらせねーぞ。じゃ、いこーぜ」


「鍵閉めて居留守とかしたりして」


「鍵は持ってる。心配すんな。ちゃんとできるから」


「あれ? 直樹さん。これ、傷じゃないっすか」


 呼吸が苦しい。

 なんだ。

 奴らは一体、何の話をしているんだ。


 直樹さんの女を抱く?

 ビデオを回す?

 メイドとやってる?

 ばっちり犯す? 

 まどかが持っていなかったら?

 抵抗がいいスパイス?


 漠然とした不安が肥大化して今にも破裂しそうだ。

 このままここにいていいのか?

 奴らが今から黄瀬さんにすることを知っていながら、見て見ぬふりをしていいのか?


 ここが人生最大の分岐点。

 選択を間違えれば僕は一生後悔することになるだろう。

 時間はない。

 奴らが車の傷を気にしている間に行かなければならない。

 先に三〇五号室にたどり着き、黄瀬さんに知らせなければならない。


 あぁ、くっそおおぉ――ッ。


 僕は頭を掻きむしり、ゆらりと立ち上がる。

 そのまま道路に出るとアパートの入口に向かった。

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