第46話 ラナンキュラスの花


 外は完全に雨が止んでいた。

 夜空を綺麗に写し取る水たまりを、柑奈がジャンプで飛び越える。


「柑奈選手ナイスジャンプです。じゃ、次、イッキー選手の番」


「は? 僕も飛ぶのかよ」


「うん。はいどうぞ」


 なんの為にと問い掛けそうになったが止めておく。

 眼前にみずたまりがあったら飛びたくなる気持ちも分かるからだ。

 当然そこに意味など見出そうとしない。


「じゃ、いくぞ」


「がんば、イッキー」


 少し助走をつける僕。

 その最中、着地でつんのめって無様に水たまりに倒れ込む己を鮮明に想像してしまい、あろうことか助走の最中で躊躇いが生じる。

 勢いの削がれたへなちょこジャンプ。

 だけどぎりぎりで水たまりは超えた。

 のだけど、後ろに反った体が水たまりに引き寄せられていく。


「あ、うそ、やべ」


「イッキーっ」


 柑奈の差し出す手を掴む僕。

 あわや水浸しというところで、僕は柑奈に引っ張られてそのまま彼女を抱きしめる形となった。


「あ……ご、ごめん」


「……うん」


 柑奈から離れる僕。

 どちらからというわけでもなく歩き出し、無言のまま手前の交差点を超える。

 

 僕はどうしたものかと考えあぐねる。

 いや、多分柑奈に伝えるべきなんだと思う。

 

 よし話そう。


 なのにそう思った瞬間、後ろ髪をひかれる思いが強くなり始める。

 またしてもどっちつかずのメトロノームが開始されそうになり、僕はそうはさせんと声を張り上げた。


「あのさっ!」


「うわ、声でかっ。何、いきなり」


「あ、ごめん。いやあのさ」


「ん?」


「僕、もう《にくきゅーフレンズ》行くの止めようかと思っている」


「なんで?」


「なんでって……まあその、もういいかなって」


「理由になってないんだけどー。……何かあったの? その、まるちぃさんと」


「えっと……」


 僕は言葉に詰まる。

 今日の出来事を洗いざらい話すべきか、適当に濁して伝えるべきかのどちらを選ぶかで答えが出ていないからだ。

 なのに早く選択しろとの内なる声が聞こえて、


「なんか嫌われているみたいだからさ。だからもういいんだ」


 と、あまりにも簡略化された言葉が口から出た。

 

 込み上げる何か。

 なんだろう、これは。

 よくわからないけど、胸が痛くて――。


「それでいいの?」


 柑奈が問い掛ける。


「それでいいって、何がだよ?」


「まるちぃさんを諦めちゃっていいのかってこと」


「あのさ、だから僕はそのまるちぃに嫌われているんだって。諦めるも何もないんだよ」


「だとしても、だよ。ねえ、イッキーの気持ちは宙ぶらりんのままでいいの?」


「僕の気持ちって……まるちぃに対する好きって気持ちか? そんなもの、もう抱いていたってしょうがないだろ。だって嫌われているんだか――」


「ツインテール・ウインドミルッ」


 柑奈が急に回転しだし、彼女のツインテールが僕の顔を叩き始める。


「うわっぷ、ち、ちょっと、なんなんだよっ」


 僕はツインテールの攻撃範囲から逃れると眦を上げた。

 バレリーナのように回っていた柑奈はやがてその動きを止めると、僕をまっすぐ見据える。怪訝に思ったそのとき彼女が云った。


「カンナはイッキーのことが好き」


「な……」


 ――んでまたそんなことを唐突に。

 しかも二度目だぞ。

 それとツインテール攻撃した理由を聞いてない。


 と続くはずの言葉が喉元を通らずに停滞していると、柑奈の口が更に動く。


「でも今のイッキーは好きじゃない。カンナの好きなイッキーは、オタクで冴えなくてイケメンじゃなくて弱っちくて頼りなくって運動音痴で《スマシス》へたくそでバカでアホであんぽんたんでオタンコナスだけど――」


「ち、ちち、ちょっとっ、なんで僕、いきなりそんなにディスられてんだよっ。一体、どういう――」


 僕が言い切る前に、ピョンと前に飛んできた柑奈の両手が僕の頬に当てられる。

 瑕疵の見当たらない可憐な顔がそこにはあった。

 凡そ、オタクな男とは無縁に思えるラナンキュラスの花。

 あまりにも身近な存在すぎてその魅力を真に理解できない僕は、もしかしたらとんでもなく不幸な奴なのかもしれない。


「だけど、イッキーはまっすぐな心を持っているから。だから、もうだめだってところまでいって。イッキーのことが好きなカンナを失望させないで」


 柑奈の手が離れ、情感を内包したような温もりが徐々に去っていく。

 返答に窮して半ば呆然としている僕が気づいたときには、柑奈は少し遠くに行っていた。


「柑奈……」


「送ってくれてありがとう。ここで大丈夫。あとは一人で帰るね。それじゃまた明日」


 手を振って背を見せる幼馴染。


「あ、ああ、また明日っ」


 夜空に響く僕の声。

 頬を触るとぬくもりは消えていた。

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