第45話 濡れネズミに傘を差しだす彼女は
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寒い。
冬のように体が冷える。
なんで? 今はもう夏なのに。
ああ、そうか。
僕は傘もささずに歩いていたんだ。
ずっと、ずっと、土砂降りの中を傘もささずに。
そのまま電車に乗ったもんだから、僕を変な奴だと思って周囲の乗客も避けていたっけ。
まるちぃのように。
家はこっちだったっけ?
ぼうっとしながら歩いていたから自信がない。
ああ、でも、あのいつものコンビニがあるから合ってる。良かった。
コンビニで《ラブ・ドライブ!》のウエハース買っていこうかな。
でもこんなびしょ濡れで入ったらほかのお客が避けるだろうな。
まるちぃのように。
寒い。
冬のように体が冷える。
コンビニに行くのは止めよう。
家はもうすぐそこだ。
そうだ、家に帰ったら何をしよう。《スマシス》でもやろうかな。
その前に雑誌を玄関に置いておかないとだめだ。明日は古紙古布の日だから。
ずっとベランダに出しっぱなしで雑誌をため込んだらどうなるだろう。
ゴミ屋敷の住人だと思われて、黄瀬さんに避けられるだろうな。
まるちぃのように。
ああ、寒い。
冬のように体が冷える。
なんだって僕はこんなに濡れネズミみたいなんだ?
なんだって僕は傘もささずに歩いているのだろう。
なんだって僕はまるちぃに会いに行ったのだろう。
なんだって僕は。
なんだって僕は。
なんだって僕は。
なんだって僕は――。
「風邪、ひくよ」
ふいに、耳元で聞こえる声。
差し出された傘の生地が、篠突く雨を頭上で受け止める。
「柑奈……?」
学校の制服ではない私服の柑奈がいた。
「うん、カンナだよ。……どうしたの? こんな大雨の中、傘もささずに」
「別になんでも……。柑奈こそどうしたんだよ、こんなところで」
「イッキーのアパートに行ったんだ。でもいなくて帰ろうとしたらここにいた」
「僕のアパートに? なんで?」
「いるかなって思って。もしいたら、もうそろそろ話したいななんて思って」
「話すって、そんなの学校で――」
何を言っているのだろうか、僕は。
気まずさもあって、学校では柑奈と極力会わないようにと行動してきたのは僕じゃないか。
彼女も僕と同じ行動原理に従っていると思っていたけど、そうではなかったようだ。
おそらく多大な勇気を持って歩み寄ってきた柑奈。
僕の幼馴染は思いのほか、僕より大人だったらしい。
そんな彼女を意地を張って邪険に扱おうものなら、僕は最低と書かれた烙印を背中に押さねばならない。
「部屋、行っていい?」
僕の顔を下から覗き込む柑奈。その距離は相変わらずの密接距離だった。
「ああ」
シャワーを浴びて着替えたのち、リビングに入ると柑奈が《スマシス》をプレイしていた。
いつもの特等席であるベッドで僕の枕を膝に置き、その上に肘を乗せてコントローラーを握るという姿勢で。
その様を見ると、先週の柑奈の家での一件がなかったかのようだ。
でも実際には喧嘩をして、激情から柑奈に掴みかかり、帰り際に僕を好きだと言った彼女の気持ちを受け入れなかった。
ちなみに腕を振るって作ってくれていたオムライスだって食べてない。
どういうスタンスで接すればいいのかと立ち尽くしていると、
「何ボケっとしてんの。早く対戦しよーよ。はい」
と僕の悶々としたものを余所に、純度百パーセントの柑奈で接してくる幼馴染。
どうにも調子が狂う。
同時に悩んでいるのも馬鹿らしくなってきた。
「ったく、勝手に始めるなよな。ハンデはたっぷりもらうぞ。柑奈はプロゲーマー様なんだからいいよな」
僕はコントローラーを受け取ると、柑奈の隣に座る。
「プロゲーマーじゃないですけど。でもイッキーよりはるかにうまいのは確かだし、いいよ。たっぷりハンデあげる」
ニカリと笑って白い歯を見せる柑奈。
その後一時間半に渡って僕は柑奈との対戦に興じた。
たっぷりハンデをもらったのに結局、一度も勝利のガッツポーズを上げることはできなかった。
「もうこんな時間なんだね。帰んないと」
壁掛け時計を見れば時刻は夜の九時を超えたところだ。確かに柑奈の言った通り、こんな時間である。
「歩いてきたんだよな? 送るよ、途中まで」
「え? いいの。じゃあお願いしまーす」
一切の逡巡もなく僕の好意に甘える柑奈。
柑奈らしいなと思ったところで、逆に僕のほうの決心が揺らぎだす。
原因は柑奈ではなく、アパートを出るときに黄瀬さんに会わないだろうかという恐れからだ。
恐れとは甚だ表現が過ぎている気がするけれど、《にくきゅーフレンズ》での一幕を考えれば相応しいとも思えた。
だけど今さら止めるとは言えず、僕は柑奈と共に恐る恐る廊下へと出る。
結局、黄瀬さんと鉢合わせることはなかった。
取り越し苦労であったと僕は胸を撫でおろした。
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