第44話 絶望


《にくきゅーフレンズ~妻恋坂店~》の前につく。

 あとは扉を開けて中に入るだけだ。

 

 どのにゃんメイドが出迎えてくれるかは当然分からない。

 しかし今日、勤務しているにゃんメイドは四人なので、その確率は二十五パーセント。

 二人で出迎えた場合は五十パーセント。可能性は充分にある。

 

 僕は出迎えてほしいような、ほしくないような複雑な心境のまま扉を開ける。

 室内から扉の開閉を知らせる鈴の音が響き、二人のにゃんメイドと目が合った。

 一人は、ベテランの域に達しているランクミケのにゃんメイド、ぱむ。

 そしてもう一人は――まるちぃだった。

 

 僕の視界からぱむが消え、まるちぃだけが有形のものとして瞳に焼き付く。

 彼女の顔に浮かぶ、なんであなたがという狼狽の色。

 それは、単にびっくりした以上の秩序を失った心を表しているようにも見えた。

 そのあとの出迎えの儀式など、目を当てられないほどの拙いできで、となりのぱむがご主人様を前にして眉をしかめるほどだった。

 まるちぃは三日前のまるちぃのままだった。

 

 無理だ。耐えられない。

 

 意思の奔流がこの場で言えという。

 僕はにっきゅ、にっきゅの挨拶もせずにまるちぃに迫った。


「お、おかしいですよ、絶対」


「え?」


 まるちぃのかぼそい声が、僕のそれに反応する。

 刹那、喉元で渋滞をおこしていた言葉の数々が我先へと口から飛び出た。


「おかしいんですよ、絶対っ。土曜日もそうですけど今だって、なんなんですかそれ。そんな出迎えってありますか? 一体どうしたんですか。全然違うじゃないですかっ。いつものまるちぃはどこに行ったんですかっ、こんなの僕の知ってるまるちぃじゃないですよっ。おかしいですよ、おかしいですよ、絶対……ッ」

 

 冗長で、全く整ってない言葉の羅列。

 それでもいい。

 僕の気持ちを伝えられればそれでいい。

 さあ、君の言葉を聞かせてくれ。

 何が君をそうさせてしまったのか僕はそれが知りたいんだ――。


「……ごめんなさい。……私、ごめんなさい……」


 視線を落とすまるちぃが漏らす。


「ごめんなさいじゃ分からないですよっ。謝らなくていいから教えてくださいっ。どうしてなのかその理由をっ」


「ごめんなさい」


「だから……ッ、教えてくださいって言ってるんですっ」


「本当に、ごめんなさい」


 謝ることしかしないまるちぃに怒りが湧く。

 慌てて奥に引っ込むぱむが見えた。

 店内のご主人様やにゃんメイドの、何事かとこちらに寄越す視線が僕を刺す。

 でも僕は止まらない。自分じゃもう止められない。

 僕はマナー違反を承知でまるちぃの肩を掴んだ。


「自分で言いましたよねっ? ご主人様のまるちぃは変わりませんからって。あれは嘘だったんですかっ? 全然、別人じゃないですかっ」


「ごめんなさい」


「あのとき、ベランダでご主人様のこと楽しみに待ってますとも言いましたよねっ? あれも嘘なんですかっ? そうですよね? だって全然楽しそうじゃないですからっ」


「ごめんなさい」


「笑顔の素敵なまるちぃはどこに行ったんですかっ。お願いします。まるちぃが笑顔を失った理由を教えてくださいっ」


「……ごめんなさい」


 顔をあげようとしないまるちぃ。

 教える気はないのだと僕は悟った。


 そのとき、「おい」という声と共に僕の腕が誰かに掴まれた。

 静かな激憤を顔に乗せる男性。その恰好からおそらく店長だろう。

 心配そうにして後ろに立っているぱむが呼んできたに違いない。


「何やってんですか? 大声出したらうちのメイドが怖がりますし、ほかのお客様にも迷惑だから止めてもらえませんか? ……それとね」


 店長が僕を引っ張って店の外に連れ出す。

 そして耳元で「触ってんじゃねーよ。マナー違反だろ」と囁くと、乱暴に放り出した。


 僕は体勢を崩して歩道に無様に倒れ込む。

 誰かの笑い声が聞こえた。

 閉まっていく扉の隙間から僕を見ているまるちぃ。

 いつの間にか降っていた雨が僕の感情を冷めたものへとしていく。


「……僕を嫌いになって避けているならそう言って下さい」


「それは違うっ。あなたのことは本当に大切なご主人様だと思ってます」


「だったら、なんで」


「私は……私はもう、あなたの知っているまるちぃじゃないから。だから、ごめんなさい」


 まるちぃの瞳から溢れる涙。

 扉が閉まる。

 車軸を流すような雨の音が自分の慟哭のように思えた。

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